女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

今さら出来ない、したくない

諸事情により、結婚一周年記念日を“夫以外の男性”と過ごした10月下旬(プラトニック・エロティック参照)。「やっと仕事が落ち着いた」とのことで、昨日、夫と“遅めの記念日デート”をしてきました。


軽くランチした後、豪華なパフェ(何と約3,000円‼︎)を頂いたのですが、残念ながら食べきれない結果に…。2人とも食が細いけれど、「シェアすればイケるんじゃない?」と予想して注文。半分くらい食べたところで、「コレ、無理っぽいね」「うん、そうだね」と小声で確認し合いました。味は大層美味だったので残すのは気が引けましたが、本当にお腹がパンパンで、それ以上はどう頑張っても入らないのだから仕方ない。


私も夫も、食べ放題はもちろん、バイキングやビュッフェの類が苦手です。元が取れない、落ち着いて食べられない、他の人の“山盛り”になったお皿を見て食欲が失せてしまう等々、何一つメリットがないのです(笑)。


私は、夫を除いて“少食の男性”と付き合った経験がありません。加えて、双方「美味しいものを少量ずつ、且つゆっくり食べたい」「出来ればスイーツと珈琲も楽しみたい」願望が強い。この思考が一致するのは女友達だけだろうと思っていたため、夫と初めて食事をした時はそりゃあ感動しました。「わぁ、この人食細〜い♡   しかもスイーツ&珈琲好きなんて最高じゃないか!」と。夫は夫で「頑張ってたくさん食べなくてもいいんだ。遠慮なくスイーツ注文出来るんだ」と安心したそうです。


付き合うだけならそんなに支障はないかもしれないけれど、同棲や結婚で「生活を共にする」となった場合、“食の好み”や“食へのこだわりポイント”があまりにもズレているとなかなか暮らしにくい。過去に同棲した彼氏達は皆大食漢でしたが、“和食好き”とか“野菜好き”とか、好みがカブっていたので特に問題はありませんでした。でも、少食同士の気楽さや心地よさを知ってしまった今、大食漢のパートナーとは二度と暮らせないかも…。たくさん食べる人というのは、こちらが予期せぬタイミングで「お腹すいた」「小腹がへった」と言います。すると「さっき食べたばっかじゃん」「そうだけど、もう腹へっちゃったんだもん」の応酬となる(笑)。食事は毎日のことですから、そこでいちいち悩まない、衝突しないというのはとにかく楽です。


それはさておき、ランチ中に意外なことを告白されました。「少し前から、通院の頻度を減らしている」というのです。


夫は、とある理由により“性行為が出来ない状態”が続いています。そのため、出会ってから今日まで2年間、彼と交わった経験は一度もありません。なれど「通院の頻度を減らしている」ならば、普通に考えて快方へ向かっていることになる。つまりそれは、近い将来、性行為が出来るようになるかもしれないということ。けれど私は、別段「嬉しい」とは思わなかった。それより、まず湧き上がってきたのは「困ったなぁ…。今さらしたくないな」という感情でした。


よく、子供が生まれてしばらく経つと「妻のことを女性として見れない」とか「旦那は家族でありパパであって、もう恋人ではない」的な話を聞きます。私の場合、それとは多少ケースが違うでしょうが、「夫は家族」という点は当てはまるというか、非常に共感できます。家族と“卑猥なこと”をするのは、気持ちの上で抵抗や違和感がかなりある。プラス、もはや私の中では“性欲=女風で解消する”というシステムが構築されています。従って、仮に「出来るようになったゆえ、今後はお手合わせ願いたい」と言われたとしても、すぐ「相分かった」とはならないと思うのです。夫から具体的に何かを言われたわけではないけれど、心の準備はしておかなくちゃいけないのかな…と感じました。


いずれ、もし「完治した」と告げられた時にどうするか──。


「おめでとう」とは言っても、「おめでたい」とは思わない可能性が高いです。私の性格上、恐らく正直に「今さら出来ない」と言ってしまうだろうなぁ。夫は傷付くかもしれませんが、私だって相当悩み苦しんだ結果、女風に辿り着いたのだからおあいこです。自分が女風を利用していることは墓場まで持っていくけれど、夫には結婚する前から「キャバクラとか風俗は浮気に入らないと思ってる派。バレないように行ってくれれば全然いいよ」と伝えていました。夫は「へぇ、そうなんだ。僕は行かないけどね」と興味なさげに答えていたし、実際“性の匂い”みたいなものがほぼしない人なので、そちら方面への関心は薄いのかもしれない。逆に、そうと見せかけて風俗を活用しまくっていたら、ある意味見直すというか、そのギャップにだいぶ萌えます(笑)。


ところで、素朴な疑問。“配偶者と交わることなく生涯を終える人”って世界にどれくらい存在するんだろうか。表立って言わないだけで、実は結構いたりするのかなぁ。そういう人と、死ぬまでに一度はお話ししてみたいな。そしたら会話、めちゃくちゃ弾むだろうな〜♪

 

イマウキレ

昨日、外出先でコンビニに立ち寄りました。その時、どういうわけか爽健美茶が飲みたくて仕方なかったのですが、店内のどこを探しても見当たりません。お弁当の品出しをしていた店員さんに「すいませーん、爽健美茶ってありますか?」と尋ねたら、「マテク⤴︎ダサ⤵︎イ!」とバックヤードへ猛ダッシュ。大きめのマスクをしていたからお顔立ちでは気付かなかったけれど、完全に外国人の発音・イントネーションです。「爽健美茶だなんて、難易度高めの質問しちゃったかなぁ」と思っていると、彼はまたまた猛ダッシュで戻ってきて、大変元気よく「イマウ⤴︎キレデ⤵︎ス!」。


????????


イマウキレ──?


生まれて初めて聞くフレーズです(泣)。でも、確実に日本語なわけだから…


イマ=今。


次はウキレ。ウキレ、ウキレ…


あぁ、もしかして売り切れ‼︎?    “ウリキレ”の“リ”が抜け落ちて、「ウキレ」と覚えてしまったってことか。へ〜ぇ、面白い!


私は、まるでクイズに正解でもしたような、めちゃくちゃスッキリした気持ちで「じゃあ大丈夫です、どうも~♪」と足どり軽くコンビニを出ました。幸い、少し歩いたところに自販機とベンチが設置してあったので、そこで爽健美茶を買ってひと息つくことに。しばしボーッとしていたら、スーツ姿&電話中のサラリーマンがベンチにドカリ。彼が座ったのは2つ隣のベンチでしたが、必要以上に声が大きいため(笑)会話の内容が丸聞こえ。どうやら、部下もしくは後輩をお説教している様子です。


「あれじゃトゲが立つんだよ。お前も伝え方が上手くないからさぁ。あんなんじゃ、トゲが立って仕方ないだろ? 相手はクライアントなんだしさぁ、もうちょっと言い方考えろよ」


恐らく、「あの言い方だとカドが立つ」と「言い方にトゲがある」がごっちゃになっているのでしょう。それは理解できるのですが、幾度となく「トゲが立つ」と繰り返すので、どうしても気になって耳がそちらを向いてしまいます。私は飲みかけの爽健美茶をバッグに入れ、そそくさと席を立ちました。


相手が外国人だと、たとえ言い間違えていても「異国の言語って難しいもんね、ウフ♡」と大らかな気持ちでいられるのに、日本人だと「母国語、ちゃんと喋ってほしいな~」と思ってしまう悲しい性(サガ)。


前職場では、同僚や部下が(時と場合によっては上司であっても)間違った言葉遣いをした際には訂正の上、意味を確認していました。出版社社員ですから、言葉の誤りや語彙力のなさは仕事に大きく影響します。いろいろな意味で、“信頼度”がかなり落ちてしまう。けれど、見知らぬ人に「違ってますよ」とは言えないし、それこそ余計なお世話だとも思います。ただ、横で聞いていた(というか聞こえてきた・笑)結果、「たとえ正論を述べていても、言葉が間違ってると説得力が半減するものなんだなぁ」と感じました。もしも私が、電話でお説教を食らっている立場だったら…。


「適度に相槌を打ちながらも、“トゲが立つ”が気になりすぎて内容が全く頭に入ってこない」に100万票(笑)。

 

【コラム㉖営業LINE】

ここ最近、セラピストさんや各お店(※私が過去に利用したことのあるお店は計6店舗)からの営業LINEが増えてきました。数としては、5月(緊急事態宣言発令後、1ヶ月後〜1ヶ月半後くらいの間)以来の多さです。ただ、あの時はセラピストさん本人からだけ。それも「体調やメンタルは大丈夫ですか?」とか「この苦境を一緒に乗り越えましょう」的な、“営業LINEなんだけれどもこちらを気遣ってくれる文言”がほとんどだった。でも、昨今はストレートな内容が目立ちます。特にお店からのLINEは。


例えば、「◯月◯日まで割引キャンペーン実施中です‼︎   ぜひご予約を」とか、「◯月は◯◯(←セラピストの名前)感謝月間!  全コースに20分無料サービス付き」というような具合。これに関しては「しからば、すぐに予約を致しましょう」とは決してならないものの、「その期間中に利用したくなったら候補に入れようかな」くらいは思います。一応、頭の片隅に置いておく感じですね。


けれど、セラピストさんからの直球営業は、もんのすご〜く萎えます(あくまで私の場合です)。「お久しぶりです。元気にしてますか?」とか「また会いたいな♡」とかは、鉄板というか無難というか、いわば“普通の営業”なので特に何も思いません。「あぁ、ハイ。どうもお疲れさまです」ってなもんです(笑)。ただ、「今月厳しくて…」とか「予約してくれませんか」とかの文字を目にすると「あら残念。ご縁が切れましたね」と思い、黙ってスルーします。


私は、風俗…というより、世の中のあらゆるサービスは“ユーザーが求める時に、望むタイミングで利用するもの”だと考えています。大好きなカフェでも、お腹がいっぱいの時には立ち寄ろうと思わないし、その気がないのに「旅に出よ」と言われたとて、無理やり出掛けることは出来ない。女風も同じです。「触れ合いたい、癒してもらいたい」と望んでいない時に「予約して」などと懇願されても、「それはあなたの都合でしょ?」としか思えず、猛スピードで萎えてしまう。そのあたりを心得ているセラピストさんは、露骨な営業LINEなど送ってこないし、何なら連絡自体取りません。私も、やり取りするのはこちらから予約する時だけでいいと思っています。


それはそれとして、「割引キャンペーンを実施するってことは、また客足が遠のいてるのかな。いろいろ心配だな…」とは思います。このところ、全国規模(というか世界規模)で感染者数が増加傾向にあります。女風に限らず、再び、或いは更なる苦境に立たされる業種も出てくるかもしれません。私自身も気を抜かず、出来る対策は全てして毎日を過ごしたいです。「感染しない・感染させない」。改めて、それを強く意識して生活しなくちゃ!と思いました。

 

因果応報

3年前の夏、私は交通事故に遭いました。


仕事へ向かうため、自宅マンションを出て駅まで歩いていた時のこと。青信号の横断歩道を渡っていたら、左折してきた車にボーンッ!とはねられたのです。あまりにも突然すぎて、何が起きたのか理解するのに少し時間が掛かりました。


四駆でゴツめの車種だったせいもあり、私は数メートル吹っ飛ばされた模様(目撃者談)。幸いというか何というか、昼前の時間帯で周囲は明るく、目撃者も多かった。更に運が良いことに、パトロール中の警察官が付近にいたらしく、まだ通報しないうちにパトカーが到着。瞬く間にいろんな処理が進んでいきました。もちろん加害者も逃走などしません。ドライバーは当時24歳の女性でしたが、被害者である私よりも動揺している様子で、震えながら「大丈夫ですか」とか「ごめんなさい」「本当にすみません」的なことを終始言っていたと記憶しています。ちなみに、事故の原因はドライバーの前方不注意。「同乗者とのお喋りに夢中だったのと、慣れない四駆(レンタカー)で視界を把握しきれていなかったんだと思います。完全にあちらが悪いです」(警察官談)。


一方の私は、数メートル吹っ飛ばされて足腰を強打、プラス腕を負傷。肘から手首にかけ、広範囲に渡って血を滲ませながらも、状況を理解して以降は割と冷静でした。


まずはバッグ内のノートPCが正常に起動するかをチェック。続いて各方面へ電話連絡。この日はテレビ局の会議室で某歌手のインタビュー取材があり、局に直行する予定だったのです。その歌手は多忙な方で、スケジュールを押さえるのははっきり言って楽じゃない。プロモーション取材ならノーギャラですが、それ以外だと結構な額が発生します。つまり、この機会を逃したら次はいつインタビューできるか分からないし、彼女のために用意していた数ページにも穴があいてしまう。あいにく当日は他の記者も予定が詰まっており、誰も代われない状況でした。その某歌手は「事情が事情だから、お金のことは気にしないで。それより早く治してね」と、翌月ノーギャラで取材に応じてくれましたが、電話での切羽詰まったやり取り諸々を聞いていた加害者も、気が気ではなかったと予想します。私への慰謝料に加え、歌手へのギャランティやカメラマン代金等、丸々支払うとなればそれなりに高額です。私は各所へ電話しつつも、「24歳か…。一括で払うのは難しいだろうなぁ」等とうっすら思っていました。


ただ、一通り連絡し終えたら、急激に腕や腰、頭が痛み始めました。気を張っている間は、痛点が麻痺していたのかほとんど何も感じなかったけれど、安心した途端、体のあちこちがズキズキと痛む。「え、どうしよう。だいぶ痛い…」。それを見計らったかのように、警察官が大きな声(私だけじゃなく、加害者、目撃者、野次馬等、その場にいた全員に聞こえるくらいのボリューム)で言います。


「今は『そんなに重傷じゃない』と思っているかもしれませんが、頭や脳にダメージを受けている可能性もありますし、ムチウチ症や後遺症が残ることも十分考えられます。すぐに病院へ行って精密検査を受けてください。我々は多くの交通事故を見てきていますので、後が怖いことをよく知っています。いいですか、あなたがぶつかられたのは四駆車です。あなたは生身の人間で、向こうは四駆車。普通に考えて、大丈夫なわけがないんですよ」


そこにいる誰もが、「彼の言うことはもっともだ」と感じたと思います。そして、とてもそこまで気が回っていなかった「後遺症が残る」かもしれない可能性と、「大丈夫なわけがない」という言葉。痛みとともに、得体の知れない恐怖心が湧き上がってきました。口にはしないまでも、その警察官は「双方、軽く考えてもらっちゃ困りますよ」「交通事故というのは、それくらい深刻なことなんですよ」と主張しているかのようでした。「後遺症が残る場合もある」とか「車と人間がぶつかって大丈夫なわけがない」とかは、その場できっぱり言ってもらわないと意識できないことなので、あの警官にはすごく感謝しています。事故の後、ああやって大勢に聞こえる声で「事の重大さ」をアピールするのは、大変重要だと感じました。


後日、加害者の女性は誠心誠意謝ってくれたし、お金の面でも折り合いがつきました。けれど、3年経った今でも恐怖心は消えません。腕の傷や足腰の打撲などは全治3週間程度でしたが、“心の傷”というのは簡単には消えないものなんですよね…。脳のCT検査結果が出るまでの恐怖、ムチウチ症になっていないかの恐怖、そして横断歩道を渡る時の恐怖──。その街からはもう引っ越したけれど、事故以来、私は駅までのルートを変えました(最短ルートは捨てた)。遠回りしてでも、事故現場の横断歩道を渡りたくなかった。さらには、横断歩道自体が怖くなってしまい、過剰なまでに後方確認するようになりました(右手後方からひかれたので)。いくら歩行者が交通ルールを守っていても、ドライバーがそれを破って事故が起きたらひとたまりもありません。怪我を負うのは、或いは命を落とすのは「生身の人間」のほうです。


私は現在も、“横断歩道そのもの”に恐怖を感じます。加害者の顔や名前や声、自分がひかれた車の形や色を忘れることは、多分一生ないと思う。それは加害者をずっと恨んでいるとかじゃなく、消したくても脳裏にしっかり焼き付いてしまい、全然離れてくれないのです。重傷だろうと軽傷だろうと、怖いものは怖いです。ましてひき逃げなんて、その何倍も、もしかしたら何十倍も何百倍も怖いのかもしれない。交通事故を起こさないことが一番だけれど、既に起きてしまった事故は取り返しがつきません。どうあがいても、「なかったこと」には出来ないのだから…。大事なのは、その後どういう行動を取るかです。


先頃の俳優に限らず、ひき逃げなんて絶対にやってはいけないことです。一生ついてまわるし、そういう行いは、巡り巡って自分のところへ返ってきます。因果応報ですね。結果、あなたや、あなたの大切な人がもし同じようにひき逃げされたらどうしますか。許せますか。「一生かけて償う」と言うけれど、被害者は、怪我や傷が治ったとしても、精神的に長く苦しむことになるのです。加害者は、そのことを肝に銘じるべきだと思います。たとえ、法律上は罪に問われなくとも。

 

仕事着≠スーツ

昨日(10/30)、とある転職エージェントさんとの面談に行ってきました。


私は先月まで16年間、同じ出版社に勤めていたため、転職活動をすること自体全くの初めて。少し前から複数の転職サイトにも登録しているけれど、こちらはケア的なものはほとんどなく、自分で探して自分で応募するスタイルです。一方のエージェントは、社風に合いそうか?とか給与・待遇面とか、結構突っ込んだところまで教えてくれたり交渉してくれたりする(と聞いております)。アラフォーの転職事情や現在の市場状況も知っておきたいので、リモートではなく会って話をすることにしました。


そこでハタと悩んだのが服装です。ずっとメールのみでやり取りしていたから、担当者の年齢やキャリア(ベテランなのか中堅なのか、それとも割と経験浅めなのか)は一切分かりません。無難なのはスーツでしょうが、恥ずかしながら冠婚葬祭用の真っ黒いパンツスーツしか持っていないし、何より私は驚くほど、それはもう壊滅的にスーツが似合わない…(泣)。長年スーツと無縁の人生を送ってきたせいなのか、単に元々似合わないだけなのかはよく分からないけれど、スーツを着ると“コスプレ感”が漂い、意図せず面白い仕上がりになってしまうのです。


前職では、著名人の告別式やご葬儀を取材することも多かったのですが、私が到着すると、かなり高い割合で関係者に「プッ」と吹き出されていました(笑)。いつもはワックスやヘアオイルで遊ばせている髪を、CAばりに後れ毛の一本も許さない勢いでクルリとまとめ上げて結び、細身のパンツスーツに薄いメイク、ネイルも透明(トップコートのみ)。普段からスカートは履かず、ボトムスは動きやすさ重視のデニムかサルエル、トップスは何枚かを適当に重ね着。そして右肩にエディターズバッグ、左肩にお世辞にも綺麗とは言えないカメラバッグ(どちらも劇的に重い)を下げ、「オハヨザイマース、オネシャイマース(おはようございます、お願いします)‼︎」と声だけは大きいが何を言ってるかはあまり分からない挨拶をする。これで16年間乗り切ってきたので、きっちりした恰好が見慣れなくて吹き出してしまう気持ちはよく分かります。着ている本人でさえ違和感があるのですから。ただ、別に男装しているつもりはないのに「え、ギャルソン?」「いや黒服でしょ」とツッコまれ、「葬式なんだから笑わせないでくれよ」とまで言われるとは思わなかった(笑)。


そして突如、「良い機会かもしれない」と思い立ちました。「初対面の人、しかも大勢の“スーツを着た社会人”に会ってきているであろう人に、客観的な意見を訊ける絶好のチャンスじゃないか!」と感じ、面談には敢えてその真っ黒いパンツスーツで臨むことに(さすがにインナーは黒でないものを選びましたが)。


担当者は、幸いにも経験豊富なベテランで、ご自身も転職組。物腰は柔らかいけれど、こちらの質問にハッキリ&正直に答えてくれる方でした。現在の転職事情のほか、意外な職種の提案等々、参考になる話をたくさん聞くことが出来て有意義だった。こちらでお世話になるかどうかは、他社と比較検討してみないと分かりませんが、やはり直接お顔や表情を見ながら話せて良かったです。


さて、肝心の服装について。率直な意見を求めたところ、「企業の面接では第一印象が大切ですから、全体的にもっと明るい色をお召しになったほうがいいかなと思います」と至極一般的な返答。続けて、「気を悪くされたら申し訳ないのですが…。必ずしもスーツである必要はないので、もう少し着慣れたものや、ご自分らしい装いのほうがいいかもしれません。◯◯様の場合、えぇとですね、若干“スーツに着られている感”が…」と言いにくそうに、けれどもキッパリ(笑)告げてくれました。そうか、“着てる”んじゃなく“着られてる”から、面白かったりコスプレっぽかったりするのか! 激しく納得。


幼い頃、漠然と「大人になったらスーツを着て働くんだろうなぁ」と思っていたけれど、そうとは限らないんですよね。スーツを着る大人もいれば、着ない大人もいる。そして似合う人も、似合わない人もいる。


というわけで、次の面談(他社)には、もう少しカジュアルな装いで出掛けようと思います。と言っても、デニムやサルエルでは常識を疑われるでしょうから、いわゆる“キレイめカジュアル”や“オフィスカジュアル”路線を目指さなくては。今までそんなスタイルで仕事をした経験がないので、早速服を買いに行かないといけません。これはなかなかの出費になりそうな予感…(泣)。

 

続ける自由、休む自由、辞める自由

私がこのブログを立ち上げたのは、今からちょうど8ヶ月前(2020.2.29)。


前職で、会社の公式ブログやTwitter等の更新は(仕事の一環として)担当していたけれど、私用のブログは人生初です。よって、開設前に“ブログに関する本”や、それこそ“ブログを始めるためのブログ”的なものを片っ端からチェック。その多くに共通して、「まずは100記事投稿を目指しましょう。話はそれからです」みたいなことが書いてありました。プラス、「多くの人は“記事を書き続けること”自体が出来ません。新規開設後、半年後も同じブログを継続している割合は全体の25%程度。一年後は約10%」とも。正直、「ウソだ〜!」と思いました。


誰かに強制されているわけでもなく、自分の意思で、要は“好きで勝手に”始めたであろうブログ。それゆえ「100記事書けない割合がそこまで高いのか?」と疑いの目を向けつつ情報収集していたけれど、確かに「いざスタートしてみたら予想より大変だった」とか「100記事投稿する前に、言いたいことを書き尽くしてしまった」とかいうことはあるかもしれません(*私自身も、“純粋なる女風関連”だけを数えれば、恐らく現状40記事ほどしかアップしていないと思います)。まぁ、いつ始めていつ終えようと、或いは途中で休もうと個人の自由だし、100記事なんてどうでもいいといえばどうでもいいんですが、ふと見たら既に100を超えていたので一応…(なお、当記事は102本目です。数が中途半端でスミマセン・汗)。


さてさて、私は書くことも読むことも昔から大好き。特に記者として働いていた16年間は、毎月世にも恐ろしい分量の原稿を書いてきました。でも、「無理!  書けない」「もう書きたくない」と感じた経験はゼロ。〆切に追われ過ぎて「今すぐ遠くへ行きたいぃぃ〜」と思うことは度々あったけれど、それだってリアルに逃げ出したいわけじゃない。実際は、マッサージ屋さんやカフェで一息つけば、またすぐに書けます。


ただ、一口に“書く”といっても、心持ちやモチベーションは本当に様々です。


仕事として原稿を書く際は、商業誌(エンタメ系雑誌)を作っていたので、一番に考えるべきは当然、読者の皆さまのこと。同業他誌もある中でウチを選び、わざわざ書店やネットショップへ出向き、お金を出して読んでくれているわけですから、その期待に応えたい。「この雑誌にして良かった」「買って良かった」と思ってもらいたいし、メールやTwitter等で「あの対談、誌面上なのにその場で話してるような臨場感でした」とか、「誰々のライブレポ、最高だった〜♡」とかいうお声を頂くと、疲れなんてものは一瞬で吹っ飛びます。諸々の都合上、文字数に限りがあったり、表現にも制限があったりするため(←取材相手は歌手や俳優なので、いろいろと…ね・笑)“好きなように書く”というのは絶対出来ないのだけれど、逆に「枠があるからこそ、ルールがあるからこそ生まれる記事」というのも存在する。それはそれで、すごくやりがいがありました。如何に上手く“抜け道”を見つけて、(所属事務所ではなく)歌手本人が本来伝えたいであろうことを読者のもとへ届けるか。そういう駆け引きも、楽ではないにせよ、あれこれ工夫するのが面白かった。


一方、私用のブログは(私の場合)金銭も発生しないし、文字数やテーマ、アップ日・時間帯等も明確には決めていません。心掛けていることと言えば、「誰かを傷付けたりする記事は書かない」「細かい情報を明記する場合は、調査と確認を怠らない(誤情報を発信しない)」という点くらい。あとは文字通り“私的ブログ”ですから、主観で、自分の言葉や表現で、思ったまま、感じたままに綴ればいい。これは、今まで積み重ねてきた「読者のための記事を書く」行為とは似て非なるものです。


もちろん、このブログでも、読んでくれている方がいる以上は「“読者に向けて”の記事」を書いているつもりです。少しでも役に立てばいいなとか、誰かの気持ちを楽に出来たら嬉しいなとか、そういう思いは少なからずある。されど、ベクトルは「“読者のため”の記事」には向いていません。


商業誌では、出来るだけ読者に寄り添うのも仕事のうちといいますか、「記者たるもの、読者のニーズに応えてナンボ」と思っていました。そりゃそうですよね、読者(と広告主と取材対象者)あっての雑誌なのだから。けれど私用ブログは、書きたい人が書きたいことを書きたいように綴り、読みたい人が読みたい時に読む。基本的にはそれだけだと思います。でも“心の交流”がないかと言えばそんなこともなかったり、長年の読者でもアクションは起こさずひたすら読んでくれるだけだったり、不思議な面も結構ある。繋がっているようないないような、何となく“ふわふわした感じ”が、私はかなり心地良いです。自分が書くにしても、どなたかのブログを読むにしても、“そこそこの情報量&文章量があるにもかかわらず、ある程度の距離感を保てる”のはなかなか快適。そしてやっぱり、書くことがすっごく楽しい!


以前「新型ウイルスの出現以降、自分が一番好きなもの、大切にしているものは“音楽”だと気付いた」と書いたことがあります。けれど、音楽に匹敵するくらい「書くこと」も根っから好きなのだと思う。これまでは誌面、社のブログやTwitter、そして個人的な日記(22歳の時からつけています。ちなみに手書きです・笑)と、日常的にものすごい量の文章を書いていたから、当たり前すぎて「書く行為」そのものを意識したことがなかった。


大切なものは、案外すぐ側にある──。


どこかで聞いたようなフレーズが、実感として“ストン”と胸に響いた気がします。思いを言葉(文字)にして、それを個人で好きなように発信できる世の中。そう考えると、今ってそれほど悪い時代でもないのかもしれませんね。

 

プラトニック・エロティック

出会って2年、結婚して1年、セックス0回。そんな夫との結婚記念日(先週)は、楽しく食事をして過ごしました♪  …夫以外の男性と。


その男性・Uさんとは、かれこれ約15年のお付き合い。私が担当していた男性歌手のマネージャーさんとして知り合い、やがてレコードメーカーへ転職、現在はモデルエージェンシーで統括マネ的な仕事をしています。華やかな経歴と同じくらい顔も派手で(笑)、ボディータッチ多め&言動も超絶チャラい。けれど男前だし、いつもオシャレだし、何よりものすごく仕事が出来るため、どの会社も欲しがる人材です。仮にモデルエージェンシーを辞めたとしても、転職先はすぐ見つかることでしょう。


顔立ちやノリのよい性格のせいか、彼も私も周りから「飲みそう」「吸いそう」と言われまくる人生を送っておりますが(笑)、ともにお酒・煙草が大の苦手。そこで一緒に“ただ美味しいものを食す会”を立ち上げ、お酒ナシでよく「少し贅沢なゴハン屋さん」に行っていました。私が会社を辞めてからは会えていなかったけれど、ずっと「慰労会しよう。長年お世話になったし、是非とも奢りたい」と言ってくれていたUさん。それで彼が出してきた「慰労会の日程」が、偶然にも結婚記念日だったわけです。でも平日だし、夫からは「悪いんだけど、今月下旬は仕事が立て込んでるんだ。お祝い、来月以降でもいいかな…?」と事前に宣告されていたので「まぁいっか」と、深く考えずにオッケーしました。


Uさんは容姿にも家柄にも恵まれ、仕事の能力も大変高く、一見非の打ち所がないように見えるのですが、若い頃から絶望的に欠落している点があります。それは“女性を見る目”。「だめんず・うぉ〜か〜」(倉田真由美著)の逆版といいますか、「イヤイヤ、よりによって何でその人なの⁉︎」という女性ばかりを選んでは痛い目に遭う…という日々を繰り返しています。けれどそこがまたイイというか、完璧じゃないところが人間らしくて素敵なんですよね。


彼の恋愛話はいつも面白くて(本人からすればちっとも面白くないでしょうが・笑)、15年間で聞き飽きたことは一度もありません。

業界内外で浮名を流し続け、38歳の時14歳下のギャルと結婚したと思ったら、実はギャルじゃなくキャバ嬢で2年と持たずに捨てられたり(しかも離婚前に“別の男性の子供”を身籠られてしまうという屈辱付き)、「ダンサーを目指している」というこれまた若い女性と同棲して毎日ちょっとずつお金を抜き取られたり(その挙げ句、ある晩帰宅したら金目のものと一緒に姿を消した後だった)、“悲惨エピソード”に事欠かない。毎度「アイツは俺が何とかしてやらなくちゃ!」と熱い口調で語るので、いつぞや「あなたは自分の会社のタレントだけ育ててればいいの。プライベートでせっせと若い女子育ててる場合じゃないでしょ」と冷たく言い放ったら「本当だ‼︎   じゃあ俺、男性タレントより女性タレント担当するほうが向いてるってことかな〜?」とケラケラ笑っていたっけ。そういう明るさ、とっても大切だと思います(笑)。


さて、Uさんの主戦場は港区・青山界隈。その日も青山のお店を予約してくれており、目にも舌にも美味しい創作和食の数々を堪能させてもらいました。途中、何気なく「今日結婚記念日なんだけどさ〜」と口にしたら、「えっ⁉︎    何してんの帰りなよ! 何でもっと早く言わないんだよ‼︎」とすごい勢いで椅子から立ち上がってまで怒られたけれど(笑)、事情を話すと「じゃあ別にいいか」と落ち着きを取り戻しました。その後「いい機会だから思い切って」と、お酒も飲んでいないのに意外なことを告げられました。

「俺さ、◯◯(←私の名前)のこと、仕事はもちろん女性としても『いいな』と思ってたから、結婚するって聞いた時後悔したんだよね。『あぁ、付き合っとけばよかったな』って。◯◯はどうかな。もし都合よければ、今夜とかどう?」


何か、素直に「スゴイな」と感じました。「何を言っておいでですか、気は確かですか」と呆れましたが、そのエネルギーや漲る性欲、「15年来の友人と不倫してもいい」と思える感覚がスゴイなぁと。そして、心の中で思っているだけじゃなく、実際言葉にしてしまえることに驚きました(※しかも、彼は私が「今日まで夫と交わったことがない」とは夢にも思っていません)。

店内には他のお客さんだっているし、青山は彼の主戦場ですから、誘いに乗ったとて知人や仕事関係者にバッタリ会うかもしれない。そういうリスクやら気まずさやらも含めて、この人は「今晩どう?」と言っているんだと思ったら、妙に感心してしまいました。その上、訊けば現在またまた同棲中で、家に帰ったら今度は一転、「だいぶ年上の彼女が待っている」そうな。そこからは「Uさんの恋愛話って、昔から本当にハズレがないよね」となり、彼女のことを根掘り葉掘り聞きまくりました。当然終電前に帰ったけれど、めちゃくちゃ楽しい夜だったなぁ。


Uさんとは帰り際にハグをしただけで、それ以上のことは何もありません。でも、あれから頭の中でいろんなことを想像し、それなりに興奮した自分がいるのも事実です。「あの丁寧な仕事ぶり、細やかな気遣いからすると、ベッドの上でも…♡」とか、「ジムとフットサルで鍛えてるし、ジャケットも胸(それはそれは立派な胸筋)で着てるし、相当イイ身体してるだろうな〜」とか。私は不倫や浮気をするつもりがないため、この先彼とどうにかなることはないはずだけど、うっすら「そうなる可能性もゼロではない」と思える相手と過ごすというのは刺激的だし、結構エロティックだなと感じました。Uさんは遊び慣れているから、無理やりどうこうという危険性をあまり感じず安心感もある。なので今後も、“ただ美味しいものを食す会”は継続致します。

女風でセラピストさんとあんなことやこんなことをするのも楽しいですが、「これはこれでかなり卑猥だなぁ」と思いました。ある意味、“心に残る結婚記念日”となりましたね、ハイ(笑)。