女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

変えられない過去、選べる未来

前回の投稿から、およそ1週間が経ちました。その間、「自分の生い立ちや人生観、恋愛・結婚、夫婦関係等をテーマにした、別ブログを立ち上げようかな?」と頭の中であれこれ構想。けれど、よくよく考えたら「女風の利用と無関係ってわけでもないし、分ける必要はないかも」と感じたため、引き続きこの場で諸々綴ってみようと思います。なお、今回の記事は割と長文&重めの内容なので(笑)、時間が許すときにでもお付き合いくださいませ。

 

「はじめに」のカテゴリーで記した通り、夫とは交際期間中も結婚してからも、体の関係というものが全くありません。付き合い始めて約1年後に婚姻届けを出し、性行為がないまま夫婦となりました。大人の男女(夫40代前半/妻30代後半)が、セックスなしでなぜ結婚に踏み切れたかというと、主な理由は2つです。

 

①出会った当初から「子供をもうける意志がなく、結婚後も夫婦2人だけで暮らしていきたい」というビジョンが互いに明確だった

②夫に「こういう理由で性行為が出来ない状態だ」と打ち明けられた際、「一生無理なわけじゃないだろうし、別に問題ないでしょ」と(私が)少し軽く考えてしまった

 

私も夫も、どちらかと言えば子供好きな部類に入ります。けれど「自分たちで産み育てたいか?」と訊かれたら、それはまた別問題。この話をすると、理解を示してくれる方、それ以上突っ込まずに撤退してくれる方が約6割。あとの4割は「産んだら絶対かわいいよ」「どうして? きっと良いお母さんになるのに」「老後が寂しいねぇ」等のご意見。世の中にはいろいろな考えがあって当然だし、こちらも「あぁそうですか~」と聞き流すので別にいいのですが、よく分からないのは“自分側”に意見を改めさせようとする方々。これは「早く日本も夫婦別姓が認められないかなぁ」とうっかり口走ってしまった時の惨状(笑)と似ています。異なる考えを持つ者同士、単に意見交換すればいいだけなのに、自分の主張を押し付けてきたり、「あなたは間違っている! 考えを変えろ」と論破しようとしてきたり…。あれって何なんでしょうね? 無駄に疲れます(笑)。

 

それはさておき、子供のこと。皆さんの中にも「子供は欲しくない」とお考えの方がいらっしゃるかと思います。私は随分前から子をもうけない気持ちが固まっていたのですが、これは育った環境がかなり影響していると言えます。

 

両親は健在ですけれど、私が成人して家を出て以降、交流はほとんどありません。3歳下の妹は、若いうちに結婚。両親宅へ、今も昔も家族総出でちょくちょく遊びに行っているようです。「孫の顔を見たい」という親の願いが叶った上、彼女が結婚したと同時に私への詮索や妙な期待も減った為ありがたい限り。妹には本当に感謝しているので、時折「貢ぎ物」と称して子供服や図書カード等を送り付けています(笑)。

 

さて、父親は絵に描いたような亭主関白型、母親は文句も言わずその父に従うタイプ。父が家事を一切やらないのはもちろん、テレビのリモコンさえ自分では手に取らず、目線や顎で母に「持ってこい」と指示を出す。幼い頃は「家庭ってそういうものなんだ」と思い込んでおり疑問を感じなかったけれど、小学校に上がったくらいから少しずつ外の世界を知って、「何か変だ」と思うようになりました。

「怪我でも病気でもないのに、自分で動いたほうが早いのに、お母さんは食事の支度で忙しいのに、なぜこの人はお母さんに命じて偉そうにふんぞり返っているのだろう?」

一旦気が付いてしまうと、家の中の様々なことに違和感を覚えました。母が父に敬語で接していること、父が家族に対して命令口調なこと、理不尽な要求をする父に誰一人意見しないこと、家族を乱暴な物言いでねじ伏せたり、酷い言葉で傷付けたりすること…等々。今で言うモラハラですね。

 

私が小学校低学年の時、父は夢を実現させました。「自分の店(飲食店)を持つ」という長年の夢です。当然のように母も手伝い、早朝から深夜まで、家でも店でも働き詰め。営業時間中は自宅が空になるので、学校が終わると私たち姉妹も家ではなく店へ向かう日々。厨房の隅やバックヤードで夕食を取り、宿題を済ませ、23時頃に母と家へ帰る。父は料理人としての腕はあったのかもしれませんが、経営に関しては素人です。貯金を使い果たして店をオープンしたものの、簡単に軌道に乗るほど甘くはない業界。なかなかうまくいかない焦りや苛立ちを、母が一手に引き受けていたのでしょう。店を開いて数年経つと、父の攻撃性がエスカレート。言葉の暴力だけでなく、手も出るようになっていたみたいです(母は何も言わないし現場を目撃したこともないけれど、醸し出す雰囲気からそれが伝わってきました)。

 

私も一度、被害に遭いました。母と妹が不在だったある日、場所は店のバックヤード。どんな内容だったかは忘れましたが、父に難癖をつけられた私が反論。その直後、「口答えするな!」と怒鳴られてお腹を蹴り上げられ、まるで漫画のワンシーンのように吹っ飛ばされたのです。身体が宙に浮いて壁に激突し、後頭部を強打して意識は朦朧。うずくまってうめき声をあげている私を放置し、父はどこかへ立ち去りました。その後ろ姿を睨みつけながら、自分の中に「憎悪」と「殺意」がマグマのように沸き上がってきたことを、二十数年経った今でもはっきりと覚えています。不思議なもので、殺意がどういうものかなんて知らずとも、芽生えたその感情が「殺意だ」ということは分かるものなんですよね。誰かを本気で殺したいと思ったのは、後にも先にもこの時だけでした。

 

実の親だからといって、血が繋がっているからといって、心も繋がっているとは限りません。もしもこの文章を“毒親”を持つ若い方が読んでいらしたら、気に病む必要は全くないですよ。私やあなたの親がたまたまそうだっただけで、世の中には素敵な大人、優しい大人、立派な大人が大勢います。今あなたが居る場所は、ほんの小さな一部分でしかない。世界はもっと、ずーっと広いです。

 

父に蹴り上げられた何日か後の、夜遅く。母が私に縋りつき、突如泣き始めました。泣くというより、嗚咽という表現のほうが相応しいかな。その頃になると私は感情というものを失って…いえ、自ら蓋をしていて、端から見ても達観しているというか、非常に大人びた子供だったと思います。母が私の腕を掴みながら、震える声で「ごめんね。お父さんと離婚してもいい?」と尋ねるので、私は笑いも泣きも怒りもせず「いいよ。だから手を離して。痛い」と答えました。母は一向に手を離してくれず、かなり長い時間嗚咽していたっけ…。心の中で「そんなに辛いなら早く別れればいいのに。っていうか、親に縋られてビービー泣かれるなんて重すぎる。泣きたいのはこっちだよ、私蹴られたんだよ。この気持ちは一体どこに持っていけばいいんだ」みたいなことを思っていたと記憶しています。今考えると、母だって弱音を吐く場所が欲しかったんだろうし、パートでしか働いたことのない母が、子供2人を連れてすぐに離婚なんて現実的ではなかったことは分かります。でも、当時私は12歳。そこまで考えが及ばなかったし、子供のくせに妙な気を回して(笑)、自分の本心を母にぶつけることもしなかった。それより何より、いかに早く親のもとを抜け出すか、そして“未来をどう生きるか”を考えていました。

 

私は、父も嫌いだったけれど母のことも嫌いでした。自分の意見を言わない、何も主張しない、本当は辛いのに黙っている。

「母みたいな人生は絶対に送りたくない。男性に寄りかからず、自分の力で生きていける女性になろう。将来もし結婚するなら、対等なパートナーとして。そして子供は作らない」

12歳にして、このビジョンが明確に出来上がっていました。中学生の頃には「ジャーナリストになる」という目標を設定(実際は雑誌記者になりましたが)。着々と準備を重ね、高校生からはアルバイトをして社会経験を積みながらコツコツ貯金。高校生&バイトの立場でも自分の考えをはっきり述べるので、周りとぶつかることもあったけれど、そのおかげで言い回しやタイミングについて勉強できたのは収穫でした。「たとえ正論でも、伝え方を間違えるとエライことになる」と、社会人になる前に理解できたのは良かったです。

 

私が中学生の頃、父の店は潰れました。その後は職を転々とし、酒とギャンブルに走るというお決まりのコース。

なるべく家にいたくない私の逃げ場所は、近所の図書館です。全部の本を借りたんじゃないかというくらい、たくさん本を読みました。フィクションでもノンフィクションでも、没頭している間は本の中に入ったような感覚。誰にも何にもとらわれず、どんな感想を持つのも自由です。現実世界では不可能なことも疑似体験出来るし、知らない言葉や思想、初めて目にする斬新な表現もそこかしこに溢れている。読んでも読んでも興味は尽きず、若い脳と心がどんどん吸収していくのが自分でも分かりました。特に好きだったのは、星新一さんのショート・ショート。あの楽しくて不思議な世界から、現実に引き戻される瞬間はいつも切なかったなぁ。

 

私が文章のみならず、書体や装丁、字間・行間、タイトル、奥付、挿絵・写真等、細かい部分まで目を配るようになったのは、大量かつ多種多様な本に囲まれていたこの時期がベースになっていると思います。そういう意味では、出版社へ入り、記者になれたのは両親のおかげかもしれません。ただ、やはり笑顔のたえない家庭で、愛情に包まれて育ったほうが幸せだろうなと想像します。私のような子供時代は、誰にも経験してほしくない。この世には、知らなくていいこと、する必要のない体験、味わわなくていい気持ちが存在します。生まれる家は選べないけれど、未来は自分で選べるし変えてもいける。私はこの先、“必要ないもの達”とは、可能な限り距離を置いて生きていくつもりです。

 

温かい家庭で育ってこなかったこともあり、私には「結婚したい」という欲求や、結婚への憧れがありませんでした。でも今は、結婚して良かったなぁと思っています。性生活がないのは寂しいけれど、それ以外は満足しています。在宅勤務が始まってからは、2人とも自室にこもるため家庭内別居のような毎日ですが(笑)、その適度な距離感が心地いいので問題ありません。私は夜型・楽観的・社交的・些細なことですぐ笑う、夫は朝型・慎重・シャイ・大爆笑しないと諸々正反対ですが、だからこそ補い合うことも可能です。あとは、食の好みや“イヤなこと”(例:お互いを束縛する、察してくれるのを待つ…etc.)等が似ており、一緒にいてすごく楽です。そういう人と出会えたのは、本当に運が良かった。

 

書いているうちに様々な思いが溢れ、だいぶ壮大な仕上がりとなってしまいました(汗)。過去の恋愛や、結婚に対する心境の変化等については、また日を改めて綴っていければと思います。それでは、おやすみなさい。良き夢を♪