女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

みんなちがう

昨夜(7/11)、再放送中のドラマ「腐女子、うっかりゲイに告る」(NHK)の第5話を観ました。

実は、このドラマとの出会いは全くの偶然。ザッピングしていたらたまたま第3話の放送中で、以降は毎週視聴を続けているのですが、「第1話から観ていればよかった」と後悔するほど色んなことを考えさせてくれる作品です。原作小説「彼女が好きなものはホモであって僕ではない」(浅原ナオト著)は知っていたものの、ドラマ化された時(‘19年春)は自宅にテレビがなかったため見逃していました。

 

さて、第5話のあらすじはこうです。

 

主人公・ジュン(高校生)は、マコトさん(ジュンのパートナー。妻子あり)とキスしている場面を彼女・三浦さん(クラスメイト)に目撃されてしまいます。三浦さんに「どういうこと⁉︎ 安藤くん(ジュンの名字)はゲイなの? あの男の人は誰⁉︎」と問い詰められたジュンの答えは、「ごめん。僕の恋人」。その話を立ち聞きしていた友人・小野は、クラス全員にジュンのセクシュアリティを暴露。ジュンに対する男子生徒の態度がよそよそしくなる中、体育の授業があり教室で着替えることに。他の男子と同じくジュンも着替えようとすると、「出て行け」と言う小野。「何で?」と訊くと「気持ち悪いから」。

「俺はみんなが思ってることを代表して言ってやってるだけだ。気持ち悪いんだよ」

静まり返る教室内。一筋の涙を流し、「…分かった。僕がいたら着替えづらいよね」と出て行くジュン。が、出て行った先は廊下ではなくベランダ。手すりの上に立ち、「小野は悪くないよ。こんなふうに生まれて来ちゃった僕が悪い。もう疲れた」と飛び降りてしまう──。

 

私がまず感じたのは、先週と同じく「ゲイってそんなに大変なの? そんなに生きづらいの?」ということ。そして次に、「謝るとこ、そこじゃなくない?」という思い。ジュンは三浦さんに詰め寄られた際、「僕はただ、両方欲しかっただけなんだ。ゲイだって普通の幸せが欲しい」と胸の内を吐露しました。「両方」というのは、心から愛するパートナー(男性)と、将来結婚して“普通の家庭”を共に築いてくれそうな女性、という意味でしょう。

 

「どちらも手に入れたい」と願うこと自体は、別に構わないと思います。でも、純粋に「好きだ」と慕ってくれる相手の気持ちを利用したのは許しがたい。セクシュアリティがどうとか関係なく、私の目には“単なる二股男”にしか映りませんでした。

しかもその後、ジュンは三浦さんに追い打ちを掛けます。「三浦さんのこと、ちゃんと好きだよ。ただ、どうしても勃ってくれないだけなんだ。本当に申し訳ないと思ってる」と頭を下げたのです。「恋人がいるにも関わらず、君とも付き合って申し訳ない」とか「二股をかけてごめん」とかは一言もない。「ゲイとか勃たなかったとかじゃなく、まずその点を謝ろうとは思わないのか?」と憤りを感じました。さらに、“勃たなかった事実”をわざわざこの場で蒸し返すとは、配慮不足も甚だしい。個人的には、ジュンという人物に少しの魅力も感じることが出来ません(笑)。それとも、見逃してしまった1話か2話で、何か心惹かれるような描写があったのかしら…?

 

“自分が欲しいもの”のためなら手段を選ばない、という考え方も、理解できないわけではありません。だけど、せめて最低限の気遣いは欲しい。もし私が三浦さんと同じ立場だったら──①ゲイであることも最愛のパートナーがいることも、墓場まで持って行って絶対バレないようにする。②付き合う前に全てを打ち明け、お互い納得した上で彼氏・彼女の関係になる。この二択のどちらかにしてくれ、と考えると思います。付き合い始めてから“実は二股だった”と知るなんて辛すぎます。加えて、2人はまだ高校生。初めての相手にこんなことをされたら、“人を好きになること”や、恋愛そのものが怖くなってしまう。そういう意味でも「ジュンの罪は重い」と、私は感じました。

 

だから、小野の暴言に対しても「そこまで言わなくたって…」という思いと同時に、「ジュンが三浦さんにしたことへの報いかも。だったらある程度キツイことを言われても仕方ない」という思いもあります。自分がした酷い仕打ちは、いずれ形を変えて自分に返ってくる。それが、このケースではすぐさま返ってきただけのこと。

 

ところで、ジュンが手にしたいと思っている「普通の幸せ」像。彼がイメージしたのは、“奥さんと子供がいる家庭”でした。ここで面白いというか興味深いなと思ったのは、彼自身はLGBTQというマイノリティに属しているのに、思い描く「普通の幸せ」像はマジョリティだということ。いや、普段マイノリティだからこそ、「マジョリティに属したい」と願うのかな。私は既婚者ですが「子供をもたない」と決めているので、ジュンから見れば理想の家庭ではないことになりますね。その上、夫とは一度も性行為がないわけですから、さらに輪をかけて“普通”じゃない。ザ・マイノリティ(笑)!

 

合コンでも婚活でも、一番求められるけれども簡単に出会えないのは「普通の人」だとか。ずっと「普通の人って、一体どんな人よ⁉︎」と思っていたけれど、いい機会なので辞書を引いてみました。要約しますと…

普通/特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それが当たり前であること。

辞書を引いた結果、余計分からなくなりました。「ありふれてる人ってどんな人? 特に変わってないって、誰と比べて?」。判明したのは、「普通とは何か」を突き詰めて考えるのが、だいぶ疲れる作業だということです(笑)。

 

昔読んだ有名な詩の一節に、「みんなちがって、みんないい」(金子みすゞ)というフレーズがあります。当時は子供だったので何となく読み流していたけれど、今は深く共感できる。もし「みんなおなじ」だったら他人への興味なんかなくなるし、ほとんどの人は恋も結婚もしないんじゃなかろうか。「おなじ」でいいなら、それこそロボットでいいですもんね。

 

今後は、「みんなちがう」という事実をそれぞれが受け入れて、“大多数と異なるから”という理由で差別されたり中傷されたりすることが減っていけばいいなぁと思います。まぁ、「完全になくなる」というのは、残念ながら難しいでしょうけどね~。