女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

生きてさえいれば

再放送中のドラマ「腐女子、うっかりゲイに告る」(NHK)の第6話を観ました。

 

ゲイであることがクラス中に知れ渡り、友達の一人から「気持ち悪い」と罵られた主人公・ジュン。ジュンは「もう疲れた」と言い残し、教室のベランダから飛び降りてしまいます。幸い命に別状はなく、1ヶ月程度の入院で済みそうだけれど、病室で交わされた“母親との会話”が心を痛める内容でした。

 

「ジュンくん、男の人が好きなんだってね。それは間違いないの?」

「…間違いないって?」

「だって彼女もいるんでしょ? ほら、同性に憧れる時期ってあるじゃない? そういうことじゃなくて? 男の人が好きなことに、間違いはないの?」

「…ふざけんなよ。(今まで見せたことがないような、怒りの形相と口調で)間違いないに決まってんだろッ‼ 僕はずっと悩んできたし、僕自身が一番期待してたんだ。“いつか女の人を好きになれるんじゃないか”って。友達は『何歳までに結婚して子供は何人欲しい』とか話してるのに、僕は誰にも気付かれず一人で死んでくんだっていう未来が頭から離れない。母さんに僕の気持ちが分かるのかよ! 何で僕なんか産んだんだよ。何で僕はまだ生きてるんだよ…」

 

母親は、何も言えず唇を震わせていました。自分が女性だからか、ジュンにあまり感情移入していないからか分からないけれど、私は母親の立場で諸々考えました。お腹を痛めて産み落とした我が子に、「何で僕なんか産んだんだ」と責められたら…。私は出産願望ゼロの人間ですが、これが相当堪えるセリフであろうことは想像できます。もし友達の子供が親に向かってこんな暴言を吐いたら、すぐさま駆け付けて諭したいレベル(その友達が毒親だった場合は別ですが)。そして、「悪いけどあなたの気持ちは分からない。だって話してくれてないんだから」とも思いました。エスパーじゃあるまいし、何も相談してくれていないのに“心の中”を読み取れるはずがありません。ジュンはまだ高校生なので仕方ない部分もあるけれど、「そりゃないよ、打ち明けてから言ってよ…」と思いました。

 

自分のために一生懸命働いてくれている母親(ジュンは母子家庭)を悲しませたくない、心配させたくないという心情は理解できます。心根は優しい青年なのでしょう。でも、辛いなら、そこまで思い詰めているのなら、死のうとする前にSOSを出して欲しかった。いくら親子でも、察したり気付いたりすることには限界があります。分かりやすくサインを出すとか、はっきり言葉に出すなり文字にするなりしてくれないと、母親だってどうしようもないんじゃなかろうか。

 

ジュンの場合、助けを求めれば、手を差し伸べてくれる人は周りに結構いたと思います。「それが出来たら苦労しない。誰にも相談出来ないから悩んでるんだ」というのなら、今いる場所から黙って逃げても全然いいと思う。人に迷惑を掛けるとか心配させてしまうとか、そういうことは全部取っ払って、もっと身勝手に、自分のことだけ考えて行動して欲しい。そして「死」以外の逃げ道を見つけて欲しいです。生きてさえいれば、大抵のことは後でどうにでもなります。でも、死んでしまったら全てそれで終わり。まして「母親を悲しませたくない」なら、自ら死のうとするのは本当に親不孝です。命を投げ出す行為に比べたら、“息子がゲイ”なんて大したことないんじゃないかなぁ。

 

以前から書いている通り、私はLGBTQをはじめ、マイノリティの方(自分もマイノリティですが)に対して特別何も思いません。だからジュンを「気持ち悪い」とも感じないし、セクシュアリティに関してそれほどまでに深く悩むこと自体、共感出来ていません。ただ、“将来への漠然とした不安”を抱く気持ちは分かります。

 

「誰にも気付かれずに一人で死んでいく」可能性は、このご時世、誰にだってあります。もちろん私にもある。でも私の場合、そういう不安は若い頃だけだったというか、今は「そんな先のこと考えても仕方ないよね~」と思っています。ある程度の貯金をするとか、防災グッズを一式揃えておくとかそういう備えはしているけれど、何十年後のことを考えたって分からないし、どうせその時になれば正解を知るんだから(笑)、今知る必要性も感じない。未来は分からないからこそ面白いんだと思うし、自分で切り拓いていける楽しみもある。

 

私の生い立ちは、あまり恵まれたものではありませんでしたが、今はそこそこ幸せだし(日々小さな悩みはありますけどね)、生まれてきて良かったなぁと思います。生きてさえいれば、本当に何とかなります。生きてさえいれば。