女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

得意部門担当制度

「自分でも、『本当に面倒くさい性格だなぁ』って思うんだよね」。

 

近所のカフェでランチを食べながら、夫が言いました。理由を聞いて、失礼ながら大爆笑してしまった。

 

「この前一緒に買い物行った時、Tシャツ買ったでしょ? 寝る時用の安いやつ。あれ、キャラクターものだったの覚えてる?」

「うん。ディズニーか何かだったよね。イラストがあって、その上に文字が書いてあった」

「そうそう。買ったはいいけど、着てる時にその文字が気になってしょうがないんだ」

「え、どういうこと? っていうか、着てたら文字見えなくない?」

「顔洗う時とか歯磨く時とか、鏡に映るでしょ? 鏡に映ったの見たら、それ以降意識してわざわざ見るようになっちゃって…」

「待って、そんなに変なこと書いてあったっけ?」

「ううん。キャラクターの名前と決め台詞」

「ごめん、全然分かんない(笑)。それの何が気になるの?」

「自分が知らないキャラクターと、自分が知らない決め台詞が書いてあることが、潜在的に気になって落ち着かないんだと思う。知ってるキャラなら全然いいんだけど…」

「だったら調べれば?」

「うん、調べたよ」

「じゃあもう知ってるじゃん(笑)」

「分かったのは名前と決め台詞が使われるシーンについてだけだから、ちゃんと知ってることにはならないよ。『自分は何でこれを着てるんだろう? 好きでも嫌いでもないキャラクターだし、台詞に感化されたわけでもないのに』と思っちゃって」

「何それ、超めんどくさ~い(笑)! なら好きか嫌いか決めればいいんじゃないの?」

「好きか嫌いかを判断する材料がないんだ。作品を全部観てないから情報足りないし」

「そんなの直感だよ。見た感じ、好きか嫌いか」

「直感なんてない、分からない」

「ならどっちでもいいんじゃない? Tシャツとしての機能は果たしてるわけでしょ? 凹んでるとこ悪いけどさ、それ本当にどうでもいいと思う(笑)」

「うん、僕もそう思う(笑)。今回のことだけじゃなくて、全てにおいてこうだから、自分でも面倒くさいなと思うし、すごく疲れる」

「だろうねぇ。昔からそうなの?」

「意識はしてなかったけど、多分そうだったと思う。子供の頃は自然にやってたせいか疲れなかったけど、大人になって気付いちゃってからは疲労感がすごい」

「それ、“仕事の時だけ”っていうふうに切り替えは出来ないのかな。私生活でもそんなにきっちりしてたらそりゃ疲れるし、いつか脳みそキャパオーバーになっちゃうよ。あ! 頭痛ひどいのってそのせいじゃない? 仕事以外ではもっと適当でいいよ」

「僕も、頭痛は『情報をインプットし過ぎるからだ』と思ってる。仕事上は詰め込んだ情報が役に立つからいいんだけど、家にいる時くらいリラックスしたい。でも上手く切り替えられないんだ。君は仕事の時はしっかりしてて、そうじゃない時は本当に気を抜いてる感じ…これ褒めてるからね(笑)。休みの日に電話かかってきても、すぐ仕事のスイッチ入れて電話出てテキパキ処理して、切ったらまた“家モード”にすぐ戻るでしょ? あれ、どうやってるの?」

「どうもしてないよ。特に切り替えてるつもりもないしな~」

「そうなんだ…。いいなぁ、羨ましい」

「その前に一ついいかな。自分の性格分かってるなら、見知らぬキャラのTシャツなんて買わないほうがいいんじゃない(笑)?」

「確かにそうだね。安さに負けて買っちゃったけど、結局こんなことになってるもんね…(笑)。今度からは、多少高くても無地か無難な柄のTシャツにするよ」

 

“自分が着ているTシャツの、知らないキャラが気になって仕方ない”なんてこと、これまでの人生で一度も経験したことがありません。そして今後も、恐らく永遠に経験しない(笑)。私は夫に対し、「めっちゃ面倒くさい」気持ちが6割、「面白い」「興味深い」「生態を研究してみたい」気持ちが4割で、ランチの間中ニヤニヤしていたように思います。夫は凹んでいたけれど、「逆にTシャツ一つでよくそれだけ考えることがあるなぁ」と感心してしまいました。

 

端から見ればどうでもいいことでも、本人にとっては深刻だったり「改善出来ないかな」「もっと楽に生きれないかな」と悩んでいたりする。そういうことって結構ありますよね。完璧な人なんていないし、そもそも完璧である必要もない。私は、“隙”や“弱点”がある人のほうが好きというか、何とも言えない魅力を感じます。それは歌や芝居も同じ。絶対に音程を外さないとか台詞を間違えないとか、そんなことはちっとも重要じゃない。その歌を聴いた時、芝居を観た時、「心を揺さぶられる瞬間」があるか、ないか。

 

仕事であれプライベートであれ、“そこまで上手いわけでもないけど、何度もステージに足を運んでしまう”歌手や俳優がいます。そうじゃない見方もたくさんあるでしょうが、私の場合は「また心を揺さぶられたい、あの感覚を味わいたい」と思って足が向く。今日までトータルものすごい数のライブや公演を観てきましたが、「音程完璧!」とか「声量えげつない」「見事な発声‼」とかで感動したことは皆無です(驚いたことは数限りなくあります)。「上手い“だけ”の人」が歌手としてあまり大成しないのは、こういうところに要因があるのかもなぁと、勝手に予想したりしています。

 

あ…話が思いきり逸れましたね(汗)。

 

人間は皆、一人一人違います。肌の色、言語、体型、育った環境、考え方や感じ方、価値観、セクシュアリティ、人生観や死生観等々…数え上げたらキリがありません。それぞれの違いを咎めたり変えさせようとしたりするのではなく、受け入れて「へぇ~」と面白がったり、「そういう捉え方もあるのね」と学んだりするほうが、人生はずっと楽しいし豊かになります。

 

先程のエピソードにしても、「もっと適当でいいよ」と夫に助言したところで、それが簡単じゃないことはお互い分かっている。でも、私に話したことで気持ちが少し軽くなったなら、何だかすごく嬉しいなぁと思うのです。それに、あなたの分まで私が適当だから、2人合わせたらちょうどいい具合の“適当加減”かもしれない。その代わり、“きっちり部門”の担当はお任せするのでよろしく頼みますよ(笑)。