女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

「戦死」の誤報

猛暑日が続いておりますが、皆さま、お盆休みはいかがお過ごしでしょうか? 我が家は特に変わりもなく、普段通りの生活を送っています(朝起きたら夫は出掛けていて、夕方帰ってきました。この暑い中、「夏季&数量限定定食を食べに行っていた」そうです・笑)。私は退職に向け、家でも諸々の準備をしたりしています。今更ながら、PCって本当に便利ですよね。ノートPCがあれば、どこにいようと大抵の仕事は出来る。文明の利器よ、ありがとう!

 

 さて、今日は8月15日です。例年であれば、夫は「両親の墓参りをする日」で、私も同行するはずでした。ただ、「兄の家族と一緒に行く」のが慣例。あちらには小さいお子さんがいるため、「コロナ感染のリスクにさらされてまで、混雑している墓地に出向く必要はないだろう」(義兄談)との結論に達し今回は見送ることに。私も全くの同意見なので、ホッと胸を撫でおろしました。墓地って、意外に人が密集しますからねぇ…。プラス、連日の暑さにやられて食欲減退、免疫力も激烈低下中。もし今感染してしまったら、正直言ってひとたまりもありません。“回避できるリスク”を一人一人が意識し、実際に避けながら暮らしていくことは大変重要だと思います、ハイ。

 

 私には、終戦記念日になると必ず思い出す人がいます。それは母方の祖父。私が生まれた時、母方の祖母も父方の祖父母も既に他界していたため、「おじいちゃん」と呼べる存在はこの祖父1人だけ。

 

一言で表すなら、祖父はとってもお洒落な人。孫(私と妹)に会うから一層気合いを入れていたのかもしれませんが、いつもパリッとしたシャツ+ループタイにスラックス、ピカピカに磨いた靴を履いていて、そりゃあ素敵だった♪ 昔の人にしてはかなり長身で(178㎝)、体型もスリム。ピンと伸びた背筋に、ハキハキした口調。でも孫に対しては常に優しく、きちんと私たちに目線を合わせて話してくれる人でした。

 

祖父は戦争経験者です。しかも3度、戦死している。いえ、正確には「戦死した」との報せを3回受けながらも、その度に無事帰還したと聞いています。終戦後、玄関先に立つ祖父の姿を見て、伯父さんは「親父が亡霊になって帰ってきたと思った」そうです。

 

小さい頃、祖父はよく戦争の話をしてくれました。でも、私も妹も「またその話?」という感じで聞き流してしまっていた。そういうことを繰り返すうち、祖父は段々、戦争について語らなくなったのだと思います。私は「タイムマシンが欲しい」とか「過去に戻りたい」とか思ったことは一度もないけれど、もし戻れる機会を得たなら、祖父に会って戦争の話をじっくり聴きたい。貴重な話、辛い話を、真剣に聴かなかったことを謝りたい。当時幼かったとはいえ、「何故もっとちゃんと聴かなかったのか」と深く後悔しています。せっかく体験談を語ってくれていたのに…。

 

 そして今になって思うのは、「そういえば、おばあちゃんのことって何も知らないな」ということ。祖父から祖母の話を聞いた記憶も、祖母の写真を見せてもらった記憶も全くないのです。戦争以外の話題…例えば、「イモはもう食べたくない」とか「バナナは贅沢品」とかそういう話はよく覚えているので、私の記憶力が著しく悪いというわけでもないと思います。にも関わらず、“祖母について何一つ覚えていない”というのは、やはり違和感がある。

 

これはあくまで仮定というか、想像上の話です。「戦死」の報せを受けた祖母は、他の男性のもとへ嫁いでしまったのではないだろうか。だって、ですよ。もしも私が「夫戦死」の報せを、1度ならず3度も受け取ったとしたら、「我が夫は戦地で散ったのだ」と信じざるを得ないと思うんです。もちろん、何らかの理由で祖母が若くして亡くなった可能性等もあるけれど、その場合、話くらい聞かせてくれるんじゃないかなぁ。祖父からだけでなく、母からも祖母の話を一切聞いたことがないというのは少し不自然です。私は現在、母と折り合いが良くないため確かめる術もありませんが、終戦記念日は毎年、祖父のことばかり考えてしまいます。祖父がどんな人生を送ったのか、そして幸せだったのかどうか──。

 

おじいちゃん、黄泉の国で元気にしてるかな。当たり前ですが、祖父と“大人同士”として会った経験がないので、今、この年齢でちゃんと会話をしてみたい。いろんなことを訊きたいし、聴いてもらいたい。叶うはずもないけれど…。