女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

借り着より洗い着

私には、3歳下の妹がいます(*私と両親は折り合いが悪いけれど、妹と私の関係は極めて良好です)。妹は割と早くに結婚しましたが、ここでは“現在29歳、独身。好きで好きで仕方がない彼氏と交際中”だと仮定して話を進めさせてください。


彼女が、真剣な面持ちで「将来一緒になりたい人がいる」と、私の前に29歳男性(無職)を連れてきたとしましょう。例えば「彼は専業主夫になる予定だから、結婚後は私の稼ぎで暮らしていく」と宣言されても、別段反対しないと思います。でも、もし「400万円の借金があるけれど、先方が『返さなくていい』と言ってるので返済はしない」とか、「特に何かを成したわけでもないが、一生涯、人様の血税で生活していくつもり」とか言い出した場合、私はどんなに嫌われようが憎まれようが恨まれようが、妹を殴ってでも全力で結婚を阻止します。もしくは、「“生きていくために必要な選択”が彼との結婚」だと主張するならば、彼女とは完全に縁を切り、何があっても家族や親戚、友人達を一切頼らせない。その後彼らが路頭に迷おうと死にかけようと、絶対に手を貸しません。甘やかすことと愛をもって接することは、一見似ているようで全く違います。「獅子の子落とし」とはよく言ったもので、まさにその通りだと思う。


“結婚そのもの”は、確かに個人の自由です。されど、自分たちだけで生活する力(=経済力)もないのに、国民全体がコロナ・失業・格差等でどう見たって苦しんでいるのに、「生きていくために必要」なのが本当に“その結婚”と言えるだろうか。「今必要なことは他にある」と考えないのだろうか。日々、生きるか死ぬかの状況に置かれている方々、心身ともにギリギリの状態で医療に従事している方々、脚光や称賛を浴びずとも、“自分に出来ること”を黙々とこなしている方々──。彼らと全く同じ体験をするのは無理でも、思いを馳せたり心に寄り添ったりすることは出来るはずです。人間には、程度の違いこそあれ“想像力”や“共感力”が備わっているのですから。


人にはそれぞれ、立場や役割というものがあります。役割を果たさないなら、今ある立場を捨てる。今ある立場を守りたいなら、役割をしっかり果たす。それが道理だと思います。そうまでして愛を貫きたければ、その家を出て庶民の暮らしを送ってみるといい。一般市民となったあなたに対し、“愛する彼氏”がどんな態度で接するかも確認出来るだろうし、諸々ちょうどよいのでは? 実際「幸せな時も不幸せな時も寄り添い合えるかけがえのない存在」かどうかを試せる、またとない機会です。イヤというほど、“彼との世界”を味わえばいいと思う。


ところで。私は、“決して有効に使われない”と分かりきっている税金など、鐚一文払いたくありません。納税は国民の義務だけれど、それは泉のごとく湧いてくるものでも、空から降ってくるものでもない。文字通り、私たちが汗水たらして働いて得た報酬の中から、どうにかこうにか捻出しているお金です。庶民じゃない皆様方は、そこをきちんと理解できているのだろうか。1円の重みを、肌で感じたことが果たしてあるのだろうか。


庶民も、そうでない人も、仮に「贅沢したい!」と願うなら、自分で働いて存分に稼げばよいと思います。“自分のお金”でいくら贅沢しようと、誰も文句など言いませんよ。


働かざる者食うべからず。


借り着より洗い着、です。