女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

翻訳における日本語力〈上巻〉

転職してから、もうじき2ヶ月。改めて、“言語の奥深さ”に気付かされる毎日を送っています。


私の新しい仕事は、印刷物や映像作品等の校正・校閲です。もちろん日本語が中心ですが、思いのほか他言語も多い。中でも目立つのはやはり英語で、「ご依頼頂く案件のうち、1/3くらいが英文かな~」という印象。実際、現在も英文&その日本語訳の案件を抱えており、諸々の切り替えに若干苦労しています(ありがたいことに、弊社はGW明けから異様な忙しさ。私もいくつかを同時進行しているのですが、そのほとんどが英語絡みです)。二次面接の際、「英語は得意ですか?」と訊かれたけれど、ここまでの割合を占めるとは予想外でした。


私は、社会人になってから自己流で地道に勉強したのと、フィリピン・セブ島へ1週間だけ語学留学(短期集中コースだったせいか、連日えげつないコマ数&宿題量だったなぁ…汗)した経験があるのみで、スクール等で英語を学んだことはありません。

ただ、昔、某大型施設でのアルバイト時代に外国のお客さまが多く、否応なしに“生きた英語”を浴び続けたのと、コロナ前までは10年間、旅やら出張やらで年に数回、必ず海外を訪れていたため、他言語への抵抗感や拒絶反応はゼロ。直属の上司は「英語分かんないし、そもそも苦手なんだよね。正直、読んでると眠くなっちゃう」そうで、英語絡みの案件をガンガン振ってきます。当初「イヤ、私ペラペラなわけじゃないんで、こんなに振られても困ります」と言ったら、「俺から見れば十分ペラペラだよ。大丈夫、大丈夫!」と謎の太鼓判を押されました(笑)。


確かに「英語はまぁ、多少いけます」と言ってしまっても差し支えないとは思います。プライベートであれ仕事であれ、異国を訪れて“相手が何を言っているのか分からない”とか“伝えたいことがあるのに言葉が出てこない”とかで困った経験はほとんどない。されど、それは完璧に話したり聞いたり出来ているわけでは全然なく、何となくのニュアンスだったり適当な言い換えだったり、表情&ジェスチャーを交えた上で成立している感じです。要するに、“総合的なコミュニケーション力+社交的な性格”によるところが大きいのだと思われます。


それと、私には「間違えたら恥ずかしい」「通じなかったらどうしよう」的な概念がありません。「母国語じゃないんだから、不完全で当たり前」と思っています。よって、少し変でもどんどん喋る。自信満々に喋る。何なら、普段より声を張って喋る(笑)。私は、「正しい文法は…」等と熟考している時間が非常に勿体無く、「たとえ正確な英語じゃなくても、会話がポンポン(リズムよく)進む人と喋ったほうが相手も楽しいだろう」という考え。話しているうち、「言いたいのはこのフレーズ?」と先方が手助けしてくれることも多いですしね♪


ところで。リスニング、スピーキング、ライティング、リーディングで言うと、私が一番得意なのはリスニング。これは大変誇れる&恵まれていることなのですが、私はかなり耳が良いです。もともとの素質プラス、学生時代に何種類か楽器を演奏していたことや、長年音楽雑誌の記者をやっていたことも影響して、いつの間にか音感が鍛えられたのかもしれません。


耳&音感が良い利点、その①。ネイティヴ、非ネイティヴ問わず、初対面の人の英語を聴き取れるようになる(=発音や訛り等、個人の特徴を捉える)までが割と早い。利点その②。耳コピが可能。たとえその言語を喋れずとも、近い発音をしたり、ネイティヴを真似た“抑揚のある喋り方”をしたりすることが苦ではない(日本語は平坦な言語。その日本語に慣れている日本人は、“抑揚をつけて喋ること”自体が不得手な人も多いんだそうです/セブ島講師談)。


そんなわけで、リスニングは特に問題なし。スピーキングもそこそこ大丈夫だけれど、最も自信がないのがライティングとリーディング。よりにもよって、校正・校閲にとって非常に重要な2つ…(泣)。さりとて、「英語の読み書きに抵抗がある」とかでは全くないので、業務に支障をきたすわけじゃないんですけどね。


それに、この2ヶ月弱で多くの英文&対訳を校正してみて感じたのは、「むしろ重要なのは英語力より“日本語力”じゃないか?」ということ。単に英語が堪能なだけでは、各々の世界観に合った翻訳や、「なるほど!」と唸るような翻訳は出来ないんだなぁと、さまざまな原稿を読んで実感している次第です。


さて、夜も深まってまいりました。続きは、また後日書くと致しましょう。それでは皆さま、オヤスミナサイ。