女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

翻訳における日本語力〈下巻〉

2つ前の記事(仕事論/「翻訳における日本語力〈上巻〉)の続きとなります。「翻訳で重要なのは、英語力よりむしろ日本語力じゃないか?」というのは、例えばこういうことです。


英文で書かれた絵本があるとしましょう。対象年齢は6歳くらいまでの子供で、“見た目はいかつい&毒々しい皮膚の色だけれども、心はとっても優しい怪獣”が主人公。「人や動物を、外見だけで判断したり差別したりしてはいけませんよ」という教訓が描かれています。


絵本ですから、当然主役は“絵”そのもの。文章は非常に短く、1ページにつき1〜3行、どんなに長くても5行ほど。絵をじゃましないよう、且つ物語にきちんと入り込めるよう、本文や吹き出しが絶妙な位置にレイアウトされています。なので、英原文と日本語訳の言葉数が、出来る限り揃っていたほうがいい。原文より極端に多かったり少なかったりすると、絵とマッチしなくなるというか、全体のバランスが悪くなるのです。そして、基本的には平仮名書き(←対象年齢に合わせて)ですから、そのままだと滅法読みにくい。


きほんてきにはひらがながきですからそのままだとめっぽうよみにくい。


ね、読みにくいでしょ(笑)? たとえ原文にカンマ(,)が入っていなくとも、訳文には読点(、)を打ったり、適切な箇所で改行したりして、極力読みやすくする必要があります。それは、正確に言えば翻訳家ではなく編集者や校正者の仕事。「全部が全部というわけにはいかないだろうけど、校閲部を持つ出版社や、予算が許す(=校正代を外注出来るお金がある)場合は分業したほうが絶対いいな」と、この仕事をしてみて感じています。何事も“得意な人”や“専門家”が担当したほうが、効率がいいし精度も高い。訳す能力と校正する能力は、稀に兼ね備えた人もいますが大抵は別物です。


続いて、著名な外国人俳優の経歴やインタビュー記事がずらりと載った、とあるパンフレット。コチラは映画好きの、割と大人の方々に向けた印刷物です。この場合、経歴に誤りや抜けがないか調べるのは当たり前として、もう一つ重要なことが。それは、“その俳優の個性に合った口調で訳せているかどうか”です。お堅いイメージ、ユニークなイメージ、寡黙なイメージ、クレバーなイメージ、渋いイメージ、三枚目のイメージ、セクシーなイメージ等いろいろありますが、その人(もしくはその人のパブリックイメージ)に合った訳し方でないと違和感があるというか、読んでいて全然しっくり来ない。「この俳優さん、こんな喋り方だったかなぁ?」と気になってしまい、記事の内容が頭に入りづらいのです。それこそ映画の吹き替え版で、海外の俳優さんと日本の声優さんの声・セリフ回しがちっとも合っていない時と同じくらい(笑)しっくり来ないので、校正者として上手い具合に指摘しなくてはいけません。

 

あとは、同じ「I Love You」でも、言う人と言われる人の関係性や付き合いの長さ、前後の会話、シチュエーション等によっても、訳し方は変わってきます。愛してるよ、愛してるぜ、愛してるわ、愛してる、愛してます、愛しています、大好きです、心から好きです、いつでもあなたの味方です…等々。直訳だと「私はあなたを愛しています」となりますが、日本語は表現が豊かな言語だから何通りもの訳があるし、日常的に「愛してる」と伝えるタイプの民族でもないので、直訳より意訳が合うケースが圧倒的に多い。教科書や学術誌の場合は、なるべく原文に沿ったほうがいい&個性不要だから、また話が違ってきますけどね。


そんなわけで、いかに英語が堪能であっても、それ以上に“日本語力”や“背景を読む力”がないと、ぴたりとハマる翻訳は出来ないんだなぁと日々感じています。重宝される翻訳家さんはやはり巧いといいますか、「さすが! 違和感ゼロ」「なるほど、そういう手もあるのか〜」と勉強になることが多いです。


ちなみに、私が一番好きなのは「I Love You」を「月が綺麗ですね」と表現した夏目漱石の翻訳。今では「漱石がそう訳したという文献はどこにも残っていない」と言われていますが、正直そこはどうでもよい(笑)。その美しくて奥ゆかしい翻訳が後世まで伝わり、“現代でもそのフレーズが大勢の人に知られていること”自体が素敵だなぁと思うのです。遠い昔と現在が確かにつながっていることを実感し、何とも言えず嬉しい気持ちになる。実は私も、一度拝借した経験があります。


30代前半の頃、私には行きつけの和食居酒屋さんがありました。そこは常連客の多いお店で、深夜のお客さんは大体馴染みのメンバー。みんな大人(30〜50代)だから適度な距離感を保ちつつ、でも顔を合わせればまぁまぁ喋る…みたいな関係性。その中に、当時40歳くらいの男性がいました。文学と将棋とお酒が好きで、藍染めの着物+ハンチング帽を「普段着」としていた粋な方です。お互い本が好きなので、彼とはよく小説の話をしたっけ。最初はお店の中で話すだけだったけれど、家が近いことが判明してからは、よく自宅付近まで送ってくれるように。その何度か目の帰り道、彼が空を見上げながら呟いたのです。


「月が綺麗ですね」


その日の月は、実際すごく綺麗でした。秋だったし、空気も澄み渡って、月がくっきり&大きく見え、いつまででも眺めていられそうな感じ。思わず「本当ですね」と言いそうになったけれど、すんでのところで留まりました。「いや待って!  これ、愛の告白じゃない?」と気付いたからです。それまでも彼からの好意は何となく感じていましたが、はっきり告げられたわけじゃないし、第一私にその気がなかった。彼とはあくまで常連客仲間であり、それ以上でも以下でもない。よって、「手が届かないから綺麗なんだと思います」と答えました。これは、OKなら「あなたと見る月だから綺麗なのです」「月はずっと前から綺麗でしたよ」、NOなら「私には月が見えません」「遠くにあるからこそ綺麗なのではありませんか?」等と返す…と双方が知っているから出来るやり取りです。風情がありますね♡  「100年も昔から、男女の間で同じような会話が交わされてきたのかなぁ」と想像すると、何やら壮大なロマンを感じます。


ああいう告白をされたのは、人生であの時だけですが、私の中ではすごくいい思い出となっています。決して「好きです。付き合ってください」「お気持ち頂戴致します。でも…ごめんなさい」が悪いわけじゃないけれど、何とも言えない情緒がある。特に気まずさも残らなかったので、その地を引っ越すまで、私も彼も普通にお店へ通いました。これが「好きです」「ごめんなさい」だったら、もしやそうはいかなかった…かもしれません。“直接的でない伝え方”だからこそ良い関係が壊れず、行きつけのお店も失わずに済んだのだと思います。


言葉って本当に面白い&不思議ですよね。意味としては全く同じなのに、感じ方や残り方はかなり違うものになるのだから。


やっぱり私は、“言葉”が大好きです。転職後も、こうして言葉に携わる仕事が出来ますこと、大変幸せに思っています。

 

=追記=

今夜(26日)は、全国各地で皆既月食且つスーパームーンが見られるそうです。夜空、ぜひに見上げてみてくださいね♪