女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

“ヒモ感”

自分の中で、「ストレス発散デー!」と定めていたその日。午前中から靴・服・本・電化製品等を爆買いし、午後は普段よりロングコースで女風を予約。「買ったものはひとまず駅のコインロッカーに預けて、後でピックアップしに戻ろう」と計画していたのですが、予想外に買い物が長引いたため、あっという間に約束の時間が来てしまいました(汗)。やむを得ず、大荷物のまま慌てて待ち合わせ場所へ。すると、既に到着していたセラピストさんが「買い物帰り? すごい量の荷物だねぇ」とごく自然に両手を差し出してくれます。

「え、持ってくれるの? ありがとう♪」

「ううん、全然。これで◯◯(←私の名前)の手が空いたから繋げるね♡」

そんなセリフが流れるように出てくるとは、天賦の才か、はたまた努力の結晶か? いずれにせよ、素晴らしいことに違いはございません。


さて。自分の右手に全荷物(まぁまぁ大きい紙袋3つ)を持ち、左手は私の右手を取って歩き出すセラピストさん。「重いでしょ? やっぱり1コ持つよ」と提案したものの、「これぐらい大丈夫」と断られてしまいました。ホテルへ向かいつつ、彼が「でもアレだね、道行く人から見たら、俺の“ヒモ感”半端ないだろうね(笑)」といたずらっぽく笑います。

「だったらなおさら1コ持つってば(汗)」

「本当に平気だよ。それよりさ、スタバのコーヒー買ってくれない? 部屋着いたら飲みたいなぁ」

「分かった、寄ってこう。せっかくだしデザートも買おっか?」

「いいの? やったー! じゃあチーズケーキ♪   っていうか、ますますヒモ感増してるよね。カップルで来てるのに、カフェで全く財布を出さない男って(笑)」

「あ、もしかしてそういうの気にするタイプ?」

「いや、俺は全然。◯◯が気にするかなと思って」

「私も全然。周りの目とかどうでもいいよ、お互いがよければそれで」

「よかったぁ♡♡♡ じゃあ遠慮なく」


この時再認識したのは、私はカワイイ(=容姿端麗で甘え上手、の意)男の子や女の子から「ねだられること」に慣れている&それを不快とは感じない人間なんだという事実です。


前職(エンタメ系の雑誌記者)では、役者の卵やら歌手の卵やら、もしくはデビューしていても薄給の若手やらに「お腹すいちゃいました〜♡」とねだられることが結構ありました。最初は「えっと…なんで私? 事務所の人に言えばいいじゃん」と不思議でしたが、「イヤだな」と感じたことは一度もなかった。むしろ「上目遣いで懇願しちゃって、いい意味であざといなぁ」とか、「まだ若いのに、己の武器を最大限利用していて頼もしいぞ♪」とか、どちらかと言えば嬉しい気持ちでご馳走しておりました。まぁ、“若者(←しかも大抵、顔立ちが整いまくった男女)が美味しそうにものを食べる姿”というのはそれだけで価値があるというか、こちらも幸せな気持ちになるのでそもそも苦じゃないですけどね。それに、私自身も20代の頃、他の出版社や各レコード会社、イベント会社等の諸先輩方に散々奢られ倒してきましたから、次世代に還元するのは当たり前といえば当たり前。それがお金のない、でも将来的には売れて、発行部数をアップさせてくれる存在となるかもしれない原石たちなのだから、惜しむ理由など一つもありません。


それはそれと致しまして、ふと「『ヒモ』って絶妙な言い回しだけど、性差別といえば性差別だよなぁ…」と思いました。辞書を引きますれば、「女性に働かせて貢がせる男性」と書いてあります。でもこれ、逆は普通にやっている人も多いですよね。私の周りにも、「デート代とか生活費とかは男性が全額負担するのが当然」という考えの女性が何人かいます。されど、だからといって、彼女たちが「ヒモ」に該当するような呼ばれ方をしているのは聞いたことがない。


私自身はカップルや夫婦、友人同士においては折半主義ですが、それ以外では「お金がある人が払えばよい」「払いたい人が払えばよい」という思考も持っています。従って、もし私に有り余る財産があって、且つ需要と供給が一致するなら、いわゆるヒモを囲っても全然いい(もちろん独身時代に限ります)。麗しいビジュアルを保った上で、家のことをしてくれたり、甘い言葉を囁いてくれたり、性生活も満足させてくれたりするわけですよね? で、ヒモ側はその見返りとしてお金が欲しいと。うん、やっぱり何の問題もない気がするな〜。


嗚呼、妄想していたら何だか楽しくなってきちゃいました(笑)。近い将来、この時のセラピストさんと、“ヒモプレイ”的なことに挑戦してみようかしら、ムフフ♡