女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

お金と健康

「生きていくには、お金がかかる」──。

この“至極当たり前の現実”を、最近しみじみ実感しております。

 

何度か書いている通り、私は現在完全に休職し、体力回復に努めさせてもらっています。9月上旬に入院しましたゆえ、休職してかれこれ約3ヵ月半が経つわけですねぇ。早いものです。退院直後はスーパーで買い物することさえままならず、不安な部分もありましたけれど、おかげさまで順調に回復。今はジムへ通えるところまで来ていることに喜びを感じていますし、自宅でも“体力作りのための筋トレ”を欠かさず行っています。嗚呼、運動できるって素晴らしい♡

 

それはそうと、先日会社から書類が届きました。「お休みされている間、◯◯さん(←私の名前)の社会保険料及び住民税は会社で立て替えておりますので、現在までの合計額をお知らせ致します。一括返済にするか分割にするかをご検討いただきたく、詳細をお伝えする次第です」との内容でした。決して忘れていたわけではないのですが、「そこまで頭が回っていなかった」というのが本音というか、後回しになっていたような気は致しますね、ハイ(汗)。

 

早速、詳細を確認してみますれば…ぬお! た、高っ‼︎ 高いといっても、普段との違いは「給与から天引きされるか、こちらから振り込むか」だけで、別に金額そのものは変わらないのだけれど、足してしまうとものすご~く高く感じる不思議…。先月、健保の【傷病手当金】を申請して無事支給されましたが、保障されるのはあくまで“入院~通院していた間”のみですし、給与全額ではなく「給与の三分の二」なので、立て替えてもらっている社会保険料&住民税を返済したら、トントンか赤字ですねコレ(泣)。それでも、手当金があるとないとでは“取り崩す貯金の額”が大きく違ってきますので、この制度には感謝しかありません。

 

もう少し具体的に書くと、16日間の入院費+社会保険料+住民税で、“休職に伴って出ていくお金”は合計50万円ほど。痛くない出費と言ったら嘘になりますけれど、大変勉強になったことは確かです。

「生きていくにはお金がかかるし、健康を害した際にはさらにお金がかかる。体調が悪いとメンタルも一緒に落ちるから、良いことは何もない。心身ともに、健康第一。目指せ健康!」

今回の入院で、あらためてそう思いました。

 

ところで。私は「親やパートナーに金銭面で頼りたくない。自立した生活を送りたい」という思いが昔から強かったため、お金のない時代でもコツコツ貯金をしていました。月収5万円であろうと30万円であろうと、お給料を全部使い切ったことはあまりなく、「たとえ少額でも残して貯金する」ことを学生時代より習慣付けていた。かといって、無理して節約するのも性に合わないので(笑)、自分の趣味(旅行やライブ参戦、カメラ機材等)にはバンバン使います。人間、いつ死ぬかも分からないのに貯め込んでばかりじゃ勿体ないし、「“好きなこと”に使ってこそのお金」という思いもあるからです。

今は、「体力が有り余っている若いうちに、そしてコロナ罹患の心配がない時に、あちこち旅行しまくっておいて良かったなぁ」と感じています。もちろん、この先だって世界各地を旅したい気持ちはあるけれど、やはり当面は控えたい。それこそ、「旅行をしないと死ぬ」わけでもありませんから、現状、大好きな“音楽”にお金を落とし続けることを優先させています。私の場合、しばらく旅できなくても問題ないですが、“音楽のない世界”は絶っ対に耐えられない自信がある。だから、応援している歌手や音楽家が今後も活動できるよう、出来る限りのことをしています。一番手っ取り早いのは、「その才能に相応しい対価を支払うこと」だと思っているので、これは私にとって、すごく有意義なお金の使い方です。

 

ただし、“好きなこと”に湯水のごとく、つまり身の丈以上にお金を注ぎ込む行為は、今後もしないつもりです。突発的な事態(病気や怪我、失業等)に陥らないとも限らないことを身をもって知ったし、「私には、そこそこの蓄えがある」という事実や自信によって、心の余裕が生まれるからです。

 

例えば、先ほどの『50万円』という数字。ある人にとっては「一度の買い物で使い切る金額」かもしれないし、またある人にとっては「無理をしないと捻出不可能な金額」かもしれない。私も、10代の頃は「とんでもない大金」だと感じていました。実際、学生生活を送りながらバイトで50万を貯める、というのはかなり大変だった記憶があります。今だって50万円を稼ぐのは楽じゃない&価値自体は昔と同じだけれど、「すぐに支払える額かどうか?」は確実に変わりました。

何かあった時、「仕事をせずとも、しばらく暮らしていけるお金があるか否か」は、精神面においても非常に重要なことだと考えています。「暮らしていけない」となるとどうしたって焦るし、いろいろな意味で余裕がなくなる。体を休めなければいけない状態にあっても、働かざるを得ない──。これは相当キツイというか、「自分なら心が折れるだろうな…」と思います。

 

ゆえに、備えあれば憂いなし、転ばぬ先の杖、でございます。私は今、「その時々で“やりたいこと”や“好きなこと”にお金をドーン!と使いつつ、並行して“計画的な貯蓄”もしてきた過去の自分」と、「年2回の賞与込みで、きちんと昇給してくれたり各種手当を付けてくれたりしていた前の会社」に心から感謝しています。当然、現在勤めている会社にも感謝はしているけれど、お給料の額が全然違いますので…ね(笑)。

 

以前、人生の大先輩が「最後に頼れるのは“お金”と“健康”よ。お金はね、あり過ぎて困るってことはないけど、足りなかったら本当に本当に大変なの。あるに越したことないんだから、アナタも若いうちからちゃんと考えときなさいよ。あとは健康。体が動かないと、仕事も趣味も“出来ること”が途端に減る。いい? 分かった?」と口癖のように言っていました。酔っ払うと、しつこいくらいに何度も何度もこの話をしてたなぁ。当時20代だった私は、「ハーイ! 分っかりましたぁ!」と適当に相槌を打っていましたが(笑)、今になってガッツリ沁みると言いますか、「おっしゃる通りでござ~い」と思いますね。

 

宴席での先輩方のお話は、時に「長い…」「またか~」と感じることもあったけれど、後々役に立つ話、ためになる話が多かった。だから「聴けて良かったな」と思います。お酒が飲めなくても、いろんな宴席に参加しておいて正解だった。そして、「経費で落とすから、カネの心配はするな。つーか、若いもんが気ィ使ってんじゃねぇよ~」とか言われて肩をバンバン叩かれつつ(笑)、他社の先輩方にご馳走になりまくる、という経験も、今となっては貴重だったなぁ。

逆に、宴席が苦手な人にとっては、昨今の状況はありがたいというか、ホッとしている部分もあるでしょうね。友達の中にも、「忘年会も新年会もなくてめーっちゃ嬉しい。コロナが終わっても、飲み会は是非“復活してほしくない”派」という意見の人が結構います。かくいう我が夫も、「宴席っていうより、人が大勢集まること自体が不得手」だし、お酒も飲まないので、「その点助かってる」そう。先日、「うちの会社、『昨年に引き続き、今年も納会は見送ります』だって♪」と満面の笑みで報告してくれました。それほどまでにイヤだったのね、見送られて良かったね(笑)!