女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

他者と、暮らす

第1回目から視聴していたドラマ「恋せぬふたり」が、先日(3/21)、無事に最終回を迎えました。結末としては、アセクシャル同士の男女が、別々の場所で暮らしながらも『家族(仮)』(読み=かぞくかっこかり)として人生を共に歩んでいく…というラスト。“2人で選んだ道”を、2人それぞれが楽しそうに満喫している様子だったので、純粋に「良かったなぁ」と思ったし、セクシュアリティ関連以外にも、考えさせられることの多い作品でした。

 

登場人物の中で、私が一番興味を持ったのは、主人公の一人・高橋一生さん演じる高橋羽(さとる)。羽はスーパーの青果売り場に勤める40歳で、野菜が大好き&料理上手な男性です。アロマンティック・アセクシャルを自認しており、セックスはもちろん、異性に触れられたり性的な話をしたりするのもNG。同じくアロマ・アセクの女性で、もう一人の主人公・岸井ゆきのさん演じる兒玉咲子(こだまさくこ)と出会い、戸惑ったりぶつかったりしながらも、彼女と『家族(仮)』になろうと試みます。

 

「『恋愛したい』と思わない、思えない。でも、だからと言って一人でいたいわけじゃない。誰かと一緒に生きていきたい」という彼らの気持ちは、すごく共感できました。私はヘテロセクシャルだから、恋もセックスもしたいけれど、夫に対する感情は、独身時代の「好き♡」ありきの恋愛とは少し違います。当初は辛かった「性生活がゼロ」という現実にもすっかり慣れたし、“家に夫がいる”という安心感や、“絶対的な味方でいてくれる”という信頼感があるので、彼にセックスを求めるつもりは今後もありません。性欲は女風で解消すればいいし、恋愛も疑似であればいくらでも、何なら同時進行だって可能です(笑)。私は結婚願望がまるでない人間でしたが、今は「結婚して本当に良かった」と日々感じている次第。“恋愛抜きで家族になる”というのは、何もアセクシャルの方々に限った話ではないと思います。

 

私は成人後すぐに一人暮らしを始め、37歳で結婚。独身時代に2度の同棲経験があり、その合計年数は約8年半に及びます。つまり、半分くらいは“一人暮らし”ではなかった(笑)。大好きな彼氏と同棲するのと、いろんな意味で「ちょうどいい相手」である夫と結婚して家族になるのとでは、意味合いが大きく異なるけれど、要するに私は、“誰かと暮らす”とか“他者が家にいる”ことが結構好きなんだと思います。「ただいま」や「おかえり」を言い合う、今日あった出来事の話をする、美味しいものを一緒に食べる…そういう些細なことにホッとしたり、喜びや幸せを感じたりする。時にはイラつく瞬間もありますが、それ以上に新しい発見があったり、「ありがとう」と思ったりするんですよね。だから、羽が咲子に言った「もう戻りたくないです、一人には」という台詞は、だいぶ胸に刺さりました。どんなセクシュアリティであっても、寂しい気持ちとか、「誰かと一緒にいたい」という気持ちは同じなんじゃないかなと思います。当然、「一人が楽」という人や、「一人で生きていける」という人もいるでしょうが、私は断然、誰かと共に生きていきたい派。“考え方や感じ方の違う人”が側にいると視野も広がるし、補い合えるし、そのほうがいろいろとお得で楽しいです。

 

そして、羽に強い興味を持った理由がもう一つ。仕事と年齢です。羽は物語の終盤、青果売り場担当から店長代理へと昇進してしまいます。そうなると、全ての売り場に気を配る必要が出てきてしまい、“野菜のことだけを考えていればいい”というわけにはいきません。時を同じくして、大変魅力的な仕事(地方で農家さんにお世話になりつつ野菜を育てる)へのお誘いが。幼い頃からの夢だった、「野菜王国をつくる」が叶いそうな予感しかしないお誘いです。でも、現職場を辞めれば咲子との二人暮らし(←羽の祖母が遺した趣ある家で同居中)を手放す必要があるし、40歳で見知らぬ土地へ行き、新しい仕事を始めることへの怖さもある模様。結局、咲子に背中を押される形で、羽は大いなる一歩を踏み出すのですが、彼が悩む姿を見て「分かる~!」と首がもげそうなほど(笑)頷いてしまった。

 

私も、前職(雑誌記者)を辞めた大きな理由の一つに、「昇進してしまいそうだったから」があります。他にも幾つか要因はあるけれど、決定打となったのは昇進です。

38歳の時、上司より「創刊以来初の女性編集長誕生」を匂わされ、それがきっかけで退職を決意しました。当時既に副編だったのですが、もし編集長になってしまったら──誌面だけでなく全体のことを考えろ、一度「長」という肩書きがついたら簡単には降りるな、後進育成に力を注げ、各所で「長」として挨拶をしろ、現場取材じゃなく接待や諸々の駆け引きをメインに動け等々、思い付くだけでも“やりたくないこと”のオンパレードです。何より、「現場に行く数が減る」というのが一番ネックというか、取材できないなら記者でいる意味がありません。チラッと相談した人生の先輩方の中には、「これから体力も落ちてくるだろうし、ちょうどいいじゃん。自分で重い機材持って移動しなくてよくなるんだよ?」とか、「“権力を持ってこそ出来る仕事”ってのも存在する。編集長になったら、いろんなこと変えていけるよ。下の世代のためにも、挑戦する価値は十分ある」とか言ってくれる人もいたし、一理あるなとも感じましたが、私は“やりたくないこと”を沢山する仕事に就きたいとはどうしても思えませんでした。第一、人の上に立つ器や素質が、自分に備わっているとは思えない。

上司は「やってみて厳しそうだったら、正直に『無理です』と言えばいい」と気遣ってくれたけれど、それは無責任というか、読者の皆さまに対して失礼な行為だと感じました。私が読者なら、編集長がコロコロ変わるような雑誌は信用できない。プラス、私はその上司に“ついていく気”がなかったんですよね(本人には伝えてませんが・笑)。私が尊敬してやまない社長は「10年以内に勇退するつもり」だと言うし、会社に留まる理由を探すほうが難しかった。記者という仕事が大好きだし今も天職だと思っていますが、退職したこと自体は全く後悔していません。

 

私は現在不惑ですけれども、40歳なんてまだまだひよっこだと思っています。新しいことを始めるには、確かに勇気が必要だったり体力的に心配だったりする年齢なのかもしれませんが、遅すぎるとも無謀だとも思わない。「たかだか人生折り返したくらいで何言ってんだ」って感じです(笑)。ただ、羽のような性格の方や、「自分がマイノリティであることを自覚させられて辛い」とか「周囲と自分にズレがある」とかを強烈に感じてしまう方にとっては、「えいやっ!」と踏み出すことがものすごく怖かったり、「これ以上はみ出すのは嫌だ」と躊躇してしまったりするのかもしれないなぁと想像します。下記は、ドラマ内で羽が書いていたブログの抜粋です。

『前の仕事を辞めて1年が経った。転職くらい珍しいことじゃないと思う人も多いだろうが、僕の中では大革命、大冒険なのだ。思えばずっと、諦めの中で生きてきた。“なぜ自分のほうが伝わるように努力しなければいけないんだ? 理解してもらわなければいけなんだ? 僕のことは放っておいてくれ”。そう思っていたし、この考えが間違っているとは思わない。ただ僕は、この1年と少しの間の新しい出会いによって、ほんの少しだけ、諦めの中から飛び出してみることにした。諦めをやめた分だけ、自分にかえってくるものがあって、多分今、生まれて初めて思っている。“こんな人生も悪くない”って』

 

正直、驚きました。40年間生きてきた羽が、『“こんな人生も悪くない”と初めて思えている』という事実に。もちろん、それまでの人生が全く楽しくなかったわけじゃないだろうけど、外から見るよりもずっと、息苦しさや葛藤等を抱えながらの生活だったのかもしれないと感じました。そしてある日、自分にはない思考を持つ咲子と出会い、突拍子もない提案をされたり、「その発想は無かったです…」と戸惑うような意見をぶつけられたりしていくうちに、「それもアリなのかも」と思えるようになって、羽は生きるのが少し楽になります。例えば。

「私たちは別々に暮らしたって一人じゃないし、家族じゃなくなったりしません。諦めるんじゃなくて、“両方取り”です」

「何も決めつけないでよくないですか? 私たちも、家族も、全部“(仮)”で。言葉にすると、それに縛られちゃうんです。周りに決められた『普通』に、縛られたくない私たちでさえも」

 

羽は、「家族は一緒に暮らすもの」だと考えていたから、自分が転職して地方へ行った場合、咲子との“家族(仮)関係”は必然的に解消することになる…と思い込んでいたんですね。だからこそ、「一人には戻りたくないです」という言葉が出た。でも咲子は、平然と「別々に暮らしたって、“家族(仮)”は終わりになりませんよ」と言い切ります。咲子の言う通り、知らず知らずのうちに、羽は「家族」という言葉に縛られ、身動きが取れなくなっていたのかもしれません。

 

なお、辞書によりますと、「家族とは、夫婦・親子を中心とする近親者によって構成され、相互の感情的絆に基づいて日常生活を共に営む小集団」「家によって結ばれたつながり・共同体のことであり、一般的には『夫婦や親子、その他の血縁』『同じ家に住み生活を共にする者』という意味合いまで含めて用いられる表現」だそうです。なので、羽の解釈は間違っているわけじゃないのだけれど、「一般的には」とありますゆえ、そこから外れても別にいいんだと思います。実際、別居婚週末婚、単身赴任の方々に対して「夫婦じゃない」「家族じゃない」とか思わないですしね。咲子は、そのあたりをスルッと、ごく自然に飛び越えられる思考の持ち主なのでしょう。一人では不可能だったであろう決断をさせてくれる…というか、「こういう選択肢もありますが、どうですか?」と提案してくれる存在──羽にとってはそれが咲子で、『諦めの中から飛び出す』後押しをしてくれた“初めての人”なんだろうなぁと感じました。

 

エンディングで咲子が発した、「私の人生に何か言っていいのは私だけ。私の幸せを決めるのは私だけ」という言葉。それは確かにその通りなのですが、“自分以外の誰か”の意見や考えも、個人的には大事だと思っています。

どんな人生を選ぼうと、何かを言ってくる人、口出ししてくる人は必ずいます。事実、私も「夫婦別姓を望んでいる」「結婚しても子供は作らない」と発言した途端、やいのやいの言われたことは何度も、そりゃもう数え切れないほどございます、えぇ(汗)。この地球上で同じ時を生きているのだから、それはある程度仕方ないでしょうし、異なる考えがあるのも当たり前。肝心なのは、相手の意見を無理に変えさせようとしたり、意地でも論破しようとしたりせず、お互いに尊重し合える環境を作ることなんだと思います。要は「それは違う」ではなく、「そういう考えもあるんだね〜」で済ませられる話ですからね(笑)。そして、「素敵だな」「なるほど!」と感じた意見は素直に取り入れればいい。

自分の“芯”や“軸”はしっかり持ちつつ、誰かの影響を受けるというのも、また素晴らしいし楽しいと思います。私自身も、夫の考え方や物事の捉え方に驚いたり感心したり、「信じ難いわぁ」と思ったり(笑)するけれど、日常生活の中でそういう体験が出来るのは結構面白いです。そういうところに、“他者と暮らす醍醐味”があるのかもしれませんね。