女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

「好き」ゆえの葛藤

過日、深夜に一人、学園もののドラマを観ておりました。映し出されたのは、新任の高校教師が、とある夏祭りのチラシを手にしたシーン。その夏祭りは、「カラフルレインボーハッピーサマーフェスティバル」という実に浮かれた名称です(笑)。

彼女はチラシを眺めつつ、『ってか、カラフルとレインボー、重複してるし』と、至極もっともなツッコミを入れたのでした。

私が気になったのは、その読み方です。制作側の指示なのか自己判断なのかは分かりませんが、役者さんは重複を「じゅうふく」と発音していました(正しくは「ちょうふく」)。担当教科が国語ではなく日本史とはいえ、彼女は仮にも“教師”という役どころ。もし私が監督だったら、きちんと「ちょうふく」と読ませるか、台詞自体を『ってか、カラフルとレインボー、意味カブッてるし』あたりに変えると思います(*なお、彼女は他にも『黒髪ロン毛』を「くろがみろんげ」と発音していたため、ひょっとしたら、原作漫画で“ちょいちょい漢字を読み間違えるキャラ設定”とかなのかも…? だとしたらすみません・汗)。

 

言葉や文字というのは、時代に合わせて変化を繰り返してきたし、これからも変化及び進化し続けていくことでありましょう。実際、今は重複=「ちょうふく」と読む人が6割程度、残りは「じゅうふく」と読むらしい、とのデータもある。ただ、テレビという巨大なメディアにおいては、「なるべく正しい言葉を使ってもらいたい」と思うのです。

 

私はドラマやアニメ、ドキュメンタリー等は好きですが、バラエティー番組はごくたまにしか観ません。理由は①「面白い」と思わないから、②テロップが邪魔だから、の2つです。

加えて昨今、「テロップのクオリティー低下が著しすぎる」と感じています。そもそもテロップは要らない派だけれど、あれだけのサイズと色合いで表示されると嫌でも目に入るし、「付けるのであればちゃんとしてくれ」と思う。

 

私は前職・記者、現職・校正者(※2022年4月時点)なので、「言葉や文字に関して相当うるさい」という自覚がめちゃくちゃあります(笑)。大抵のルールが頭に入っているせいか、スルーしたくても自動的に気付いてしまうんですよね。友達とのたわいない会話とかLINEとか、そういう場面では誤用や誤字なんてどうでもいいのですが、本や雑誌、テレビ等の誤字脱字、誤用、送り仮名間違いは本当に気になる。だって、与える影響が計り知れないから。

 

日本語が堪能な外国人に出会うと、必ず「どうやって勉強したの?」と尋ねます。返ってくる答えの2大巨頭が、「好きな日本の漫画を読んで覚えた」「日本のテレビ番組の字幕(テロップ)で覚えた」(*学校ではなく、独学で習得した人に限ります)。

ということは、日本人の子供たちも、漫画やテレビ番組で、自然と母国語を学んでいる可能性があるわけです。漫画は校閲が入りますからひとまず安心として、テレビ番組、特にバラエティー番組のテロップは誤字脱字だらけ。あれで母国語を学んでしまったら、非常に間違いの多い状態でインプットされてしまいます。YouTube等でも、間違ったままのテロップが溢れ返っているため、「この流れはどんどん加速しちゃうんだろうな〜」と実感中。言葉を大切に思う人間としては、悲しいというか寂しいというか、残念極まりないです。日本語、せっかく綺麗なのにな…。

 

そして現在、私自身が悩みと葛藤を抱えながら仕事をしています。というのも、“校正者なのに校正させてもらえない”ことが増えたからです。もちろん、書籍や絵本、教科書等はきっちりした校正を求められるけれど、ここ最近のエンタメ作品は、そうでないものが驚くほど多い。

「誤字だけ完璧にチェックしてくれれば、あとは全スルーでオッケーです」

「多少言い回しが変でも、送り仮名が違ってても、固有名詞さえ合ってればそれでいい。細かい校正は不要」

ご依頼の段階で、そう言われることが本当に増えました。

 

「発売日が迫ってるし、今回は明らかな誤字以外は全部無視」「一つ直すと、そこ以外も(位置が)ズレたりして結果的にミスの可能性が上がる。だから放置を選ぶ」「デザイン重視。文字は二の次」──

私たちの仕事は、当たり前ですがクライアントありきです。先方の言うことも、頭では理解できる。でも私は、お客としてCDやBlu-rayを買う際、封入されている歌詞カードやブックレットをものすご〜く楽しみにしています。内容をじっくり読み込むし、誤字も脱字も表記の統一も気になる。脱字があったり表記にバラつきがあったりすると、そのアーティストの世界観、作品全体の世界観をも壊されたようでガッカリしてしまうのです。

 


そして校正者としては…いえ、私個人としては、“間違いに気付いているのに指摘できない”ということが日に日に大きなストレスとなり、精神的に負担が掛かっています。転職当初、「自分は校正者に向いている」気がしていたけれど、今は「違うかも」と思っています。“誤りがある”と分かっているものを、そのまま世に出さなければならない現実を、「すごく苦しい」と感じてしまう。クライアントの意向には沿っていても、“自分の心”には従っていません。

 

確かに、文章が稚拙だからといって、送り仮名が間違っているからといって、命を取られることはまずないでしょう。一方、歌手名や役者名等、固有名詞の誤りは致命的です。下手をすれば「市場から全回収→訂正して再プレス」となりますので、莫大な費用と各方面への迷惑が掛かってしまう。ゆえに、クライアントの主張は正しいというか、まさにその通りだと思います。分かってはいるのですが、正直「こんな原稿のまま商品として発売するって…本気ですか?」と感じるケースも少なくない。

「クライアントはそれで満足してるんだから、何一つ問題はない」

そう割り切り、“ちっとも整っていない原稿”を見なかったことにして、黙々と作業を進める──。それが上手く出来ない私には、現在の職場はあまり合っていないのかもしれません。

“出来ること”と“向いていること”は、必ずしも一致するとは限らないんですよね。今一度この仕事と向き合い、続けていけるかどうか、「生涯に渡って続けていきたいのか?」を真剣に考えてみたいと思います。