女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

推し活予算

20年来の友人・Mは、とあるバンドの大ファンです。都内はもちろん、地方遠征を含めたライブ参戦、あらゆる円盤(CDやらDVDやら)及びグッズの購入、出演番組全チェックと、「『ちょっと好き』とかのレベルじゃなく、ゴリッゴリのガチファン」でございます。それは私も承知しているし、お互い“推し活話”も結構するので今更新しい発見もそうないのですが、先日意外な話題になりました。それは、「今日まで推しに合計いくらお布施した(=使った)か?」ということ。

 

そのバンドを好きになってから、「早や24年が経つ」というM。彼女が公認会計士だからか、単にきっちりした性格だからかは分からないけれど、「お布施額はほぼ把握している」と聞いてびっくり。その額、「現時点で730万円以上」。

 

自虐気味に「そんなに使ってバカだよね〜。周りからも呆れられてるよ…」とLINEしてきた彼女に対し、「ちっともバカじゃない。夢中になれる対象があるのは素敵なことだよ。それに、自分で稼いだお金をどう使おうと自由じゃん。っていうか、“そこまでの長い間、メンバー不変且つ第一線で活動してくれる推し”って素晴らしすぎるんだけど♡」と大真面目に返したところ、興奮したMから秒で電話がかかってきました(ちなみに過去イチ早口でした・笑)。

「だよね! これだけ推させ続けてくれるってスゴイよね! 私、◯◯◯(←バンド名)がいるから頑張れるんだ。仕事は忙しいし、育児も予想してたよりずっと大変で、正直全部投げ出したくなっちゃう時もあるけど、何とか踏ん張れるのは彼らのおかげ。そう考えると、730万なんて安いもんだよねーっ♪」

 

730万円が“安いもん”かどうかはひとまず置いておきまして(汗)、「推しが存在することで頑張れる」「推しを推すために生きている」という人は世の中に大勢います。それが二次元であれ三次元であれ、或いは疾うの昔に他界している人物であれ、その尊さや大切さは皆等しいと思う。


私は音楽全般が好きなので、聴くジャンルも多岐にわたるし、推している人数自体がかなり多いです。よって“たった一人の推し”に大金をつぎ込んだことはないけれど、「もし音楽を奪われてしまったら、精神を保つのはきっと無理だろうな」と、経験しなくとも分かります。

恋した時、落ち込んだ時、嬉しい時、悩んだ時、泣きたい時、絶望した時、高揚した時、頭を空っぽにしたい時、気持ちを切り替えたい時、一人になりたい時…等々、“欲したその瞬間、すぐ側に音楽がない”という状況は考えたくないというか、悲しすぎて想像したくない。

昨秋、人生初の長期入院をした際も、“好きな曲全部入り”のミュージックプレーヤーがなかったら、無事に乗り切れなかったと思います。メンタル的にもフィジカル的にも、“極限まで追い込まれた感”のある入院生活の中で、推し達が奏でるメロディー、綴る歌詞、そして歌声は、私を慰め、励まし、寄り添い、見えない力を沢山くれました。だから、Mの気持ちは痛いほど分かります。彼女は度々、◯◯◯への感謝を口にするのですが、私も「音楽がある世界に生まれて本当に良かったなぁ」と日々感じています。

 

それはそうと、Mから具体的な金額を聞いたせいか、もんのすご〜く興味が湧いてしまい、電話を切った後で勝手に計算してみました。お布施額は24年間で730万円以上ですから、単純計算しますれば、年間30万円くらいが“Mにとっての◯◯◯予算”ということになります。月平均では約25,000円。その額なら、決して「安いもん」ではないにしろ、確かにそこまで高いわけでもないような気がしますね。

私だって、コロナ前は毎年国内外を旅していたし、旅行に並ぶ趣味であるエンタメ(ライブ参戦やら舞台鑑賞やら)や、一眼レフカメラ等を楽しむにも結構お金がかかります。でも、そのお金を「勿体ない」と感じたことは一度もありません。むしろ嬉しいというか、経験・体験を連れ&出演者と共有できたり、風景やお芝居に心を動かされたり、“その瞬間や空気感を閉じ込めたもの(写真とか円盤とか)”を手元に置いたりできる喜びでいっぱい。ここ2年半は、年間何十万円という[旅行予算]が丸々、[女風予算]に回っておりますけれども(笑)、それだって全然惜しいと思わないなぁ。

 

私はきちんと貯蓄をするタイプの人間ですが、“自分が思う必要額”以上に貯め込むことはしていません。どれほど財を成した人物でも、その資産を隠世まで持っていくことは出来ないし、第一、いつまで現世にいられるかなんて誰にも分かりませんのでね。「命は永遠ではない」という至極当たり前の事実を、コロナ以降、実感し続けて…いいえ、“させられ”続けています。

ゆえに、私は「今」を目いっぱい楽しみ、そして存分に味わいたいです。未来はいつだって、今の延長線上にある。私は明日からも、可能な限り「今」を大切に生きていくつもりです。