女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

75歳

皆さま、映画はお好きですか? 私は“大の映画好き”とまではいかないけれど、年間10~15回くらいは映画館へ足を運んでいると思います(ちなみに邦画が多いです)。テレビで放映される作品もそこそこ観ますが、やっぱり家とは音響が全然違うし、「大きなスクリーンで他のお客さんたちと一緒に観る」「普段は買わない炭酸飲料+盛り盛りポテトという組み合わせを楽しむ」という特別感&背徳感がたまらないんですよねぇ♪

 

さてさて。平均月イチ鑑賞なのにもかかわらず、先週だけで2回、映画館へと出向きました。「なるべく間を空けずに観たい」と思った作品があったからです。1本は「メタモルフォーゼの縁側」、もう1本は「PLAN 75」。

 

「メタモルフォーゼの縁側」は、ほっこり系の作品。年の差58歳の2人が、BL漫画をきっかけに偶然出会い、心を通わせる物語です。17歳の女子高生と75歳の老婦人が、互いに影響し合い、成長したり、メタモルフォーゼ(*「変身」「変化」の意)したりしていく様子が生き生きと描かれています。〔出演=芦田愛菜宮本信子、ほか。原作=鶴谷香央理「メタモルフォーゼの縁側」、脚本=岡田惠和、監督=狩山俊輔〕

たまたま原作漫画を知っていて、「“推し”について好きなだけ語り合える相手は貴重だし、そういう相手と過ごす時間って最高に楽しいもんね♡」と深く共感していたため、「観に行きたいな」と思っていました。

 

「PLAN 75」は問題提起型のシリアス系作品。舞台は、少子高齢化が進みに進んだ、近い将来の日本。ある日、満75歳から“生死の選択権”を本人に与える制度《プラン75》が国会で可決、施行されます。主人公・角谷ミチ(78歳)を中心に、《プラン75》を受け入れる高齢者、反発する高齢者、そして制度に携わる市役所職員らの迷いや苦悩、葛藤を描く…という、かなり重めの内容です。〔出演=倍賞千恵子磯村勇斗、ほか。脚本・監督=早川千絵〕

こちらは、早川監督が同作品について淡々と語っているインタビュー映像を偶然目にし、「ぜひ観たい」と思いました。

 

両者の共通点は「75歳」。私にとっては35年後ですから相当先の話だけれど、大好きだった祖父が75歳で他界したせいか、「75歳」というのは“何となく引っ掛かる数字”なんですよね。

 

※ここから先はネタバレを含みます。2本とも現在上映中の作品ですので、今後鑑賞予定の方や、詳細を知りたくない方はご注意ください。

     ↓↓↓以下、ネタバレあり↓↓↓

 

 

 

 

 

 

「メタモルフォーゼ~」は、鑑賞中も鑑賞後もニヤニヤ…いえ、ニコニコが止まらない感じの良作でした。宮本信子さん演じる老婦人・雪がとにかく魅力的なのです。

雪は、本屋さんで平積みされている表紙を見た瞬間「きれいな絵」だと感じ、それと知らずにBL漫画をジャケ買い。読み進めるうち「あら! あららら…♡♡♡」と男性同士のラブストーリーだと気付くのですが、彼女は純粋に続きが気になって(要は偏見等を持たず)2巻、3巻と買い揃えていきます。やがて、登場人物たちを心底応援したり、続きが読みた過ぎて「ごめんね。まだそっちへ行けそうにないわ」と夫の仏壇にいたずらっぽく微笑みかけたり、若い読者に交じって作者さんのサイン会に並んだりと、“己の心”に従って行動します。

夢中になれるものに出会えたこと、そして、その“夢中になれるもの”について語り合える友達(芦田愛菜さん演じる高校生・うらら)が出来たこと…全てが嬉しそうで、「楽しくて楽しくて仕方ない感じ」がスクリーンから溢れ出ていました。あんなふうに年を重ねられたら素敵だし、あらためて「推しの力は偉大だ!」と感じましたね。雪とうららが歌うエンディング曲「これさえあれば」もすっごく良かったなぁ。聴いていて心が弾み、“私の中の推し”が次々脳裏に浮かびました。

 

一方、「PLAN 75」でまず驚いたのは、その客層です。私が鑑賞した回は、ぱっと見8割以上が年配の方という印象でした(しかもほぼ満席)。よく利用する映画館なのですが、そういう状況は初めてだったので思いきり動揺。架空の制度である、《プラン75》への関心の高さが伺えます。実際、私の左隣は60代後半~70代前半の女性、前の座席も同様のご夫婦、右隣は50代後半~60代前半の女性。アラフォーの私が“若い部類”に入ってしまうという、何やら不思議な光景でした。

 

「PLAN 75」は「メタモルフォーゼ~」と違い、ほのぼのするようなシーンは皆無。重いテーマについて、“観客それぞれに考えさせる作品”だと感じました。

座席が最後列だったこともあってか、左隣の女性は時折身を乗り出し、拳を握りしめ、スクリーンを凝視しているような様子でした。上映後、2人連れの女性客(60代くらい)が「最後のあれ、どう思う?」「あれね~。でもま、みんな死んじゃったら映画になんないんじゃない?」「そりゃそうだ、ワハハハ!」と爆笑していて和みましたが、劇場全体としては、何とも言えずどんよりした雰囲気。私も気持ちを切り替えるべく、映画館を出た途端、ゴリッゴリのロックを爆音で聴きまくったほどです。

 

で。鑑賞から数日経った今、私が胸に抱いている感想は「《プラン75》っていうか、《プラン枠外の人》じゃない?」というもの。例えば高齢者、例えば障害者、例えば引きこもりの人、例えば学校や社会から一度でもドロップアウトしたことがある人。日本はこういう方々にとって住みにくいというか、寛容でない部分もあるなと感じています。

転職活動の際イヤというほど経験したのですが、退職からたった半年空いただけで、「この期間は何をしていましたか?」と必ず訊かれるんですよね。「今まで16年間忙しく働いてきましたので、ここぞとばかりに自由を満喫しておりました!」…というのが真実だけれど、転職エージェントさんから「本当のところは絶対に言わないでください」と釘をさされたのです。「資格の勉強をしていたとか、転職先の業界について学んでいたとか、無難な答えにしておいたほうがよいでしょう」。

誰に頼るでもなく、自分のお金と責任できちんと生活しているにもかかわらず、「長い人生のうち、たった半年間プラプラするのも許されないとは…随分息苦しいなぁ」と感じました。海外の友達で「32歳まで学生だった」という人や、「転職回数? そんなの多すぎて覚えてないよ(笑)」という人もいるけれど、とびきり優秀な彼らを以ってしても、日本では“特殊”だと捉えられてしまうんでしょうねぇ…。

 

何度か書いている通り、前職ではエンタメ系雑誌の記者をしておりました。記者自体は2020年秋に辞めたのですが、担当していた歌手や俳優の中には、今も友人関係が続いている方々が結構います。残念なことに、コロナ以降、職を変えた(変えざるを得なかった)人が数名。彼らは、若い頃より歌や芝居に全力投球してきた分、一般社会においては知らないことや不慣れなことも多いです。

先日、その中の一人から連絡があり、1時間ほど話をしました。「自分の出来なさ加減に日々落ち込む」そうで、「頑張ってるけど、だいぶしんどい…」と辛そうでした。一部のトップを除き、芸能人やスポーツ選手のセカンドキャリアはかなり厳しいというか、一筋縄ではいかないと思います。一般常識や社会人としての基礎が備わっていないケースも多々あるため、当然といえば当然なのかもしれません。それでも、「何とか戦力になりたい」「一人前になりたい」と努力している姿勢は認めてあげてほしいと、勝手ながら願ってしまいます。

キャリアに一貫性がないからダメ、“空白の時間”があるからダメ、引きこもり生活をしていたからダメ、病院通いをしているからダメ…等々、少しでも「枠」や「レール」からはみ出した人間とは出来るだけ関わらない、或いは除外する。日本はそういう思考が強いのかなぁと、近年特に感じています。

 

以下は、早川監督のコメントです(「PLAN 75」公式サイトより抜粋)。

『2000年代半ば以降、日本では自己責任という言葉が幅をきかせるようになり、社会的に弱い立場の人を叩く空気が広がっていったように思います。そして2016年、障害者施設殺傷事件が起こりました。人の命を生産性で語り、社会の役に立たない人間は生きている価値がないとする考え方は、既に社会に蔓延しており、この事件の犯人特有のものではないと感じました。政治家や著名人による差別的な発言も相次いで問題になっていましたし、人々の不寛容がこのまま加速していけば、《プラン75》のような制度は生まれ得るのではないかという危機感を覚えました。そんな未来は迎えたくないという想いが、この映画を作る原動力となりました』

 

「PLAN 75」のあらすじを読んで、民話「姥捨山」を思い出す人も多いのではないでしょうか。かく言う私もそうでした。

姥捨山」を題材にした短編小説「楢山節考」(1956年/深沢七郎)に始まり、「銀齢の果て」(2006年/筒井康隆)、「デンデラ」(2009年/佐藤友哉)、「オールド・テロリスト」(2015年/村上龍)ほか、“姥捨山”を連想させる小説は過去にも発表されているし、映画化されたものも何作かあります。よって、「別に『今だからこそ』の思想や発想というわけでもないんだな〜」とも思います。もちろん「PLAN 75」に限っては、“やまゆり園”の事件があって、初めて誕生した作品でしょうけれども。

 

なお、私はもともと、尊厳死安楽死に関しては肯定派です。ただし、本人が望んでいないのに、「高齢者」というだけで肩身の狭い思いをさせられ、挙げ句“死を選ばされてしまう空気”は、当然間違っていると思う。「日本男児たるもの、名誉の戦死を遂げよ!」的な雰囲気を、国全体で醸し出していた(と伝え聞いている)イヤ〜な時代とイメージが重なります。人間が人間の「生きる権利」を無理やり奪う行為は、昔も今も将来も、許されていいことではありません。

  

35年後、日本は、そして世界はどうなっているんだろうなぁ──。

私は未来に思いを馳せる時、楽観的だったり突拍子もなかったりする妄想はしますが、暗い想像はあまりしません。「先のこと考えて不安になったって仕方ないじゃん。大体、考えたところで分かりっこないんだし(笑)」と思っています。未来は“今”の積み重ねでしかないのだから、今を楽しく生きることのほうがよっぽど大切だと思うんですよね。

けれど、雪さんのように“輝いている人生の先輩”を見ると、元気が出るし憧れます。いくつになっても、「何かに夢中になる」「新しい感情や環境を、先入観なく受け入れる」ことが出来るって本当に素晴らしい。私自身も、柔軟な感性や、「思い立ったが吉日」の行動力を失わずに生きていけたらいいな〜と思っています。

 

⭐︎追記⭐︎

ポスターや予告映像を目にした時から、「どっちにも見えるけど、実際はどっちなんだろう?」と気になっていたタイトル表記。正しくは「PLAN75」(ツメ)ではなく「PLAN 75」(半角アキ)でした。ご覧の通り、チケットの小さ〜い文字もそう印字されていますし、公式サイトでも半角アキでございました。

私の現職(*2022年夏現在)は校正者。仕事でエンタメ作品にかかわることも少なくないので、たとえ私用ブログでも、記事を書くならこういう細かい部分まで確認せずにはいられません。職業病、万歳(笑)!

 



余談ですが、劇場入口で、フジ系夏ドラマのプロモーショングッズを配っていました。
「テッパチ!」、7/6(水)の22時スタートだそうです。もし観れたら、観ますね…汗