「自分の子を産み育てたい」と願ったことは、一度たりともない私。ですが、子供が苦手とか嫌いとかでは全然なく、むしろ好きな部類に入るだろうと予想致します。よって、友達の子だったり、姪っ子・甥っ子たちと触れ合うのは大変楽しい。夏休み期間中は、姪っ子(*実妹の子/小学校低学年)、甥っ子(*義兄の子/小学校高学年)と2回ずつ会いました(もちろんそれぞれの親も一緒に)。
誰の子も同じくらい可愛いけれど、会う頻度が高いのはやはり姪っ子です。お決まりのパターンは、みんなでちょっと贅沢なランチ→妹宅へ移動→義弟外出or昼寝→女3人でおやつを食べながらトーク…というコース。
そして。先月中旬、妹から「夏休みの宿題で“読書感想文”があるんだ。悪いんだけど、それチェックしてもらえないかな」と頼まれてびっくり。というのも、「生成AIが普及して以降、“読書感想文を書かせる”っていう宿題はめっきり減った」と複数の友人より聞いていたからです。
「書かせるにしても、『家への持ち帰りは禁止』『先生が見ている前で作業する』とか、何かしらの条件付きってことが多い」
「うちの子の小学校は、そもそも夏休みの宿題がゼロなんだよね。読書感想文に限らず、その他…かつては定番だった、自由研究とか朝顔の観察日記とかもない。だけど、旦那と話し合って『1ヶ月以上何も勉強せずに2学期迎えると、逆にしんどい思いするんじゃないか?』ってなったから、ドリルやら何やら色々買ってきてやらせてるよ。うちの場合、塾通わせるような余裕もないしさ」 ──etc.
ゆえに「読書感想文って、現代にもまだ存在してたんだ!」と驚きました。そしてこの後、私は別の驚きを体験することとなります。以下、詳細です。
①その宿題が、「好きな本を5冊選んで読み、うち1冊の感想文(原稿用紙3枚程度)を書きなさい」という、なかなかにハードルの高いものだった
②姪っ子の感想文は、小学校低学年にしてはよくまとまっていたし、誤字脱字も無いに等しかった。にもかかわらず、妹の口から褒め言葉や労いの言葉が一切出なかった
まずは①。“およそ1ヶ月の間に5冊”というのは、読書好きにとっては何でもない数字というか、どちらかというと物足りない感すらあります。でも、読書や活字が苦手な人からすれば、「いや多いよ…」と感じる数ではないでしょうか。プラス、原稿用紙3枚、つまり1,200字も、書くのが不得手な人には決して少なくない量だろうと思われます。
自分が小学生だった頃、何文字指定の感想文を書かされたのか全く覚えていないけれど(笑)、その手の課題で苦労した記憶はありません。読むのも書くのも、小さい時から好きだったので♪ ただ、読書嫌いの友達はもれなく大変そうだったし、中には「何も感じてないのに書けるわけない。それとも嘘でもいいから無理やり書けってこと?」的な意見を先生にぶつけていた猛者もいました。課題図書だったから全員同じ本を読んだのですが、「これ読んで何も感じない人もいるのか〜」と新鮮でしたね。今考えると、「感想文を書きたくないあまり、実際は1行も読まずに屁理屈を並べていただけなんじゃ…?」という気もするけれど、当時はめちゃくちゃ不思議だったし面白かった。「同じ本を読んでも、みんながみんな何かを思ったり、似たような感想を持ったりするわけじゃないんだ。算数は答え(正解)が決まってるけど、国語は答えがいっぱいある。それってすごく楽しいなぁ」と、ますます国語が好きになったのでございます。
ちなみに。「5冊って、どんな本読んだの?」と尋ねたところ、喜んで全冊見せてくれた姪っ子。ちょっと意外なジャンルや、背伸びしたようなジャンルも含まれていましたが、どれも挿し絵少なめで字はたっぷりだったため、「現状、読むこと自体は嫌いじゃないんだろうな」と感じました。文字がだ〜い好きな伯母としては嬉しい限り♡♡♡
続いて②。わが妹は、「お姉ちゃんと違って、私は作文書けない。無理。ってか嫌い」なタイプの人間です。昔から、酔っ払って「私が得意なのは運動だけ。音楽とか美術とか国語とかの芸術方面は、全部お姉ちゃんが持ってった」と冗談っぽくこぼすことがあり、若干コンプレックスを抱いている模様。読書感想文にしても、「(娘に)質問されても上手く答えられない、教えてあげられない」と何日も悩んだんだとか。で。義弟と家族会議を開き、そこで出た結論が「一旦お姉ちゃんに丸投げしてみる」。うん、実に潔くてよろしい(笑)。
別にきょうだいや親戚じゃなくても、“それが得意な人”が身近にいるならどんどん頼ればいいと思います。今回の場合、普段から妻、ママ、パートタイマー…一人で何役も頑張っていて、誰よりも娘のことを思っている妹からのお願いです。読書感想文をチェックするくらいお安い御用だし、私にできる協力は何だって惜しみません。
さて。いざチェックの日。
1,000文字強で綴られた姪っ子の感想文は、贔屓目なしで「直すところは特にない」。まだ小学生ゆえ、句読点や鍵括弧の使い方などが間違っている箇所はチラホラあったけれど、それ以外…例えば全体の構成や流れに問題はないし、本に何が書かれていたか、そして読んでみてどう思ったか?もきちんと伝わってくる。姪っ子が「ここはどうしたらいい?」と訊いてきた内容自体も割と高度といいますか、“文章に対して真剣に向き合っているからこそ出てきた質問”という感じがしました。「ついこの間生まれたと思ってたのに、もうこんな立派な文が書けるようになったとは!」とうっかり泣いてしまうところだったじゃないか(笑)。
あ、肝心の本題がまだでしたね(汗)。姪っ子の感想文を読んで、感激しながら「よく書けててびっくりしちゃったよ。文章とっても上手だね」と彼女の頭をなでなでする私。すると、照れながらも嬉しそうに私の目をのぞきこみ、「本当?」と繰り返し尋ねる姪っ子。私たち2人を交互に見ながら、妹がぽつりとこぼします。
「私って厳しすぎるのかな…」
妹は、姪っ子の作文を読んだり、授業で描いた絵を見たりしても、「特に上手いと思ったことはない。だから褒めたこともない」んだそうです。でも、保管してあった過去の作品を見せてもらったら、どれもよく書けて&描けており、私からすれば「褒めるところしかないじゃん!」という印象。まぁ、月に一度会うか会わないかの私と、毎日顔を合わせている妹とでは感激度合いが違うのは当然だし、親が子供に思いきり期待してしまう気持ちも分かります。なれど、少し褒めただけであんなに嬉しそうな顔をして、その後も繰り返し評価を聞きたがる…ということは、「日頃から『もっと褒めてほしい』と思っているのでは?」という気がしました。妹夫婦の教育方針に口を出すつもりはないものの、正直「ちょっと可哀想だな」と思ってしまった。帰り際、私の服の端をちょんとつまみ、「次はいつ来るの?」と正確な日付まで確認しようとする姪っ子。そんなことは初めてだったので、ひょっとしたら、こちらの想像以上に“身近な大人から掛けられる褒め言葉”を欲しているのかもしれません。
その日の深夜、妹から長文のLINEが送られてきました(*下記はかいつまんだ内容です)。
「私は(娘の)足りないところ、できてないところばっかり目について、すぐ怒ったり注意したりしちゃう。それも必要なことだと思うけど、今日お姉ちゃんとの会話見て「“良いとこを褒める”“できたとこを褒める”って、私全然やってなくない?』って気付いたよ。めっちゃ反省した。できて当たり前、じゃないんだよね。昔は『立った!歩いた!喋った!』だけで感動してたのにさ…。叱るのも、褒めるのも、両方ちゃんとやろうって思った。◯◯(←姪っ子の名前)があんなにずっと笑ってるの、久しぶりだった気がする。これからも、客観的な意見よろしくお願いします」
私が何も言わずとも、妹自身でいろいろ考えたようでした。も〜ぅ!うっかり泣いてしまいそうになったじゃないか(2回目・笑)。
最後に。
一番の驚き…いえ、疑問点はこれです。文章を書くのも絵を描くのも苦手なのに、愛娘のそれを見て「上手いと思ったことがない。だから褒めたこともない」と言い切る妹。揺るぎない、そして根拠のないその自信は一体どこからやってくるのか? 「私は作文が書けない」と言いながら、娘の作文に迷わず「上手いと思わない」というジャッジを下す…。全くもって理解できません。
一方の私。昔から文章が得意&好きだし、長年それを生業にしていた実績があります。だから国語に関しては自信と責任を持って助言できるけれど、苦手な分野…それこそ理系はからきし駄目なので、たとえば数学関連の質問には絶っ対答えられない。運動能力の高い妹が、姪っ子のダンスだったりリレーだったりを見て、アドバイスを贈るのはごく自然なことだと思います。でも、苦手な分野だと、上手いとか下手とか普通とか、それ自体判断できなくないですか? もし私が同じ立場だったら、「ママは文章不得意だし、ちゃんと書けてるのかそうじゃないのか分からない。ごめんね」と答えると思います。とてもじゃないけど、きっぱりはっきり「上手いと思わない」なんて言えません。う~ん、やっぱり理解不能です。
なお、万一姪っ子が生成AIを駆使して感想文を仕上げていた場合に備え、小説・エッセイ・読書感想文等々を、実際生成AIに指示を出して数点書かせてみました。傾向を調べるためには、自分の目で確かめるのが一番ですからね。
個人的な感想としましては、「確かに書けているといえば書けている。ただしどれも特徴がなくて無難。全然面白くないし、心動かされる部分もない」。しかしながら、別段面白味を必要としない書類だったり、テンプレで問題ない(=個性を出さないほうがいい)書類だったりに活用する分には便利だろうと思います。“最終確認は生身の人間が行う”という条件は必須でしょうが、たたき台だけなら短時間で作れる。「そこに費やす時間や労力がもったいない。カットして他に回したい」という考えの人にとっては、十分“頼れる相棒”となり得ます。
私は以前から、ChatGPT等の生成AIについて自分なりに勉強していたけれど、今回さらに深掘りする機会を得てより詳しくなりました。姪っ子のことがなければ、「AIに読書感想文を書かせてみる」という発想そのものが生まれなかったことでしょう。度々「子供を育てていると同時に、自分も子供に育ててもらっている」という話を聞きますが、それって親に限ったことではなく、周りの人間にも当てはまることだと思うんですよね。自分の子供でなくとも、幼い子や思春期の子たちと接することで、大人側も学んだり気付かされたり考えさせられたすることは沢山あります。
つまり。私からすれば、世のお母さん・お父さんたちは、子育てのみならず、間接的に“大人育て”もしている方々だと言えるのです。皆さま、ありがとうございます。妹夫婦もありがとう♡ これから先も、大いに勉強させてくださいませ。