女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

再放送大歓迎♡

私が“アセクシャル”について深く考えたり詳細を調べたりしたのは、2022年春のこと。そのきっかけを与えてくれたドラマ「恋せぬふたり」(NHK総合)が今夜、及び来週の深夜にまとめて再放送されます(全8話、4話ごと)。気になっていたけれど見逃してしまった方や、「もう一度観たい」と願っていた方は、ぜひご覧になってみてください。私も再度、視聴する予定です。


◎出演/高橋一生さん、岸井ゆきのさん、西田尚美さん、小市慢太郎さん、ほか

◎脚本/吉田恵里香さん(←現在放送中の朝ドラ「虎に翼」も手掛けられている脚本家さんです。ちなみに、「恋せぬふたり」では第40回向田邦子賞を受賞されています)

◎日時/第1〜4話=13日(金)23:45~25:45、第5〜8話=20日(金)23:45~25:45


NHKであれ民放であれ、“良質な作品の再放送”ってすごく有意義だなぁといつも思います。良いものは何度観てもやっぱりいいし、プラス、自分自身の成長に伴って、感じ方や捉え方が当初と変わっていることも結構あったりしますゆえ、その点も面白い&興味深い。深夜枠で全然いいので、もっと古い作品も積極的に再放送してくれたら嬉しいな〜。まぁ、各方面への許可取りが大変だったり、(あまりに昔の作品だと)現代のコンプラ的に厳しい表現が含まれていることも多々あるでしょうから、おいそれとはいかないのかもしれませんけどね…。

ともあれ今夜、そして来週の再放送を楽しみにしておりまーす♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*以下の過去記事たちは、いずれもドラマのネタバレを思いっきり含んでいます(笑)。内容を知りたくない方は、全話視聴後にお読みくださいませ。

 

 

 

 

言い得て妙

映画「箱男」(8/23公開)を観てきました。原作は、1983年に発表された安部公房氏の同名小説。出演は永瀬正敏さん、浅野忠信さん、白本彩奈さん、佐藤浩市さん、ほか。脚本はいながききよたかさん及び石井岳龍さん、監督は同石井さん。

 

    ↓↓↓以下、ネタバレを含みます↓↓↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 


学生時代に一度だけ原作を読んだことがあるのですが、率直に言えば、あまり意味が分からなかったし、「面白い」とも感じませんでした。私はもともと難解な小説が好みでないこともあり、安部公房作品は意識的に避けていたんですよね…(汗)。

なれどもある日、文学好きの友人から「そんなこと言わないで、試しに一回読んでみてほしい」と懇願され、彼女の本棚より「箱男」を渋々(笑)拝借。読了後、「正直な感想」を求める彼女に対し、「やっぱり私には難しかった。彼独自の世界観も、好きか嫌いかの二択だったら、悪いけど後者かもしれない」と伝えたところ、一瞬悲しそうでしたが「ちゃんと読んでくれてありがとう」とにっこり。「この人は本当に、心から安部公房作品が好きなんだな」と感動したことをよく覚えています。卒業以降お付き合いはありませんが、今年は“安部公房生誕100周年”なので、「◯◯ちゃん、今も安部公房LOVEのままでいるかしらん」と、時折彼女の顔を思い浮かべたりしておりました。


ゆえに、映画を観ようと思ったのも、彼女の影響といえばそうなのかもしれません。半ば強引に迫られて「箱男」を読んだおかけで、「あの世界観を映像化するのって可能なのかなぁ。一体どうやって?」と興味が湧いた。

結論を申し上げますと──


映画を観ても、小説の時と同様、「面白い」と思える要素は個人的にはありませんでした。それより何より、「どうしてこの配役なのか?」というのが気になって仕方なかった。

 

 

ここで、主要人物4名を簡単にご紹介致します。

◆ぼく(永瀬正敏)/大きな段ボール箱を頭からかぶって路上生活を送る“箱男”。その段ボールに覗き窓を開け、街ゆく人々をじっと見ている。葉子に導かれて贋(にせ)医者の病院へと出向く。元カメラマン。

◆贋医者(浅野忠信)/贋医者であり、贋“箱男”。軍医殿の名義を借り、ニセモノながら医療行為を行っている。戦時中は衛生兵をしており、軍医殿は当時の上官。内縁関係にある葉子を、軍医殿に度々差し出す。

◆葉子(白本彩奈)/贋医者のもとで働く看護師見習い。以前は貧しい画学生で、絵のモデルをして生計を立てていた。贋医者とは内縁関係。

◆軍医殿(佐藤浩市)/医師。戦時中に病を発症し、その苦痛から逃れるために麻薬を常用して中毒となった。自分の名義を貸して、贋医者に医療行為をさせている。様々な意味で倒錯的な人物。

 

映画のチラシ及びポスターデザインです。永瀬さん演じる“箱男”は、劇中この姿で走ったり戦ったり色々します。ちなみに私も人間ですが、この最終形態は全くもって望みません笑

 

箱男」は非常に難解な作品であり、今でもよく分かっていないのであらすじは割愛させていただきますが、スクリーンを眺めながらまず感じたのは“強烈な違和感”です。

実は今回、映画館に置いてあるチラシを横目で見て「あ。昔◯◯ちゃんに無理矢理(笑)読まされた『箱男』、映画化されるんだ。タイミングが合ったら観てみよう」とぼんやり思っただけで、キャスト陣のチェックまではしていませんでした。よって、主演が永瀬さんだと知ったのは映画が始まってから。

〈永瀬さんは好きな俳優さんだけど、確かもう還暦近かったはず。“ぼく”って全然もっと若いよね? 何で年齢設定ガン無視してるんだろう〉←心の声


原作を読んだのが四半世紀以上前なこともあり、年齢に関してはっきりとした記述があったかどうかは覚えていません(*Wikipediaには、“ぼく”は「戸籍の上では29歳だが、本当は32、3歳らしい」とありました)。ただ、文面から受けた印象として「“ぼく”ってそこそこ若い人だろうなんだろうな」と感じたことは覚えています。贋医者や軍医殿は彼より上の世代だろうけど、現在50歳の浅野さん、63歳の佐藤さんほど年齢を重ねているようには思えなかった。まぁ、それだけならまだ「主要人物たちの年齢、全体的に引き上げたってことなのかな?」と納得できたかもしれないけれど、葉子の登場によって不信感と嫌悪感がふつふつと…。

葉子役はオファーではなく、オーディションにての選出。葉子を演じる白本さんは現在22歳ですから、贋医者役・浅野さんとは28歳、箱男役・永瀬さんとは36歳、軍医役・佐藤さんに至っては41歳もの差があります。内縁関係にあったり、誘惑したり、視姦されたりする相手が、全員親子かそれ以上に離れているわけです。

今作はRG12指定で、ヌードシーンを含みます。裸ショットがあるのは、永瀬さんと白本さんのお二人。服を着ていても「“うら若き女性×おじさん”の組み合わせ」という印象がかなり強いのに、生まれたままの姿になったら、22歳と58歳というのは相当キツイ(ぴちぴちボディーとゆるゆるボディーの男女が抱き合うシーンを、映画館の大画面で見せられることを想像してみてください…。あ、別に濃厚な絡みとかではなく穏やかなハグですけどね)。プラス、鷹医者との関係性、及び軍医殿が求める変態的な行為も、全部が全部、はっきり言ってもんのすご〜く気持ち悪かった。上映途中で「帰りたい」と思った映画は初めてかもしれません。もし端っこの席だったら、確実に離脱していたことでしょう。


座席の都合上、帰るに帰れず、やむなく最後まで鑑賞。後日、どうにも気になり調べたところ、「箱男」は1997年、石井監督のもとで映画化が正式決定していたんだそう。ところが、諸般の事情でクランクインを目前に全てが頓挫し立ち消えに。その時キャスティングされていて、撮影地・ドイツにまで渡っていたのが永瀬さんだったと。大体の経緯を知り、ようやく合点がいきました。

 


石井監督の「箱男」に対する情熱や執念が、27年間途絶えなかったことは純粋にすごいと思います。でも、そこまで思い入れのある作品ならば尚更、設定を守ってほしかった。仮に私が原作小説の、或いは安部公房作品のファンだったら、さらに切なかったり“コレじゃない感”が強かったりしただろうな…。

27年前、永瀬さんは31歳でした。役柄の年齢的にも、「箱男」という作品が持つアングラ的な空気感にも、きっとぴったり合っていたことでしょう。ですが現在の彼は58歳。昔も今も格好いいけれど、俳優さんには各々“その年代にマッチした役”“その時期だからこそ演れる役”というのがあると思います。今回の配役は、27年前のことありきで決まったであろうことが予想できますが、それって一体全体誰が喜ぶんですかね? 同じく当時も出演予定だったという佐藤さんを含めて、本当の本当に、“現時点で一番相応しいキャスティング”だと思っているんでしょうか。

もしも私が監督なら、当時のキャスト陣に筋を通した上で、「この時代にベストだと思う俳優たち」をセレクトし直します。だって、たとえ全く同じメンバーを集めたとしても、当時撮りたかったものを、その面子で27年後に撮るのはどう考えても不可能ですから。それに、世相も自分自身も1997年とは明らかに変わっているわけだし、“今届けたいもの、表現したいもの”が当時と同じだとは到底思えない。鑑賞中、「まるで27年前で時が止まっちゃってるような雰囲気だなぁ。キックボードだの自撮り棒だのを登場させてるけど、単に小道具として使ってるだけで、“現代っぽさ”みたいなものが全然伝わってこない」と思ったのも、そのあたりのズレを強く感じたからかもなのかもしれません。

あとは、本編とは関係ありませんが、浅野さんが発する台詞の聞き取りづらさに驚愕しました。ところどころ、「え、今何て?」と言いそうになってしまった(笑)。日頃、声優さんたちのしっかりした発声に慣れていることもあって、言葉が聞き取りにくい=作品世界に入り込めないというのが結構なストレスでした。何と言ったのか考えている間にも物語はどんどん先へ進むから、「これじゃあ出来る役が限られるのでは?」と要らぬ心配までしてしまいましたよ…。


さて、エンドロール後。斜め前の席に座っていた、20代と思しき女性二人連れが、帰り支度をしながら小さな声で話しています。

「やっと終わった、疲れたぁ」(with大欠伸)

「何かさ、脱ぐシーンやたら多くなかった?」

「それ思った! 私は何を見せられてるんだろって」

「ほんとだよね、2時間めっちゃ長かった。つら〜」

「ねー。早くカフェ行こ♡」

「行こ行こー♡♡♡」


ここまで長々綴ってきたけれど、映画「箱男」の感想として、これに勝るものはないかもしれません。

「2時間めっちゃ長かった。つら〜」

本当にその通りすぎます、優勝です(笑)。彼女たちの的確なジャッジと切り替えの早さに元気をもらった私は、さっきまでの沈んだ気持ちはどこへやら。「私もどっか寄って帰ろ♪」と足取り軽く映画館を出たのでありました。どうもありがとう、あの日の2人組!

 

こちらは原作小説「箱男」(新潮文庫)の表紙です。なお、安部公房氏は1924年3月7日生まれで、今年生誕100周年を迎えました。それを記念して、未完の絶筆「飛ぶ男」が刊行されたほか、これまで紙のみだった既刊作品(代表作/「壁」「砂の女」等)の電子書籍版も解禁。2024年は、安部公房ファンにとって大変喜ばしい年と言えそうですね♪

 

小父小母

平均月2回のペースで、某ネットスーパーさんに配達をお願いしている我が家。大抵土日のどちらかに届けてもらうのですが、先日、諸事情あって平日昼間に利用しました。

結構な量の品物を手際よく運んでくれたのは、初めましての若者です。ニッコニコの笑顔と落ち着いた話し方が好印象のメンズで、見た感じ20代半ばかな?といったところ。普段はベテランっぽい男性か、「パート主婦なんですよ〜」という女性が来てくれることがほとんどなので、彼は平日担当ってことなのかしらんと思いつつ、いつものように玄関先にて対応致しました。終始笑顔&適切な声掛け(「最初に冷凍ものです」「続いて常温商品になります」「こちら日用品です」等)で、実に気持ちのよい仕事ぶりです。

「“微笑みの国・タイ”を思い出しちゃうほど、相手に安心感を与える柔らかい笑顔だなぁ。私も見習おう」〈←心の声〉


大好きなタイの人々、及び風景を脳裏に浮かべながら、ミネラルウォーターの段ボールケース(600mlペットボトル×24本)を彼から手渡された…というか、それぞれが両端を持った次の瞬間。

実際はもう少し小さいサイズの段ボールでしたが、イメージとしてはこんな感じです(byいらすとやさん)


最初は2人の間で上手く保たれていたはずのパワーバランスが、室内に向かって(すなわち私が後方へ、彼が前方へ)一歩進んだ拍子に崩れてしまいました。危うくケースごと床に落としそうになったものの、お互い「あっ‼︎」とすぐさま腰を落としたため、地上30cmくらいの位置で無事キャッチ。そして彼は、2つの意味で「すみません!」と謝ります。


一つは「落としそうになってすみません」の意ですね。ただ、全くもって彼に非はなかった。というのも、「だいぶ重いですけど持てますか? よかったら中までお運びしますよ」と言ってくれたのに、私が「大丈夫です、ありがとうございます」とその申し出をお断りしたからです。飲料をケースで注文したのは人生初だったけれど、ペットボトル24本分ってすんごく重いんですねぇ…。「もしこういうことが再びあった場合は、ありがたく配達員さんのお言葉に甘えよう」と密かに誓った次第です、ハイ。


もう一つは、「見てしまってすみません」の意。

その日の私は、ノースリーブのロングワンピースに薄手の半袖カーディガンを羽織った“ザ・夏スタイル”。普段は丸首タイプを好んで着ているのですが、今夏はあまりの暑さに耐えきれず、VネックタイプのTシャツやらワンピやらを数点購入。日頃着慣れていないこともあり、「Vネック=屈むと胸元がチラ見えしてしまう恐れがある」という可能性を失念していたんですよね。

2人の間には飲料ケースだけ…という結構な近距離ゆえ、彼が私の胸元をがっつり見てしまった様子といいますか、視線の動きは丸分かり(笑)。ただし手を離したらケースがゴトンと落下してしまうので、お互い気まずいけれどもすぐにはその件に触れられません。2人で中腰のままゆっくり歩き、床にそ〜っとケースを置いた後、彼があらためて「すみませんでした!」と深く頭を下げます。


「いいんです、いいんです。重さを分かってなかった私が悪いんですから、そんなに謝らないでください。それに、お見苦しいものを…」

(食い気味に・笑)「見苦しくないです! あ…つまりしっかり見ちゃったってことなんですけど…申し訳ありません」

「本当に気にしなくて大丈夫です。相手がもっと若い子だったら良かったのに、何だかごめんなさいね」

「いやラッk…いえ、何でもないです‼︎ すみません!」

今「ラッキー」って言いかけたような気がしましたけれども(笑)、非常に正直でむしろ清々しいですね〜♪ だって、仮に逆の立場だったとして、マッチョ男性(*私は筋肉フェチです♡)の素晴らしい胸筋やら谷間やらが突如目の前に出現したら、ガン見はしないにせよ“1秒も見ない”というのは多分無理だろうと思います。条件反射ですから仕方ありません、お互いさまです。

 

 

ところで。私は自分のことを「おばさん」だと思ったことも自称したことも、面と向かって誰かにそう呼ばれたこともないけれど、この時初めて「今の、なかなかにおばさんっぽい言い回しだったなぁ」と感じました。

『もっと若い子だったら良かったのに、何だかごめんなさいね』

これは、己が若い頃には絶っっっ対出て来なかった台詞です。自虐ってわけでもないけれど、「20代男子は、できれば40代女性じゃなく同年代女子の谷間が見たいよねぇ」と素直に思います。私自身、20代の頃は同世代男子の、もしくは言うて30代までのメンズボディーが見たかったですもん(笑)。自分のバストをリアルに「見苦しい」とは微塵も思っていませんが、“微塵も思っていない言葉がすんなり出てきた事実”に若干驚きましたし、「私も少しは大人になったってことなのかしら」と感動すら覚えました。


何を隠そう、私はネガティブ思考の友人・知人が時折口にする、「もうおばさんだから」「俺なんてオッサン通り越してジジィだよ」的な発言を、あまり好ましく思っておりません。「イケオジを目指してる」とか「将来は可愛いおばあちゃんになりたい」とかなら全力で応援するけれど、「“もう”おばさん」「俺“なんて”」というフレーズがくっつけられた途端、言い訳がましく聞こえたり、予防線を張っているように見えたりして「残念だな…」とがっかりしてしまう。それは若作りせよとか美容クリニックに通えとか、そういうことでは勿論ないですよ。


「もうおばさんなんだし、昔ほど気合い入れてお洒落する必要ないと思う。洋服なんて、ちゃんと洗濯してあればそれで十分」

「下っ腹出てて当たり前だろ? オッサンだもん」


いやいやいやいや、それってちっとも年齢関係なくないですか? その証拠に、私の周りにいらっしゃる60〜80代の方々は、若い頃からずーっと素敵だし、できる範囲で今なお己を律しているケースが多いです。「おばさんだから」「おじさんだから」じゃなくて、あなたが諦めたから、努力をしなくなったから…の間違いじゃないでしょうか。


そりゃあ、加齢とともに気力や体力が低下したり、病気を患ったり、或いは自分のことより“家族ファースト”だったりで、若い時とは違う部分も沢山あることと思います。かく言う私も、昔、諸先輩方が説いてくれた「40代以降は『すこぶる体調がいい』っていう日がどんどん減ってくる。だから、そういう日は仕事でも遊びでも全力でやれ」という言葉が年々身に染みるようになってまいりました。でも、「おばさん」「おじさん」というワードを盾に自衛するのは違う気がするといいますか、いろんな意味で「勿体ないな〜」と感じます。


まぁ、かつて男前だった友人(←強豪校のサッカー部元主将。現在、当時と比べて体重25kg増。「学生時代から同じスポーツブランドの服が好きで今も着てるけど、自分でも笑っちゃうほど別次元の仕上がり」なんだとか)曰く、「若い時はモテすぎて大変だったけど、サッカー引退してからめっちゃ楽になった。『こんなに生きやすい世界があるとは!』ってびっくりした」とのことなので、積極的に“おじさん化”、ないし“おばさん化”していく人も、ひょっとしたら一定数いるのかもしれませんけどね。それはそれで尊重しますが、私自身は、いつまでも身なりに気を配ったり、お洒落を満喫したりする人生を送りたいなと思っています。だって、そっちのほうが断然楽しそうなんだもーん♪

 

《補足情報》

ちなみに。辞書にて「おじさん」「おばさん」を引きますと──

小父さん・小母さん/①よその年配の男性・女性を親しんでいう語。②親族関係にない中年の男性・女性。③子供に対して、大人の男性・女性が自分をさしていう語。

…とあります。「年配=中年以上の年ごろ」を表しますので、「中年」に的を絞ってみますれば、辞書によって相当バラつきがあることが判明。一部抜粋致します。

A. 40歳前後、或いは40歳代。

B. 40歳前後から50代にかけての年齢。

C. 40歳くらいから50歳代半ばくらいの年齢。

D. 青年と老年の間の年齢。40歳前後から50歳代後半くらいまで。

E. 50代半ばから60代前期にかけての年。

様々な辞書で調べるごとに、「いい意味で適当っていうか、思ったより自由度が高いんだなぁ」と感じました。

 

厚労省の発表によりますと、日本人の平均寿命は…

◎1955年/男性63.60歳、女性67.75歳

◎1990年/男性75.92歳、女性81.90歳

◎2019年/男性81.41歳、女性87.45歳

…だそうです。多くの方が60代で鬼籍に入られていた約70年前であれば、50代のうちから「おじいさん」「おばあさん」と呼ばれていた方も、もしや結構おられたのかもしれません。

一方、現代。体感としては、「おじいさん」「おばあさん」という雰囲気を纏い始めるのは、70歳を過ぎてからじゃなかろうかと思います。そして、稀に相手から「孫とおばあちゃんくらい(年が)離れてるわねぇ」と言われることはあっても、私のほうから「(あなたは)おばあちゃんorおじいちゃんくらいのご年齢です」なんて言わないし、そもそも心の中でも思っていません。だから、赤の他人に向かって「ババァ」「ジジィ」「オッサン」「オバハン」的な言葉を投げつける人の気持ちが全然分からない。あれは一体どういうつもりなんだろう。10代の少年・少女が、親に対して「クソババァ」「クソジジィ」と言ってしまうのは成長過程というか、“思春期あるある”だと思うけれど、世の中には思春期が延々終わらない人たちが存在して、そうなったら生涯「ババァ」だの「ジジィ」だの言い続ける結果になるのでしょうか…? う~ん、謎です。

 

誤算

それは、7月最終日の朝のこと。スマホがブルルと振動し、下記のようなショートメッセージが届きました。

「◯◯◯◯様(←私のフルネーム。ちなみに、カタカナではなく漢字表記でした)、エポスカードです。引落とし結果のご案内がございます。△△△△△(←先方の電話番号)までご連絡をお願い致します」


私は長年、丸井のエポスカードを愛用しているのですが、エポスからのお知らせは毎回、SMSではなくメールで届きます。よって、真っ先に疑ったのは何らかの詐欺。「エポスカードです」と名乗ってショートメッセージが送られてきたことは過去に一度もなかったし、ここ数年、大手銀行やカード会社を騙る詐欺メールが急増していますゆえ、何はなくとも用心、用心。

まずは電話番号が本物か否かを確認します。うん、番号自体は本物です。続いて、エポスからこういう類の連絡が、メールではなくSMSで来ることはあるのかどうかをネットで調査。その結果──


普通に残高不足っぽいですね、コレ…(汗)。


ネット上には、「このメッセージが届いた場合、これを最優先事項として速やかに先方へ連絡せよ」「無視すると延滞金を取られる。というか、失うのは金じゃなくて社会的信用だからとにかく急げ!」的な言葉や、実際の体験談だったり失敗談だったりが数多くアップされています。慌てて電話を掛けたらば、AI音声案内の後、生身のオペレーターさんにつながりました。詳細をお訊きしたところ、やはり「残高不足により、6月分をお支払いいただけていない状態」だそう。ひぇ〜、マジですか…。


私は、“残高不足でクレカの支払いが滞る”という状況に陥ったのが人生初なこともあり、何をどうしたらいいのか全く分かりません。あわあわしている私に、オペレーターさんが優しく説明してくれます。支払い方法には幾つか種類があること、及び具体的な買い物履歴(いつ・何に・いくら使ったか)を一つひとつ丁寧に教えてくれて、「支払いが明後日以降になる場合は延滞金が発生する」ことも忘れずに付け加えてくれます。その上で、「いつまでにお支払い可能でしょうか?」と確認されました。

オンラインであれば、もちろんその日のうちに払えるけれど、万一トラブルが起きた場合に備えて「明日中に払います」と回答。事実、オペレーターさんは「お取り引き可能です」と言っていた某銀行からの支払いが何故か出来ずにPC前で格闘。結局オンラインでの支払いは諦め、翌朝エポスATMに出向いて返済し、事なきを得たのでした。この時は「『今日中に払う』って言わなくてよかった〜!」と心底思いましたね。延滞金の発生は翌日からだとしても、相手からの信用、或いは社会的な信頼を失うことは絶対避けたいですから。


いやはやしかし、肝が冷えましたよ…。

 

 

ところで。私のメインバンクは、いわゆるメガバンクではなくネット銀行です。家計のやりくりから資産運用まで、9割以上をネット銀行で行っており、メガバンクに足を運ぶのは年に数回ほど。私は現在定職に就いていないのですが、前々職を辞した際(2020年秋)、いい機会だと思って“銀行の整理”を実施しました。内訳はこんな感じ。

◎2020年秋まで/メガバンク2、ゆうちょ銀行1、ネット銀行1

◎2020年秋以降/メガバンク1、ネット銀行3


つまり、メガバンク1つとゆうちょ銀行を解約し、新たに2つのネット銀行に口座を開設したわけです。手数料、金利、使い勝手…どれを取ってもネット銀行に軍配が上がりますから、お世話にならない選択肢は私にはありませんでした。ただ少々事情がございまして、エポスカードの引き落とし先は、残ったメガバンク・A(仮名)の口座。逆に言うと、A銀行における取り引きはそれ一つだけです。


さて。当時、「これだけ入ってれば問題ないだろう」と思い、A銀行の普通口座に150万円を残して、他は全額、3つのネット銀行へ振り分けました。ネット銀行だと管理も楽だし、チャートも見やすいし、(条件によっては)手数料もほぼ掛からないしで、本当にいいことずくめ。それもあって、正直、A銀行の存在は忘れかけていたんですよね。プラス、私がエポスカードで使う額は月平均2万円強、多くて3万円。「仮に毎月3万円使い続けたとしても、4年後までは安泰」と計算した上で150万円を残しましたし、大事を取って、丸4年が経過する1ヶ月前にリマインダーもしっかり設定済みだった。だから、「もしかして、気付かないうちにカードを不正利用されちゃったとか…⁉︎」と不安になりました。だがしかし。先のオペレーターさんの説明を聞いて大・大・大納得。


私、ゲームにがっつり課金してたぁぁぁ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎


昨年6月から始めたアプリゲーム「アイドリッシュセブン」。そこへの課金を、全くもって計算に入れていなかっただけでした…。鳴呼、自分が恐ろしい。


「感覚が麻痺してた」とまでは言わないけれど、例えば同じ1万円という金額をカードで支払うにしても、服やCDを実際手に取って、試着したり試聴したりした後「これお願いします」と“店員さんの目を見てお会計する”のと、ゲームの世界に没入しながら“画面上で流れるように課金する”のとでは、やっぱり少し違うような気がしています。これまでは、旅行等の大きな出費以外で月3万円を超えたことは数えるほどしかなかったのに、課金を始めてからたった1年弱で、その回数を軽々抜いてしまっていた。

そこで速攻、“無課金を基本とするプレイスタイル”に変更しました。目標だった「RANK450」に達する日も近いですし(8/12現在のランクは441)、強いカードもかなり育ってきています。ゲームをゆる〜く楽しむだけなら、既に十分なランク到達&手持ちカード数と言えましょう。これから先は、推しキャラの誕生日とか特別イベントとか、そういう時にのみ課金する方向にチェンジして、引き続きアイナナの世界を楽しみたいと思いまーす♪

 

◇追記◇

1年強にわたり、本気でアイナナをプレイしてきましたけれども、今回の残高不足は“歯止め”としてちょうどよいきっかけになりました。今後もプレイヤーであること自体は変わりませんが、「私の場合、課金はそこそこでいいんだろうな」と実感。

というのも、お金の力(有償ガシャ=課金あり)に頼りまくって強いカードを揃えてもそこまで楽しくないといいますか、高揚感みたいなものは意外と感じないんですよね。それよりも、無償ガシャ(課金なし)で思いがけず推しキャラが来てくれた時や、時間をかけて育ててきたカードがスキルマックスに達した時のほうがずっと嬉しい。もともと堅実な性格だし、一発逆転型じゃなくコツコツ型だから、気長にじっくり育てるほうが性に合うというか、喜びが大きいのかもしれません。

 

なお、無課金で参加したイベント「La' Stiara ~Jewelry Collections 2024 Vol.5~」(8/1〜8/8開催)の最終順位は8,512位、グレードはCという結果でした。グレードCというのは上位20%なので、私としては「全然悪くないじゃ~ん♪」という感じでございます。

 

今回は、新たにガシャを回すことはせず、今ある手持ちのカードのみで参戦。ガシャを回さない=特効カード(←そのイベントにのみめちゃくちゃ強い。カードの左上に金星マークあり)を入手できない…ということなのですが、幸いもともと準特効カード(←同、まぁまぁ強い。銀星マークあり)を3枚、準々特効カード(←同、ちょっとだけ強い。鍋星マークあり)にいたっては無限に(笑)持っています。特効カードはフレンドの皆さま(現在140人)からお借りできるので、以下のように、準特効・準特効・準特効・準々特効・準々特効+特効1枚という布陣で戦うことが可能でした。フレンドの皆さま方、いつも本当にありがとうございます♡

左側の5枚が手持ちのカード、右側の1枚がフレンドさんからお借りしたカード。フレンドになると、お互いの強いカードを貸し借りすることができます。助け合いの精神でございます♪

 

フレンド一覧画面です。ランクが上がるごとにフレンド枠も増え、RANK441の現在は、最大156人までOKとなります。通常、同ランクくらいの方にフレンド申請するものみたいなんですが、当初フレンドのシステムそのものをあまり理解していなかった私は、RANK100にも満たないうちから格上プレイヤーの方に申請しちゃったりして見事撃沈(笑)。自分自身がRANK300を超えたあたりからは、黙っていても申請してもらえることが増え、気が付いたら140人にまで達していました

 

加えて、当初に比べて音ゲースキルがかなり上がっているため、フルコンボは当たり前として、パーフェクトコンボも不可能ではなくなってきたことも非常に大きいですね。同じカードで戦ったとしても、フルコンよりパフェコンのほうが多くポイントを稼げるので、常にパフェコンを目指してせっせとプレイ。諸々を合わせた結果、以前のようにべらぼうな時間を費やさなくとも、満足のいく順位及びグレードに入ることが叶いました。

上がパフェコン、下がフルコンのリザルト画面です。同じ曲、同じ布陣でのプレイですけれども、「コンボ」の項目のみ数字が違うのが見えるでしょうか? 今回は最初から「グレードCに入れれば十分」と思って参戦しましたが、グレードBとCの境目だったり、グレードAとBの境目だったりを彷徨っている時は、ほんの僅かなポイントの差が明暗を分けたりするんですよね。よってカードが強いことはもちろん、“パフェコンできる確率が高い人”も有利だったり致します

 

ちなみに、現在は「LINK RING WIND」(8/9〜8/19開催)というイベントに参戦中です。こちらは新規イベントではなく復刻イベントなので昨年も参加したのですが、全く同じイベントだと、自分の成長具合や手持ちカードの充実ぶりが如実に分かって面白いですね〜。参加すれば報酬も沢山もらえるし、「2周目っていうのもなかなかいいな」と感じました。

アイナナはもうすぐ9周年ですから、同じイベントを何周もしている先輩プレイヤーさんたちも大勢いらっしゃることでしょう。一つのイベントにつき何回くらい復刻されるのか知らないけれど、私も5周目とかになったら、見える景色が全然違ったものになったりするのかしら。将来の楽しみがまた一つ増えちゃったなぁ♡♡♡

 

昨年の同イベントへは、RANK119での参加でした。ゲーム開始から2ヶ月も経っていなかったため、スキルもカードも持ち合わせておらず、クリアするのに相当苦労した記憶が…(泣)

今年はRANK441にての参加です。スキル、カードともに十分ゆえ、日々余裕を持ってエンジョイ。おかげさまで、8/13に無事クリア致しました!

 

例えば。同じ曲(「Ache」)、同じ難易度(エキスパート)で比較してみましょう。上が昨年、下が今年です。昨年はミスして当然の腕前でしたが、今年は毎回フルコンが基本です。スコアもぐんと上がっていて嬉しい限り。手持ちのカードたちが順調に育っている証ですね♡

 

こちらも上が昨年、下が今年です。この「マロウブルー」という楽曲は“レベル4”と難しい部類に入るので(*レベルは1〜5まで)、去年の私はエキスパートに挑戦すること自体ハードルが高く、頑張ってもハード止まりでした。それでもフルコンには到底届かず。今年は当たり前にフルコンできて幸せです♪

 

昨夏は一桁台しかフレンドさんがいなかったし、自分自身も強いカードを提供できていなかったため、イベント時に特効カードをお借りするなんて夢のまた夢でした。それが今年は貸してくれるフレンドさんが大勢おられますから、ポイント獲得量もアイテム獲得量も、常にUPの状態でプレイさせてもらっています。同じ「マロウブルー」のハードであっても、獲得ポイントに1,440もの差が出ますゆえ、昨年とは進み方が全く違います。途中で発生する数々のミッションも、ミスなく一発でクリアできるようになりました。我ながら、よくここまで成長したよなぁ…♡(感動)

 

 

なるほど!なコラボスタイル

夫とともに外出した先で、はじめましてのコンビニへ立ち寄った時のこと。のど飴を買おうと店内を探し歩いていたら、別の商品が目に飛び込んできました。それは間違いなくミンティアなのだけれど、商品名より目立つ色合い&サイズで「声優公認  のどタブレット」と明記してあり、幾つも並んでいるお馴染みのミンティアたちとは、全く違う戦略であろうことが一目で分かります。

 

 

私 :「見て見て、これ知ってる?」

夫 :「知らない。初めて見た」

私 :「私も。声優公認ってどういうことだろ? っていうか、アイムエンタープライズ公認って書いてある! へぇ、こういうコラボの仕方もあるんだ。面白いなぁ」

夫 :「アイムエンタープライズって?」

私 :「大手の声優事務所だよ。有名どころで言うと、下野紘さん、松岡禎丞さん、釘宮理恵さん、早見沙織さんとかが所属してるとこ」

夫 :「そうなんだ。パッと名前出てくるのすごいよね。僕も好きな声優さん結構いるけど、事務所名とかは全然分かんないな〜」

私 :「まぁ、知らなくても困ること特にないしね。私も多分、前々職(雑誌記者)の影響で、名前と所属事務所をセットで覚える癖がついちゃってるだけだと思うよ」

夫 :「あ、そっか。それってさ、移籍とか独立とかしたらイチから覚え直すんだよね? 歌手も俳優も全部やってたの?」

私 :「うん、お付き合いのある方々は基本全部やってた。今はそんなことする必要ないって分かってるんだけど、最早習慣になりすぎてて、新情報をアップデートせずにはいられない(笑)。長年の習性って怖いよねぇ」

夫 :「確かにね。僕も、仮に今会社辞めたとしても、担当クライアントのことはずっと気になっちゃうかもしれない。仕事でお世話になることがなくなったからって、すぐさま『もう関係ないんで』とはなりにくいもんね」


さて、それはそれと致しまして。初めて見たのはもちろん、そもそも知らない商品だったので、「新発売なのかな?」と思い調べてみました。正式な商品名は「MINTIA  +VOiCE(読み=プラスボイス) レモンジンジャー」、販売元はアサヒグループ食品株式会社、発売日は2022年10月17日(2023年秋に一度リニューアル)。おぉ、ちっとも新発売じゃなかった(汗)。


私としては、味や効果もさることながら、「公認」という表記が気になって仕方ありません(笑)。「『共同開発』とかじゃなく『公認』…。それってどういう意味なんだろう?」。いてもたってもいられず、早速商品説明のサイトへ飛びました。以下に転記致します。

 


《開発背景》

 生活様式が多様化し、オンラインでの会議や授業が広く取り入れられ、声を使うコミュニケーション機会が増えています。このような変化に着目し、日頃からいい声・のどの状態を保つことを意識している声優のニーズを満たす商品を目指し、声優事務所と共同で商品開発を行いました。

 人気アニメなどで活躍中の60名の声優に、「いい声を発するための理想ののどの状態とは」「タブレットに求めるものは」といったインタビューを重ねたところ、「食べた後はのどがすっきりし、口の中はさっぱりとする」タブレットが理想であると分かりました。いい声の状態をサポートし、仕事などのオンタイム時間を前向きに過ごしたい方にぴったりな商品を「ミンティア」ブランドで提供します。

 


ほほ〜ぅ、なるほど。確かに、オンライン会議等では、“声の聞き取りやすさ”や“スムーズな発声”はより重要であると言えましょう。世の中の変化やニーズを的確に捉えた商品開発ですね。そして「絶妙だなぁ」と感じたのは、“開発に協力した声優さんの個人名”は明かさず、あくまで“事務所全体”とコラボしている点です。


アイムのHPで数えてみたところ、現在所属している声優さんは、男女合わせて計108名(*7/30現在。もし数え間違いがあったらすみません)。うち60名に協力を仰いだとのことですが、その中に有名声優さんが含まれているかどうかは不明です。含まれていてもいなくても、アイムをイメージする際、どうしたって有名声優さんの名前が先に浮かびますから、事実はどうあれ彼らが“公認”しているような錯覚をおぼえます。これは非常に巧みというか、本当に絶妙で、思わず「お主、なかなかやりますな〜」とニヤついてしまいました(笑)。「自分の推しは開発に協力したのかな、してないのかな」と妄想する楽しみもありますし、「実に上手いやり方だなぁ」と感心したのでございます、ハイ。


肝心の味と効果ですが、まずは味。これはすっごく美味しかった♡ もともとレモンジンジャー味が好きなこともあるけれど、のどがスースーしすぎず、ほどよいさっぱり加減。粒も大きく、結構な満足感を得られます。一方、効果は…正直言って、私はそんなに感じませんでした。清涼感や爽快感はあるものの、のどがすっきりするとか声が出やすくなるとか、そこまではっきりしたものは望めないように思います。2023年のリニューアルで、のど飴を細かく粉砕した“のどあめチップ”が新配合されたそうですけれども、それなら普通にのど飴を舐めたほうが…(汗)。ただ、私はミント系のタブレットだと少々刺激が強すぎるため、「リフレッシュしたい時にちょうどいい」とは思いました。何より、味が美味しいのでね♪


声優さんとのコラボ商品といえば、その“声”をフル活用したワイヤレスイヤホンが定番だとばかり思っていたけれど、今回「こういうコラボスタイルもあるのか〜」と驚いたし勉強になりました。そして、発売から2年近く経った今、その存在にようやく気付いた自分にも驚きました。アイムには推し声優さんが何名か所属しているというのに、私ってば、気付くの遅すぎじゃない(泣)?

 

パッケージを外すと、「声優公認 のどタブレット」の文字は消失。割とシンプルなデザインに変身します

ところどころに見えるオレンジ色の物体(丸で囲んだ部分)が、昨年のリニューアルで新配合された“のどあめチップ”だそう

 

性別の差、意識の差

悪い意味で話題となっている映画「先生の白い嘘」(7月5日公開)を観てきました。出演は奈緒さん、猪狩蒼弥さん、三吉彩花さん、風間俊介さんほか、脚本は安達奈緒子さん、監督は三木康一郎さん。

 


    ↓↓↓以下、ネタバレを含みます↓↓↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


映画「先生の白い嘘」は、鳥飼茜さんの同名漫画が原作。高校教師の美鈴(奈緒さん)、美鈴の親友・美奈子(三吉さん)、美奈子の婚約者・早藤(風間さん)、美鈴が担当するクラスの生徒・新妻(猪狩さん)の4名を中心に物語が進行します。性的なシーン及び暴力的なシーンが多く含まれるため、R15指定となっています。


ここで、“どう話題なのか”を軽く説明しておきましょう。

①主演の奈緒さんより、「インティマシー・コーディネーターを入れてほしい」という要望があったにもかかわらず、制作サイドはそれを断って撮影を進めた(*プロデューサー日く、「そういうシーンについては事前に絵コンテで説明したり、女性カメラマンを起用したり、男性スタッフは退出してもらったり等の配慮をした」そう。ちなみに、撮影自体は今年ではなく2022年)

②上記の報道を受けてか、公式サイト内のあらすじ紹介文を一部変更。「早藤を忌み嫌いながらも、快楽に溺れ、早藤の呼び出しに応じてしまう美鈴」から、「快楽に溺れ」の部分が削除された

 

監督の発言が炎上するまで、私は原作漫画も映画も知りませんでした。けれどインティマシー・コーディネーター(以下IC)については強い関心を抱いているので、「いろいろと確認するためにも、まずは映画を観てみよう」と決意。ちょうど2巻だけ無料で読める時期(電子)だったから、映画鑑賞前に原作漫画のさわりをチェック。読後の率直な感想としては、「この内容でICを入れないって…。どうしてそんな判断になるのか意味が分からない、理解できない」。

それほどまでに、肉体はもちろん、精神的な負担も相当大きい作品だと感じました。全8巻中の2巻を読み進めるだけでも辛くて苦しいのに、これを生身の人間が演じるとなったら──。正直、「実写化する必要あるの? 映画を観た人の中で、救われる人ってどれくらいいる? 嫌悪しか感じない気がするんだけど…」と思いましたね。だって、本当に本っ当に、いろんな意味で胸クソ悪いんだもの(汚い言葉を使ってしまってすみません)。

今回のように、「できるだけ自分の目で確かめたい」という意思がなければ、お金を払って観ることはしないであろう類の作品です。私は、せっかく触れるなら、本も漫画も映画も、楽しいとか面白いとか感動するとか勉強になるとか、そういう作品のほうが断然いいと思っています。心がすり減ってしまうような作品を、娯楽として受け入れることは難しいし、そもそも受け入れたいと思っていません。特に、暴力だとか虐待だとか性犯罪だとかの描写が克明すぎる、または生々しすぎる作品とは、可能な限り距離を取って生きていきたい。


例えば、被害者の心情だったり、事件から立ち直って幸せを掴もうとする姿…。或いは被害者家族の苦しみや悔しさや怒りや復讐を描きたい場合、“そのシーンそのもの”を事細かに描写する必要はないと思うんですよね。ナレーションやモノローグだけでもいいし、引きの画や甘めのピントでぼかす手法でもいいし、もちろん事後からのシーンでもいい。直接的な表現をせずとも、卑劣な犯行や残虐な事件を想像する力は、大抵の人に備わっています。それに、トラウマになりそうなほどリアルで鮮明で残酷な映像を、出演者や観客の精神を削ってまでわざわざ作る必要性を感じません。人災映画や戦争映画は、抑止のためにも人間の醜さや愚かさ、殺し合いの凄まじさ、その先には悲劇と憎悪しか待っていないこと等をリアルに描いたほうがいいかもしれないけれど、暴力や性犯罪はそれに当てはまらないと思います。

 


話が逸れましたね。

ICについてのご説明がまだでした。ICは、まだまだ歴史の浅い職業です。誕生したのは2017年、アメリカにて。日本では2021年、Netflix作品「彼女」での起用が初(出演者・水原希子さんからの提案により)。

英語で「親密な」を意味するインティマシー=intimacy。ICの仕事は、映画やドラマのセンシティブ・シーン(*俳優がヌードになる、或いはヌードの有無にかかわらず、疑似性行為や親密な肉体的接触があるシーン)において、俳優の精神的及び肉体的な安全を守り、且つ監督の演出意図を最大限実現できるようにサポートする、というものです。日本にはまだ数名しかおられませんが、今後さらに需要と活躍の場が増える職業の一つと言えましょう。


三木監督の発言が炎上したのは、7月4日にアップされたENCOUNTのインタビュー記事です。下記に引用致します(*クオリティーに少々難のある記事ですが、正確にお伝えするため原文ママで記します)。

奈緒さん側からは『インティマシー・コーディネーターを入れてほしい』と言われました。すごく考えた末に、入れない方法論を考えました。間に人を入れたくなかったんです。ただ、理解しあってやりたかったので、奈緒さんには、女性として傷つく部分があったら、すぐに言ってほしいとお願いしましたし、描写にも細かく提案させてもらいました。性描写をえぐいものにしたくなかったし、もう少し深い部分が大事だと思っていました」

映画の撮影が行われた2022年当時、ICという職業は、今ほど知られていませんでした。制作サイドの「間に人を入れず、俳優と直接コミュニケーションを取りたい」という気持ちも分からなくはありません。ただ、現実問題として、“中立的な立場の第三者”を挟んだほうがスムーズにいく事柄は多いです。一般の会社でもそうだけれど、「困ったことがあったら何でも相談して」と上の人に言われて、包み隠さず本音を話せる人がどれくらいいるでしょうか。それがセンシティブな内容で、相手は異性で、しかも絶対的な権力を持つ立場の人だったら…? 


個人的にもう一つ気になったのは、同じインタビュー記事内での彼の発言です。

「僕は早藤、新妻の感情は分かるのですが、美鈴の気持ちは分からない部分がありました。現場では、奈緒さんとは話し合いながら撮影を進めていきましたが、あえて距離を取ることもしました。それは、奈緒さんが感じた部分の方が僕の考えよりも数百倍面白いだろうと思ったんです。奈緒さんがしっくり来ていない時は目で分かりますし、しっくり来ている時はちゃんと表現されていました」

いやいやいや…。会話、足りてないじゃないですか。ちっとも理解し合えてないじゃないですか。しかも「数百倍面白い」って何ですか? この映画に面白い要素なんて、一つもありませんけど。その上、彼は約10年前に原作を読んで衝撃を受け、当時から「映像化したい」と望んでいたんだとか。思わず「10年もあっためてきてこの仕上がり? 10年間で読解力、少しも向上してないってこと?」と声に出てしまいそうだった。

映画を観た後、原作漫画の残り6巻も全部読んだけれど、私には別作品のように思えました。8巻分の漫画を2時間の映画にまとめるのが難しいことは承知していますが、それにしたって「あの台詞(または説明)を省いたら、全然違うふうに伝わっちゃうじゃん。そこんとこ、なんでちゃんとしないんだよ…」と感じる場面が何箇所もあった。表現方法とか演出方法とか以前に、読解力の問題だと思います。あと、性描写はしっかりエグかったですよ。そりゃもう、反吐が出そうなほどにね(ただし、女性から男性への性加害シーンは比較的マイルドでした。原作に沿った表現と言えばそれまでですが、男女逆の場合もあれくらいで十分だと思います)。「もう少し深いもの」なんか一切、1ミリだって感じなかった。

 

 

そして、鬼畜を演じ切った風間さんもお気の毒だと思いました。被害者役・奈緒さんだけでなく、加害者役・風間さんのためにも、ICは入れて然るべきでした。

風間さんは、映画公式サイトにて「今まで演じさせて頂いた役柄、全てに愛を持ってきましたが、今回『先生の白い嘘』のお話を頂いた時、初めて早藤という役を愛せないかもしれないと思いました。それと同時に、僕自身が愛せないかもしれない役を演じた時に、自分自身がどうなるかを知りたいという気持ちにもなりました。魂を擦り減らし、己と反発する感情と共に向き合った作品です。この作品が、誰かを鼓舞し、誰かを救う事を願っています」(全文)とコメントされています。大袈裟ではなく、本当に魂をすり減らして撮影に臨まれたことと思います。映画を観て、心からそう感じました。力でねじ伏せて暴行する、顔の形や色が変わるまで殴り続けるというのは、たとえ演技であってもしんどいでしょう。実際、「僕自身も性犯罪のシーンは見たくないし、仮に自分が女性に暴力を振るうとなったら、芝居と分かってても多分メンタルがやられる。だからそういうシーンのオファーは全部断る」という俳優さんを知っています。


前々職(雑誌記者)で担当していた男性俳優さんの中で、「軽いキスシーンまではOK。でも、濃厚なのとかベッドシーンとかはNG」にしている方が何名かおられました。理由としては、若い方や中性的なお顔立ちの方だと「自分は経験不足だし、年齢的にも早すぎると思うから」「ファンの人が悲しむ。僕に望まれてるのはそういうことじゃない」というものが多かったです。

けれど、ある程度キャリアを積むと「ベッドシーンは自由演技っていうか、男性側に丸ごと委ねられるケースが多い。余計なこと考えながら芝居しないといけないし、相手役にめちゃくちゃ気使わなきゃいけないしで面倒くさい」「挑戦した時期もあるけど、撮影現場では女優のケアばっかりで、こっちのフォローはほとんど無し。俺らだって同じように半裸で頑張ってるのに不公平」「本当に必要なら、ベッドシーンでもシャワーシーンでも引き受けるよ。でもさ、大抵は“イケメンの裸体が見たいだけ”なわけ。興味本位っていうか、要は見世物だよね。俺はそんなくだらないことのために俳優になったんじゃない」的な理由が増えていくんですよね。

確かに「平等か? 不平等か?」と問われたならば、「平等ではないように思います」と答えざるを得ません。台本には〈ベッドで激しく求め合う2人〉くらいしか書いていないことも多々あるので、動きやら角度やらを男性俳優さん主導でうまいことやりつつ、芝居もきっちりこなさないといけないのは、だいぶ負担が大きいだろうと感じます。

 

よって、俳優の性別を問わず、ICの起用は歓迎されるでしょうし、制作側にとっても学びや気付きが多いことと思います。お互い、面と向かっては言えない要望や提案も、ICという第三者を介してなら叶うことも沢山あると予想できます。当然100%とはいかないだろうけど、今までに比べたら、二歩も三歩も先に進めるんじゃないかな〜と思います。


これまで曖昧だった部分をクリアにし、“誰もが働きやすい現場”にすることは、業界にとってプラスでしかありません。これを機に、各現場でのICの積極的な起用、そしてICを目指す方が一人でも増えることを、陰ながら願っております。

 

映画のポスターです。個人的には、「その感情は、あなたの中にもきっとある。男女の性の不条理に切り込む衝撃作」という上記コピーよりも、公式サイト内に掲載されている“STORY”内リード「傷つかないために見て見ぬふりをする、嘘をつく。そうしないと、生きていられないから──」のほうが、作品の本質をきちんと捉えているように感じました。あくまで私の場合ですけれど、たとえ直前まで興味を持っていたとしても、センセーショナルな言い回しや煽り文句を目にした途端、それが急速に失われてしまうことが多いです。言葉を大切に思っているからこそ、「この文に違和感を覚えない方々が作ってるのか…」と想像してどうしても興が削がれます

 

入場者特典で頂いた、原作・鳥飼茜氏による書き下ろしイラストカード(オモテ面。名刺サイズ)

こちらはウラ面。映画鑑賞後に原作を読ませるとは、ある意味勇気がありますよねぇ…(なお、ぼかしてある箇所はQRコードです)

 

原作漫画「先生の白い嘘」(講談社)の第8巻表紙。こういう場合、第1巻の表紙を貼り付けるのがセオリーですが、1巻のメインカットで描かれているのは美鈴先生の後ろ姿。なので、彼女の表情や雰囲気が伝わりやすい8巻をアップさせていただきました

 

 

 

エゴイズムの果て

ドラマ「燕は戻ってこない」(NHK)が2日、最終回を迎えました。以下に結末を記しますので、これから視聴される方はご注意くださいませ。

 

      ↓↓↓以下、ネタバレあり↓↓↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主人公・大石理紀(石橋静河さん)は、代理母として妊娠し、双子の赤ちゃん(男児と女児)を出産。依頼主である草桶基・悠子(稲垣吾郎さん、内田有紀さん)夫妻とは、すったもんだの末「最初の2ヶ月間は大石さんのもとで育ててもらう。その後引き取り、私たち夫婦の子供として育てる」ことで合意していたものの、理紀は引き渡しの日を待たずして、双子の片方だけを攫い、赤ちゃんとともに行方をくらませてしまう──。

下記は、そのシーンの詳しい描写です。

 

ベビーベッドに、2人並んで寝かされている双子。その双子たちを、何とも言えない表情で見つめる理紀。草桶夫妻によって、男児は悠人(ゆうじん)、女児は愛磨(えま)と名付けられたが、理紀は仮の名前として、妊娠中から男児を「ぐり」、女児を「ぐら」と呼んでいた。

理紀は何かを決意したように、或いは悟ったように、双子を見つめながら呟く。

「あんたたち、ほんとにすごいね。もうこの世界で生きてるんだ。それぞれが、ひとりの人間なんだ」

 

〔理紀のモノローグ〕

私は決して、機械にはなれない。

心が叫んでる。

踏みにじられるな。奪われるな。

人並みになりたいんじゃない。

私は、私でありたい。

 

男児をベッドから抱き上げ、自分の額と彼の額をくっつけて「ぐり。あんたは、草桶のおうちで可愛がられるから大丈夫。バレエダンサーになったら観に行くからね。元気でね」と微笑みかけ、ベッドへ戻す。

一方の女児。ベッドから抱き上げるところまでは同じ。「あんたは、ママと一緒に行こうね。草桶愛磨じゃなくて、大石ぐらになるんだよ。それでもいい? 女同士、一緒に生きよう。クソみたいな世の中だけど、それでも女はいいよ。女のほうが絶対にいい」

女児はベッドには戻されない。そのまま抱っこひもでかかえられ、居候先の友人宅(裕福で、何不自由ない暮らしをさせてくれる環境)から理紀とともに旅立つ…いや、旅立たされる。

 

〔理紀のモノローグ〕

さぁ、どこに行こうか。試しに、沖縄とか行ってみる? それとも、ママの生まれた北海道にする? 私たち、誰にも縛られない。どこにでも行けるんだよ。

 

原作既読のためストーリーは把握していたけれど、映像で見ると余計に腹が立つというか、さらなる憤りを覚えました。具体的には、こんな感じです。

「あなたに『ママ』を名乗る資格があるとでも?」

「『それぞれがひとりの人間』だと言うなら、どうして最大限彼らを尊重しないのか? なぜ自分のエゴやその場の感情で、突発的に行動するのか?」

「踏みにじられているのは、奪われているのは、あなたじゃない。ほかでもない、あなたが産み落とした子供たちのほうだ」

「『あんたは草桶愛磨じゃなく大石ぐらになる。それでもいい?』って、生後2ヶ月の赤ちゃんにする質問じゃないでしょう。仮に『嫌だ』と思っていても、答えられないと知っているのに勝手すぎる」

「どの口で『女のほうが絶対にいい』と言っているのか。これまで散々“女であること”を憂いてきたくせに」

「あなたがどこへ行こうと結構、好きにしたらいい。でも、子供を“不幸の道連れ”にするのは違うと思う。代理出産した上、一緒に生まれた双子をわざわざ引き離すなんて…。『2人が成長して、いつか真実を知った時、どう感じるだろうか。ひどく苦しむことになりはしない…?』。どうしてそういうことを考えないのか? 想像力というものが欠落しているのか?」

 

この作品に出てくる登場人物たちは、正直言ってどの人もあまり好きではありません。それぞれ“嫌悪を感じる部分”は幾つもあるけれど、全員に共通しているのは、誰一人、双子の気持ちや行く末を、全くと言っていいほど案じていないところです。

「自分の遺伝子を継ぐ子供が欲しい」

代理母に産んでもらった“我が子”を、自分の手で育てたい」

「私は私でありたい」

揃いも揃って、み~んな自分のことばっかり。もちろん、己を大切にするのは人間としてごく自然で当たり前だと思いますが、そのために“子供を犠牲にするのも厭わない”というのは、やっぱり違うんじゃないかなぁ。

現状、理紀の未来には“貧困まっしぐら”の道が待っているようにしか思えません。手に職があるわけでも、有り余る資産があるわけでもないのに、自信を持って「私たちは誰にも縛られない。どこにでも行ける」と言い切れてしまう神経が全然理解できない。それって、愛磨ちゃんにとって幸せなんでしょうか。置いていかれた悠人くんも悠人くんで、将来「僕だけが実の母親に捨てられた」と感じてしまうかもしれません(「貧しい実母に攫われず、裕福な草桶家に残されたのは不幸中の幸いだった」と捉える可能性もありますが)。一番最悪なケースとしては、何も知らないまま2人が出会い、互いに異性として意識してしまう日が訪れること。これだって、可能性は低いけれども決してゼロではない。想像するだけで恐ろしい…いえ、おぞましいです。大人の都合や身勝手で犠牲になるのは、いつだって子供。子供は大人に頼るしか術がないのに、大人もそれを分かっているのに。

 

この小説は読後感が非常に悪かったというか、とにかく不快だったのですが、ドラマ視聴後もほぼ同じ気持ちになりました。登場人物の誰にも感情移入できないし、したいとも思わなかった。なれど、代理出産について、かなり深いところまで考えるきっかけをくれたことには感謝しています。

本のいいところは、読む前はそこまで興味を抱いていなかったテーマであっても、一度世界観に引きずり込まれてしまえば、そのテーマを取り巻く問題や現実に、正面から向き合わざるを得ない点です。自分なりに調べた上で、“その立場”に置かれている人のことを至極具体的に想像する。そうすると、「自分には関係ない」という考えが無くならないまでも、どんどん薄くなっていく気がするんですよね。そういう意味でも、本は世界を広げてくれるアイテムとして大変手軽でありがたいなぁと、今回あらためて思いました。

 

 

ところで。「生まれ変わるなら男がいいか、女がいいか」みたいな話題、よく出ませんか? 私は昔から「どっちでもいい」一択です。現状、女性で損したなぁと思うのは、「生理があること」「夫婦別姓が選択できないことによる、ほぼ強制的な苗字変更」の2点くらい。近年は“女性の生きづらさ”をテーマにした作品が目立つけれど、個人的には「男性であれ女性であれ、生きづらさは誰にでもあるだろうな」と感じています。

 

例えば。男性は男性だというだけで、「生涯仕事を続けるものだ」と決めつけられたり、「ある程度の体力があるはず」と期待されたりしますよね。実際、女性が肩書きとして専業主婦を名乗っても特に何も言われないけれど、男性が「専業主夫です」と言うと一瞬ざわついたり、変な空気になったりする。平日の昼間、公園にいるだけで不審者扱いされたりとかもあるでしょう。

我が夫は驚くほど体力がなく、一緒に出掛けると短時間で疲れてしまい、度々「お茶しよう」「座りたい」と言ってきます。独身時代はスポーツマンの彼氏が多かったこともあり、付き合い始めの頃は「こんなに疲れやすい男の人もいるんだ」とびっくりしました。と同時に、「男だから、女の私よりも体力がある」と思い込んでいた自分に気付いて反省。虚弱体質だったり、長時間歩くのが苦手だったりって、性別問わずあるはずなのに、いつの間にか固定観念にとらわれていた。

あとは、バイトやパートの募集要項も「主婦歓迎」は数多く見ますが、「主夫歓迎」はまだまだ少ない印象です。主夫に限らず、そういう働き方を望む男性だって沢山いるでしょうに、現実はなかなか難しいんだろうなぁ…。かつてアラサーだった頃、少し年下の男友達に「◯◯さん(←私の名前)ってバリキャリ志向だよね? 俺、実は主夫になりたいんだ~。家事全般得意だし、外で働くのそこまで好きじゃないし。今彼氏いないんだったら、俺と結婚するっていうの選択肢に入んない? あ、子供は作っても作んなくてもオッケーだよ。普通に友達として相性いいわけだから、『全然ナシ!』ってことないと思うんだけど、どうかな?」と予想外の提案をされてひっくり返りそうになったけれど(笑)、アラフォーとなった現在は「確かに、“完全にナシ”ではないよな〜」と感じています。

現代の働き方…というよりライフスタイルの選択肢は、男性より女性のほうが多いような気がしますもんね。男性だと、①サラリーマンとして勤め上げる、②家業を継ぐ、③起業する、あたりが王道だけれど、女性はもっとたくさんある。したがって、「専業主夫になりたい」「定年まで働くのは避けたい」と考えている男性にとっては、結構息苦しい世の中なのかもしれません。まぁ、“見えざるプレッシャー”と戦っているのは男性だけじゃないから、女性でも男性でも結局似たようなものというか、大して変わりはないんでしょうけども。

 

私は自分が“女性であること”を、嬉しいとも悲しいともラッキーとも残念とも思っていません。女性以外の性を体験したことがないので、比較しようがないですし(笑)。ただ、この国全体の生きづらさは年々増しているように感じます。それでもなお、「子供が欲しい」だったり「養子を迎えよう」だったり、そういう決断ができる方々のことを心から尊敬しています。代理母には絶対反対だけれど、毎日必死に子育てしているお父さん・お母さんのことは出来る限り応援したい。妹家族、親友家族、義兄家族、そして見知らぬご家族の子供たちが困っていて、且つ助けを必要としていたら、いつでも喜んで手を差し伸べます。愛磨ちゃんや悠人くんのような境遇でなくとも、“親以外の大人”の助けが要るケースって、案外あったりしますからね。その時は、全力で協力したいと思っています。

 

私は「自分の子供が欲しい」と願ったことは一度もないけれど、子供そのものは割と好きだし、「かかわりたくない」と思っているわけでもありません。昔から「子供を望んでいない」と伝えると、「つまりは子供嫌いって意味?」と勘違いされることが多々あったのですが、「“欲しくない=嫌い”ってわけじゃない」という点を、こと子供に関しては本当に理解してもらいづらい。

「あくまで、ものの例えとして聞いてね。怒らないでね。私は犬が大好きだけど、(当時の)仕事柄不規則だし家を空けることも多いから、継続的にちゃんとお世話するのが難しい。だから『欲しい』なんて思わないし、飼うことは100%ない。それと同じで、子供自体は好きだけど、自分の子は欲しくないわけ。でも、人ん家の犬でも人ん家の子供でも、困ってる場面に出くわしたら手を貸すよ。それって、根っこはおんなじことだと思うんだよね」

そう説明して、「あぁ、なるほど」「伝えたいことは分かった」的な返事をしてくれるのはごく少数で、怪訝な顔をするか、もしくは「ペットと子供を一緒にしないで!」と怒り出すか、その二種が多かったです、経験上は。「だから『怒らないで』って最初に言ったじゃーん…」と思いつつ、怒っている人に対してはそれ以上反論せず、別の話題を提供して乗り切ることにしています。どこまで行っても平行線の話題を続けるのは、お互い疲れるだけなのでね…(笑)。