女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

朋友

初めて海外を旅したのが2010年。以降、コロナ前までの10年間は、毎年欠かさず海外へ行っていました。タイ、オーストラリア、フィリピン、ベトナム、韓国、香港、インドネシア等、その多くがアジア圏です。中でも10回以上訪れていて、「絶っ対また行きたい!」と思っている地が台湾。

私には外国人の友達が結構いるのですが、一番多いのは台湾の友人です。それゆえ、今月3日に発生した台湾地震のニュース映像を見て激しく動揺…。現地の友人たちに連絡を取り続け、数日間かけて全員の無事を確認することができました。ひとまず安心です、ありがとうございます。

 


周知の通り、台湾は我が国に大変友好的で、何かあったら迷わず救いの手を差し伸べてくれる、心優しき友人です。

遡ること約11年。

2013年の夏、私は出張で台北を訪れることになりました。3.11の折、台湾の皆さんから頂戴した励ましの言葉、そして莫大な義援金に対し、「やっと直接御礼を言える機会に恵まれた!」と喜び勇んで現地入り。ところが、こちらから「東日本大震災の時は本当にありがとうございました」と伝える前に、「もう被害は大丈夫ですか?」「必要な助けがあれば何でも協力します」と言ってくれる人が大勢いました。それも行く先々で、です。仕事関係の方はもちろん、タクシーの運転手さんやホテルスタッフの方々、飲食店やコンビニの店員さんまで、当方が「日本から来た」と判明するや親身になって心配してくれ、現状困っていることはないか?と尋ねてくれる。その気持ちが嬉しくて&感激して、出張期間中何度も泣いてしまいました。それくらい、見知らぬ方々を含め、たくさんたくさん声を掛けていただきました。


実を申しますと、初めての台湾旅行を控えていた時(2010年秋)は、若干不安がありました。購入したガイドブックに、注意事項として「全体的には親日だが、高齢者の中には、統治時代のことで日本を良く思っていない方もおられるため配慮が必要」とあったからです。恥ずかしながら、そのページを開くまでは「美味しい小籠包が食べたい」「いろんな夜市に行きたい」「台湾式マッサージを受けたい」等々、旅を楽しむことばかり考えていて、歴史的背景には気が回っていなかった。そこで、申し訳程度ですが両国間(*私は台湾を“一つの国”だと思っておりますゆえ、敢えて「両国間」と記しています)の関係性について勉強し直してから台湾へと向かったのでした。


さて。人生初の台湾は、驚きと感動の連続でした。まず、レベルは様々なれど“日本語を話せる人”の多さに驚愕。観光地や中心街であれば、たとえ英語は通じなくとも「日本語が全然…」ということはほとんどなかった。メニューや看板等の表記も、台湾語及び北京語→日本語→英語の順だったりします。あとは、こちらが口を開く前に、一目で日本人だと分かるようで、最初から日本語で接してくれたり、日本のアニメや漫画の話題を振ってくれたりする。後年、台湾人の友達・Lに「まだ喋ってないのに『この人は日本人』ってすぐ分かるの、すごいよね〜」と言ったら、「それは簡単。日本人は服がおしゃれ、静か、礼儀正しい。他のアジア人と全然違うから、言葉聞かなくても大体分かる」と返ってきました。へぇ、そうなんだ。


そして、こうも言われました。「(統治の件で)『日本好きじゃない』っていうお年寄りがいるのは事実と思う。お年寄りの気持ち尊重するの大切。でも、他にも気にしてほしいことある。『台湾人』を英語にする時、“Chinese”って言わないでほしい。私たちは“Taiwanese”。悪気なく“Chinese”って言う日本人いるけど、あれ悲しい。仲いい友達にそう言われるの、関係ない人(付き合いの浅い国の人)に言われるより、もっとたくさん悲しい」


底抜けに明るく、いつも笑顔のLが、この時だけは極めて真剣な表情でした。私は“Taiwanese”という単語を初めて聞いた…いえ、それまでも耳にしていたのかもしれないけれど、意識できていなかったためにスルーしてしまっていた可能性が高いです。以来、台湾の方、及び中国の方と接する時は注意を払っています。

名称関連で言うと、記憶に新しいのは、やはり東京五輪(2021年開催)の開会式中継です。各国の選手が入場する際、NHKアナウンサーが、台湾選手団を「Chinese Taipei」ではなく「Taiwan」と紹介したことが、現地で大きく報道されました(*ちなみに、IOCは「Chinese Taipei」の呼称で統一)。実際、何人かの友人より「オリンピックという国際舞台で、はっきり『台湾』と言ってくれてありがとう」「ニュース番組で知った、すごく嬉しかった」と連絡をもらいました。台湾の皆さんにとって、[台湾]という名がどれほど大切なものなのか、その“呼ばれ方”を如何に重要視しているのかをあらためて実感しました。

 


話を戻しますね。今回驚かされたのは、台湾の方々の深い愛情と心配りです。無事を確認した後、「必要なものはありますか? 今度は私たちが恩返しをする番です、何でも言ってください」と友人全員に伝えたところ、返ってきたのは以下のような言葉たち。

「もうもらった。こうして連絡くれた、ありがとう」

「何言ってますか。能登地震あって日本大変です。大変なの同じです、無理しないで」

「日本は友人です。友人を助けるのは当たり前です、恩返しは要りません。被害がなくなった後(台湾に)また来てください、ごはん食べましょう」

「連絡ありがとう、私も家族も大丈夫。何も要らないから祈ってください。被害が広がらないように祈ってください。私も日本に地震が起きないように祈ります」

「怖かったけど今は平気。心配ありがとう、家族も皆元気です。そちらは(余震等)大丈夫?」…etc.


何て素敵で、思いやりに溢れた方々なのでしょう。私が繰り返し台湾に行きたくなるのは、“そこに暮らす人々”が好きだから、彼らの“心”に強く惹かれているからなんだなぁと、この度のやり取りで再認識しました。単に美味しい小籠包があるだけじゃ、夜市が楽しいからだけじゃ、10回以上も足を運んだりしないと思います。

これからも、台湾の方々と私の友情、そして台湾と日本の友情は続いていくことでしょう。私は私に出来ることを、出来る範囲でやっていくつもりです。朋友(=友達)の言葉に従い、決して「無理」はせずに──。

 

祈禱台灣的大家能平安無事

(「台湾の皆さま方の無事を祈っております」の意です。台湾語は少ししか分からないので、文法や漢字等に間違いがあったらすみません)

 

パスポートを確認したところ、最後の台湾旅は2018年秋でした。ほぼ毎年行っていたのに、もう6年も渡台していないとは…。当然今は時期尚早だけれど、いずれ必ず訪れて友人たちと再会し、笑顔でハグできたらと思っています。多謝!(ありがとう)