女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

炎の天使

皆さんは、誰かを本気で「殺したい」と思ったことがありますか? 私は一度だけあります。忘れもしない12歳の冬、対象は実父です。

 

カテゴリー/生い立ち内「変えられない過去、選べる未来」でも詳しく書いたのですが、私はいわゆる“毒親”のもとで育ちました。父親は極度の男尊女卑&典型的なモラハラ男、母親はいつもビクビク怯えながら、その父に黙って従うだけ…という感じの家庭です。家の中は、支配する者(父)と支配される者(母・私・妹)の2種類に分断され、まるで“見えない結界”でも張り巡らされているかのような雰囲気でした。


言葉の暴力は日々浴びせられていたけれど、12歳の時、初めて身体的暴力を振るわれました。母と妹が不在だったその日。父に難癖をつけられた私が真っ向から反論したところ、「口答えするな!」と怒鳴られてお腹を蹴り上げられ、まるで漫画みたいに吹っ飛ばされたのです。体が宙に浮いて壁に激突し、後頭部を強打して意識は朦朧。うずくまってうめき声をあげ苦しんでいる私を放置し、父は舌打ちしつつ何処かへ立ち去りました。その後ろ姿を睨みつけながら、自分の中に「憎悪」と「殺意」がマグマのように沸き上がってきたことを、今でもはっきりと覚えています。私の場合はこの時限りですが、世の中には、連日暴力を振るわれ続けている子供たちが大勢いる。報道されたり警察が動いたりするのは、あくまで“事件”が起こってからなので、そうでないケースは、もっとずっと多いだろうと予想できます。

 

現在放送中のドラマ「ミステリと言う勿れ」(フジテレビ/月曜21時~)の第6話・第7話は、子供の虐待がテーマとなっていました。概要をざっとご説明します。

毎日のように親から虐待され、辛い目に遭っている子供のところへ、どこからともなく“炎の天使”がやって来ます。「燃やしてあげようか? 僕は君を守るために来たんだ」と優しく声を掛け、「もし君がそうしてほしかったら、炎のマークを壁に描いて。それが合図だ。決心がついてからでいいからね。決定権は君にある」と囁き去っていく──。囁かれた子供は、“自らの意志”でマークを描き、親を燃やすこと…つまり「殺してもらうこと」に同意します。天使もまた、幼少期に母親から、目を覆いたくなるような酷い虐待を受けて育った人物。けれど、偶然起きた火災によって自宅が燃え、母親は焼死。自由になった彼は、自分と同じように虐待で苦しんでいる子供たちを救うべく、“炎の天使”として放火殺人を犯すようになる、というストーリーです。

 

「12歳のあの時、もしも家に天使が来てくれたとしたら」と考えました。私は、天使に「気付いてくれて、わざわざ訪ねてきてくれてありがとう。とっても嬉しいです」と、感謝の気持ちを伝えると思います。でも、炎のマークを描く道は、きっと選ばない。「心の中で『殺したい』と願うこと」と、「実際に『殺してほしい』と頼むこと」は全くの別物だし、殺人は重罪だということも理解しています。12歳ならば、それくらいの判断力は備わっている。けれど、もう少し幼かったら、すぐにでもマークを描いてしまうかもしれません。それがどんな意味を持ち、どんな責任を伴うのかも分からないまま、「あいつさえいなくなれば」「この世から消えてくれたら」と思って実行してしまう可能性は大いにある。

 

さて。天使が救った子供たちは、やがて成長し、それぞれの人生を歩んでいきます。その中の一人が、“自らの意志”で親を失ってから数年後に、天使と再会。「久しぶりだね。元気そうで良かった」と微笑む天使に向かって、彼は鬼の形相でこう叫びました。

「まさか、親を殺した子供がみんな幸せになってるとでも思ってんのか⁉︎ 俺はあれから、里親にも馴染めなくて結局また酷い目に遭った。他にも虐められて、嫌な思いもいっぱいした。でも、『あの時よりはマシだ』って思いたい。思わなきゃいけないんだ! 何でって、自分が許可したんだからな。俺が『殺していい』って言った、俺が親を殺したんだ!」

そうです、彼はずっと苦しんでいたのです。「両親がいない」という社会的ハンデを背負い、そしてその両親を“殺す許可”を出したのは、他の誰でもない自分だという事実。「僕は、あの子たちを助けたと思ってた。みんな幸せになってると思ってた。もう、これ以上出来ない…」。天使は愕然とし、“炎の天使”をやめることを決意します。

 

当たり前ですが、放火殺人なんて絶対にやってはいけないことです。でも、その一方で、天使によって救われ、幸せに生きている子供たちだっているのでは?とも思います。上記の彼も、捜査しに来た刑事から「“天使”というのは、(顔写真を手に)この少年じゃなかったか?」と尋ねられた際、「さぁな。それを言うほど、俺は恥知らずじゃない」と答えています。彼自身、天使を恨んでいるのか感謝しているのか分からないというか、いろんな感情がごちゃまぜになって、とんでもなく複雑な心境なんだろうなぁと感じました。

 

仮に、虐待されている子供から「このまま虐待され続けて、いつか心も体も親に壊されちゃう日が来るなら、炎のマークを描いて天使を呼ぶ。それの何がダメなの? じゃあ、あなたは助けてくれるの?」とでも問われたら、私は明確な答えを出せない気がします。児童相談所に保護されたとしても、すぐ自宅へ連れ戻されて虐待が繰り返される、もしくはエスカレートする。他に行く当てはない、どこにも逃げ場がない。信じられる大人もいない、当然お金だってない。そんな子供たちに対して、「天使を頼るな」と言えるだろうか。こういう時、具体的な解決策や最善の道ってあるのだろうか…。

なお、私自身は誰にも相談しませんでした。同時に、「人に話したところで、多分どうにもならない」という厳しい現実も、子供ながら勘付いていたように記憶しています。父も母も、外面だけは本っ当に、驚くほど良かったので(←毒親あるある)、「周りに話しても信じてもらえないだろう」という諦めもあった。だから、いかに早く親のもとを抜け出すか、そして“未来をどう生きるか”を毎日必死に考えていました。

 

「無償の愛」というのは、確かに存在すると思います。ただし、親は必ず子を愛する、子も必ず親を愛する、とは限らない。現に私がそうです。学生の頃は、「父親が若くして他界した場合、保険金って沢山出るのかな。だったらとっとと死んでほしいな」と思っていたけれど、社会人になってからはまるで関心が無くなりました。父が年老いてきた現在は、「『こういう最期は嫌だ』と本人が思っている死に方で逝ってほしい」と望んでいます。プラス、できれば安らかな最期ではなく、苦しみながら死んでくれ、と。誰にも看取られず、独りきりで、もがき苦しんだ末に地獄へ堕ちてほしい。自分でも「なかなかに性格悪いな〜」と思いますが(笑)、直接手を下しているわけじゃないし、願うくらいは許されるでしょう。

身体的な暴力は一度きりでも、心理的な暴力=言葉の暴力を20年もの間浴びせられ続けた恨みや憎しみは、そう簡単に晴れたり薄れたりするものではありません。“良い行い”はもちろん、“悪い行い”も、いずれ自分に返ってくる。私は、そう信じて生きています。