女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

“人外”の生物

オリンピック、始まりましたね。利権と欲、スキャンダルと感染症にまみれ、ある意味「歴史に残るオリンピック」となるかもしれません。選手たちには悪いけれど、開催期間中は何の競技も観ず(=テレビをつけず)、本を読んだり音楽を聴いたり当ブログを更新したり、“自分の好きなこと”をして過ごそうと考えています。


さて。数あるスキャンダルの中でも、とりわけ信じがたいのが小山田圭吾氏の件です。一部では有名だったとされる、“過去の非道な行いを、自慢話・笑い話として嘲笑を交え披露した”という某音楽雑誌の記事。私自身はその存在を知らなかったため、今回の騒動で初めて目にしましたが…あまりに酷すぎて吐き気がした。私は、「オリンピック及びパラリンピックに携わる人材は、みな聖人君子であれ」などという考えは持っていません。そもそも聖人君子なんて、今日まで生きてきて一度も出会ったことないですし。でも最低限の条件として、“人間”であるべきだとは思っています。


記事が真実ならば、彼の所業は人間ではなく鬼畜生の類。血の通った人間がすることとは到底思えず、心の底から軽蔑・嫌悪します。自らの残虐行為を悪びれもせず、言葉は悪いですが“ネタ”にしてペラペラ喋っていたということは、つまり反省や後悔も全くしていないのだと予想できる。そして、彼にとっては「昔のこと」であっても、被害者にとっては「現在も続く苦痛」「永遠に癒えない傷」の可能性があります。あそこまで非道で、人間の尊厳をも奪うような行為を、長期間にわたってされたとしたら…。私なら耐えられないし、「この手で殺してやりたい」と思うかもしれない。被害者の方の障害がどういうものなのか把握していませんが、仮に殺意や復讐心が芽生えたとしても、メンタル或いはフィジカル的に、行動に移すこと自体が難しいケースだってあるでしょう。もしそうだとすれば、“反撃できない”と承知の上で、残忍極まりない行為に及んでいたことになります。卑劣すぎる。外道中の外道です。


加えてもう一つ。私は前職で16年間、エンタメ系の雑誌記者をしておりました。ですが、万一「聞くに耐えない話」「記事化した場合、“読んで気分を害する人が確実にいる”と想像がつく話」等をインタビュー中にされたとしても、自分の中だけで処理し、表に出すことはしないでしょう。誰かを傷付けるような誌面は手掛けたくないし、何より、そんな記事を“自らの頭脳や手指を使って形にすること”が許せない。やはり雑誌は、読んでワクワクしたり感動したり知識を得たり──そういうものであってほしいです。だから、某雑誌が当時、どうしてああいう記事を掲載したのか理解に苦しみます。まぁ理解したくもないけれど、こうして二十数年経って小山田氏の残虐な行為が全世界に知れ渡り、その証拠として出回ることになったのだから、“記事化”の意味=お役目はあったのかもしれません。


ただ一方で、被害者の方をはじめ、昔辛い経験をさせられたことがある方々が、「蒸し返すな」「思い出させるな」「そっとしておいてくれ」等の思いを抱えている確率も低くはないだろうなと想像しています。過去のみならず、フラッシュバックにより今もなお苦しみを味わわされているとしたら、加害者を何重もの罪に問いたいというか、憤りを感じずにはいられない。まさに「のうのうと生きやがって」という気持ちです。


私の父は毒親で、典型的なモラハラ男。家族は日常的に言葉の暴力を浴びせられ、私は小学生の頃に身体的暴力…お腹を思いきり蹴られて吹っ飛ばされ、壁に激突し後頭部を強打した経験があります(詳しくはカテゴリー/生い立ち内「変えられない過去、選べる未来」に記載)。私の場合は一度きりですが、その“たった一度”の時でさえ、明確なる殺意が沸き上がりました。私が父親を憎んでいるのは総合的に見てというか、蹴られたことだけが原因ではないけれど、あれが決定打となったのは確実です。それこそ二十数年前の出来事ですが、生涯許す気はないし、許す必要もないと思っています。謝罪も反省もなく、昔と一切変わらず偉そうな態度を取り続ける人間は、恐らく性根が腐っている。さっさと腐り切って土に還り、地獄へ堕ちればいい。そして、自分がしてきた行いと同じ目に遭えばいい。


年月とともに痛みは薄れても、恨みや憎悪が消えることはありません。中には相手を赦せる人もいるでしょうが、私には無理。“やったもん勝ち”なんて冗談じゃない。因果応報、酬いを受ける時が必ずやってくる世の中であってほしいと思います。同じように、他者に優しく親切に接する人には、巡りめぐってその優しさが返っていくよう願っています。私もそういう方々にたくさん助けてもらったからこそ、今の平穏な暮らしがあります。たとえご本人に直接恩返しが出来なくとも、縁あって触れ合う方々へ、私が戴いた手助けや優しさを、ちょっとずつ返していければと思いつつ日々生活しています。