女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

一枚岩じゃなくたって

私がかつて勤めていたのは、社員50人以下の出版社…つまり中小企業です。それくらいの規模でも、社長をはじめとする経営陣、営業部(広告営業及び書店営業)、編集部(雑誌編集及び書籍編集)他、所属部署や各々の立場等によって、見ている方向だとか優先事項だとかが随分違いました。

「会社として利益を上げる」という主目的は一応同じだけれど、経営陣は事業拡大や次世代幹部の育成、営業部は毎月の売り上げや新規クライアントの開拓、編集部は次号の企画立案や日々の取材・原稿執筆を第一に考えていたように思います。社員一人ひとりに異なる役割があり、各自それを果たそうとしているわけだから、当然といえば当然なのですが、だからこそ衝突することも多かった。特に、編集部と営業部は。


私が(2020年秋まで)所属していたのは、ざっくり言うと音楽雑誌の編集部です。インタビュー記事をメインに、特集やライブレポ、新曲レビュー等も掲載する月刊誌で、雑誌としてはかなり息の長い部類に入ります。発行部数も悪くなかったため、読者からも業界関係者からも、そこそこ信頼を得ている媒体と言えましょう。

現在の内情には詳しくないけれど、当時の編集部は、読者からの「誰々を表紙にしてください!」「誰々の海外公演をレポしてほしいです」等のリクエストや、自分(記者)達が是非やりたい企画、レコード会社・事務所からの売り込み、クライアントからのタイアップ依頼等々、実にさまざまな要素をパズルのように組み合わせつつ誌面を構成していました。部数への影響を全く考えないわけではないものの、私を含めて編集部員は“音楽バカ”ばっかり(笑)。それゆえ、基本的には「もっと売れてほしい人」だったり「パフォーマンスが魅力的な人」を掲載したいと思っていたんですよね。


でも、営業部はそうじゃありません。毎号、「既に売れている人」「部数アップが期待できる人」を表紙にせよと迫ってくる。それは戦略として正しいと思うし、彼らの「どんなに立派な記事を書いても、結果が伴わなきゃどうしようもない」という主張も理解できます。

ただし月刊誌ゆえ、表紙を飾れるのは年間たった12人(もしくは12グループ)。その限られた12回に、出来るだけ多くの歌手に登場してもらいたい、読者のリクエストになるべく応えたいと思っているのに、「いつもより部数落ちそうじゃない?」「確かにライブはスゴイけどさ〜、書店に並んだ時、彼or彼女の表紙で“引き”あるの? お客さん、手に取ってくれるかなぁ」などと嫌味ったらしく言われると、こちらも全力で反発したくなってしまいます。「原石を見出すのだって専門誌の仕事だと思うけど」「部数部数って、営業部は他に言うことないわけ?」等々。お互い大人なので、会議の場以外で言い争うことはそんなになかったけれど、「普段は仲良かったの?」と訊かれたら、やっぱりイエスとは答えられない関係性だったと思います。その証拠に、今でも連絡を取り合う元同僚の中に、営業部員は一人もいません(笑)。

 

 

中小企業でさえこんな具合ですから、約700人の社員を抱える総合出版社・小学館はこの比ではないでしょう。編集、営業、クロスメディア、ライツ、デジタル、管理…等々、部署の数からして、小さな出版社とは全然違います。


漫画家・芦原妃名子さんが亡くなられたのは1月29日。翌30日、小学館が社として公式コメントを発表したのですが、それを読んだ時、非常に冷たく、芦原さんの死に関して“まるで他人事”のような印象を受けました。下記がその全文となります。

「漫画家の芦原妃名子先生が、逝去されました。

『砂時計』で第50回、『Piece』で第58回小学館漫画賞を受賞され、2017年からは7年にわたり『姉系プチコミック』で『セクシー田中さん』をご執筆いただいておりました。

先生の生前の多大なご功績に敬意と感謝を表し、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。先生が遺された素晴らしい作品の数々が、これからも多くの皆様に読み続けられることを心から願っております」

 

そして2月6日、同社が社内向け説明会にて、「この件に関しての社外発表はない」という方針を打ち出したことが明らかに。それを受けてか、同8日、現場の編集者たちが「第一コミック局 編集者一同」として声明を発表しました(*第一コミック局は、「姉系プチコミック」を制作している部署です)。長文なので、一部抜粋して掲載致します。

「本メッセージは、我々現場の編集者が書いているものです。

私たちが語るまでもないことですが、『著作権』と呼ばれる権利には、『著作財産権』と『著作者人格権』というものがあります。今回、その当然守られてしかるべき原作者の権利を主張された芦原先生が非業の死を遂げられました。守られるべき権利を守りたいと声を上げることに、勇気が必要な状況であってはならない。私たち編集者がついていながら、このようなことを感じさせたことが悔やまれてなりません。

二度と原作者がこのような思いをしないためにも、『著作者人格権』という著者が持つ絶対的な権利について周知徹底し、著者の意向は必ず尊重され、意見を言うことは当然のことであるという認識を拡げることこそが、再発防止において核となる部分だと考えています。

本メッセージを書くにあたり、『これは誰かを傷つける結果にならないか』『今の私たちの立場で発信してはいけない言葉なのではないか』『私たちの気持ち表明にならぬよう』『感情的にならぬよう』『冷静な文章を……』と皆で熟慮を重ねて参りました。

それでもどうしてもどうしても、私たちにも寂しいと言わせてください。寂しいです、先生」


漫画家にとって担当編集は、二人三脚でその厳しく険しい道を共に歩む、いわば相棒のような存在ですから、きちんと漫画家に寄り添ってくれる編集さんがおられるようで多少は安堵しました。けれど、声明全体から伝わってくるのは、“大変よく練られた文章”だということ、そして“肝心なことは何も書かれていない”ということ(*上記は抜粋ですので、全文を読みたい方は小学館HPにてご確認をお願いします)。一体どういう経緯で、芦原さんの人生が、尊い命が奪われてしまったのか──。まだ調査中とはいえ、その点について一切言及されておらず、事実は何も浮かび上がってきません。日本テレビ側のコメントにも、それに該当するものは見当たりませんでした。

 

なお、小学館は社として2度目となるコメントを、第一コミック局と同じ8日に発表しています。こちらも一部抜粋致します。

「『セクシー田中さん』の映像化については、芦原先生のご要望を担当グループがドラマ制作サイドに、誠実、忠実に伝え、制作されました。しかしながら、今回のような事態となったことは痛恨の極みです。二度とこうした悲劇を繰り返さないために、現在、調査を進めており、今後、再発防止に努めて参ります」

“弊社に落ち度はない、したがって責任もない”とでも言いたげな文章ですね…。より一層失望しました。


企業というのは、理想論だけで経営していけるものでは決してありません。そんなことは分かっています。でも、小学館日本テレビもエンタメを扱う企業です。“誰かの死の上に成り立つエンタメ”なんて、誰も楽しめるはずがない。上層部の中にも、心と良識のある人はいるだろうし、現場の中にも、売り上げ第一主義者や、クリエイターを大事にせず、“使い捨て感覚”で接する人もいると思います。実に様々な人がいます。でも、テレビマンや編集者である前に、みんな一人の人間でしょう? これを機に、本気でやり方を変えようとしないなんておかしいというか、人間としての何かが欠落しているんじゃないかとすら思ってしまう。なぜ平気でいられるのか、理解に苦しみます。


最後になりましたが、私はいち漫画ファンとして、誰かを糾弾したいわけでも、責め立てたいわけでもありません。ただ、クリエイターをもっと大切にしてほしいと願っているし、今のシステムや意識を改善してほしいし、何より悲劇を繰り返してほしくない。そのためには、原因の究明が不可欠だと考えています。何がどうしてこうなったのか、防ぐにはどうしたらいいのか、どこをどのように変えればいいのか。それを真摯に話し合い、規定を定め、公にし、その規定を遵守してもらいたいです。もし実現不能と言うのなら、今後一切、原作ものには関わらないでほしい。漫画家自身が映像化を望むなら話は違ってくるのかもしれないけれど、そうじゃないなら実写化なんてしなくていいです。これ以上、クリエイターの心身を疲弊させないでほしい。いろんなものを、彼らから搾取しないでほしい。


私はこれから先も、“漫画のある世界”の住人でいたいです。音楽のない世界と同じくらい、漫画のない世界なんて本当に本当に嫌だ。救いも癒やしも興奮も感動も教訓も、数えきれないほど多くのものを、漫画から与えてもらって&受け取って、今日まで生きてきました。大好きな漫画家さんたちの作品が読めなくなる未来なんて、想像しただけでも絶望感と喪失感がものすごい。そんな未来は訪れてほしくないです、絶対に。