女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

“コア”の見極め

 

2022年冬にシーズン1が放送されたドラマ「作りたい女と食べたい女」(*原作=ゆざきさかおみ氏の同名漫画)。そのシーズン2が、先月末よりスタートしました。

シーズン1は全10回だったけれど、シーズン2は全20回。月曜~木曜の22:45~23:00、NHKにて放送中です。なお、話数の数え方としては「シーズン1からのつづき」という位置付け。今日現在(2/11)、第18話まで放送済みだけれど、残りは2話じゃなく12話なので、まだ半分以上残っています。興味のある方は、今からでもご覧になってみてください。


さて。基本的には楽しく観ている同ドラマですが、直近2回は結構しんどかったですねぇ。というのも、主人公の一人・春日さんの父親像が、私の父とそっくりだったから。

春日さんは、両親、自分、弟の4人家族。食べることが大好きなのに、“女だから”という理由で弟よりおかずの量が少なかったり、食後、父親と弟がソファーでくつろぐ中、母親と春日さんは食器の片付けに忙しかったりと、ずっと嫌な思いをして育ってきました。そのため、故郷を出て約10年、実家には帰っていないし、父親からの着信もスルーしている状態です。

何度か書いている通り、私の父も毒親です。男尊女卑で、モラハラで、態度も喋り方も常に偉そう。今こうして思い出すだけでも気分が悪い。そのせいか、春日さんが父親に電話で怒鳴られたり罵られたりするシーンは、ドラマと分かっていてもキツかったですね…。高圧的な物言いや、自己中心的な考え方が自分の父親とモ口に重なってしまい、強い嫌悪感を覚えて吐き気がしました。


あ、ドラマの内容に戻りますね。

ここ最近、春日さんへの連絡が頻繁になった理由──。それは、春日さんのおばあちゃん、つまり父親にとっての“お母さん”に、介護が必要になったから。「だからこっちに帰ってきて介護を手伝え」というのです。「どうせ大した仕事じゃないだろう、辞めて帰ってこい」と。


実父の酷い発言を受け、春日さんの中で燻り続けていた怒りや疑問が、一気に爆発したのかもしれません。彼女は極めて冷静に、けれどもはっきりとした口調で父親に伝えます。

「私、昔からお母さんのことが不思議だった。家のこと全部やらされて、まるで家政婦みたい。お父さんはお母さんに全然優しくしない、感謝もしない。そこにいたら、私は私じゃいられなくなる。私は“家の何か”じゃなくて“私”でいたい。その家には一生戻らない」

そう告げられた父親は、「お前、家族を見捨てるのか⁉︎」とヒステリックに叫びます。「もう連絡してこないでください」と電話を切ろうとする春日さんに向かって、「おい、待て! 親不孝者!」と大声で怒鳴る父親…。私は普段、誰かに対して“お前”という言葉を使いませんが、このシーンでは「お前が言うな。この毒親が」と思わず呟いてしまった。そのくらい腹が立ったし、虚しい気持ちにもなった。“相手を平気で傷付ける人間、且つ「自分が悪かった」とは微塵も思わない人間”って、どこの世界にも存在するんですよね。悲しいけれど。

 

 

ところで。「作りたい女と食べたい女」もいわゆる“原作もの”ですが、視聴者目線からは諸々うまくいっているように映ります。主役2人(比嘉愛未さん&西野恵未さん)をはじめ、脇を固める作優陣のキャスティングが秀逸だし、衣装や音楽、もちろん脚本も素晴らしい。NHK制作だと、必要に応じてジェンダーセクシュアリティ考証等も入るため、自分の知識が足りていない分野(←今回のドラマであれば、レズビアンアセクシャル他)に話が及んでも、ある程度安心感を持って観ることが出来ます。


原作ものの場合、“漫画から飛び出してきたような容姿”の俳優さんがキャスティングされたら、まぁ嬉しいは嬉しいですが、単に造形が似ていればそれでいいかというとそうではない気がします。脚本も、台詞の一言一句を原作通りにすればオールオッケーかと問われれば、それもまた違う。“肝となる台詞”や“決め台詞”等は原作と同じにしてほしいけれど、全く変えずに映像化するのは現実的ではありません。漫画に出来て映像では出来ない表現、映像に出来て漫画では出来ない表現というのは当然あるし、補足だったり省略だったりが必要なシーンもあります。

ただ、“それを失くすんだったら、映像化する意味がないもの”は幾つかあると思う。

例えば、原作が持つ世界観、登場人物のアイデンティティ、作者が世に問いたいテーマ、作品に込めたメッセージ…等々です。作品の芯の部分、核となる部分を変えてしまうのならば、最早原作とは別物なわけで、何というか、「これに乗っかっときゃ儲かるだろ」的な発想で動いているとしか思えません。もし「どうしても変えたい」と言うのなら、第三者に頼らず、ゼロからオリジナル作品をつくればいい。自分の力で生み出せばいい。一度“本気のゼロイチ”を経験すれば、世のクリエイター達がしている努力や苦労が少しは分かるだろうし、何より己の力量、そして原作者の才能に気付けるはずです。

それでも気付けない場合は…今とは別方向の仕事に就いたほうがいいかもしれませんね。あなたのためにも、あなた以外の人のためにも。