女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

矜持と妥協 part2

 

私は昨年まで、“生涯正規雇用”という働き方について深く悩んだり、迷ったりしたことがほぼありませんでした。いえ、正確に言えば「単にそれ以外の選択肢を持っていなかっただけ」という感じかもしれません。

今一度私の経歴を記しますと、①新卒で出版社に就職、雑誌記者として16年間勤務。2020年秋、38歳で退社。②校正者に転身。2022年秋、退社。

いずれも正社員且つ〆切絶対厳守の仕事だったため、ずっと「ノー残業デー? そんなもの我々には全く関係ございません」という状態だったけれど(笑)、各種手当はきちんと付いていたし、何より働いていて楽しかったので、たとえ体力的にキツくても「月曜日が来なければいいのに」的なことを思った経験は無いに等しかった。私はそれをごく当たり前のこととして受け止めていたのですが、数ヵ月前、人生で初めて「会社に行くのが辛い…」という感情を味わいました。“職場が楽しい”というのは大変幸せなことで、「自分は長い間、すごく恵まれた環境にいたんだなぁ」と気付かされました。

 

時は昨年のある日。「『定年まで正社員』って決めつける必要、別にないのかもしれないな〜」とぼんやり思った私。確かに正社員でいれば何かと安心だし、社会的信用も得やすいのだけれど、その分責任は重く、労働時間も長い。

私は昨秋以降定職に就いていないのですが、全ての生活費は結婚当初と変わらず夫と折半。若い頃より地道に資産形成をしていたこともあって、「いつの間にか財布が空」とか「今月カツカツ…」とか、突然そういう状況に陥ることはこの先も考えにくいです。それに、病気や事故、天災等で明日死ぬかもしれないのだから、老後などという何十先の未来よりも、私は“今の暮らし”を大切に生きていきたい。であれば、時間的・精神的・体力的にある程度余裕をもって働ける…アルバイトだったり派遣だったりを選ぶ道もあるのでは?と感じました。一度正社員になってしまうとなかなか出来ない、“様々な会社や組織を内側から知る”ことも可能だし、好奇心旺盛&人見知りしない性格の私には合っていそうだな、とも思いました。

 

かくして、2023年春夏。取り急ぎやってみたい…というか、「内情を知りたい」と思っていた仕事に就いてみたのでございます(アルバイトで)。

勤務先は、紙媒体とweb媒体の両方を持つ出版社。私は断然紙媒体のほうが好きですが、web媒体も結構読みますし、電子書籍をはじめとしたデジタルも日頃から利用しています。ただ、電子書籍はきちんと校閲ないし校正が入っているので安心して読めるけれど、それ以外…いわゆる速報系のネット記事だったり、モノ・ヒト・コト等の紹介記事だったりは、呆れるほど低レベルなものが多くて悲しくなります。

誤字脱字なんて最早普通。そもそも文章力や構成力が及第点に達していないことも多いから、最後まで読んでも内容がよく分からなかったり、思いきり誤解を招くような書き方を平気でしたりしていて、「何故こんな記事を堂々と掲載できるのか?」「一体誰がオッケーを出しているのか?」と以前より不思議に思っていました。ならば中に入ってしまえと考え、先の出版社に、ライターとして潜入(?)してみたのです。

 

その結果──。

 

いや~、驚きましたね。まぁまぁ歴史のある雑誌を作っている会社なのに、社員達の仕事ぶりは実にいい加減だった。記事を書いた本人しか校正しない(*校正というのは複数人でダブルチェックするのが基本です)、雑誌内の“表記の決まり”を誰一人守らない、取材対象者が「これはオフレコで」と言って話してくれた内容を掲載しようとする…等々、そりゃもう最悪でした。教育係の先輩に向かって、「皆さんは、本当にこれでいいと思って仕事してるんですか?」とド直球で訊いてしまったほどです。

 

そして、輪をかけて酷かったのがweb版。一つ前の投稿「矜持と妥協 part1」で綴った「クオリティーは捨てていい。スピード重視で、とにかく量を書いてほしい」と言われたのはweb版についてです。

詳細は伏せますが、その雑誌・webは“モノ”を紹介する媒体でした。各メーカーの新商品(←ちなみに単価自体が高いため、どれも割と高額)を、写真と文章で紹介するのをメインとしているのだけれど、特にweb版はクオリティーの優先順位が著しく低い。句読点の位置がおかしくても、すぐ隣の記事と表現がカブっていても、写真のキャプションが抜けていても、そんなことはお構いなしです。

「頻繁に訪問してもらうためには、量をアップし続けることが一番大事。読者だって最新の情報が欲しいだけだから、web版に“ちゃんとした文章”は求めてないと思うんだよね。それと、アップ前に、毎回俺のチェック受けに来なくていいよ。書けたらすぐ上げちゃって。紙と違って、間違ってるとこあっても後で直しちゃえば問題ないし」

編集長ともあろう人が、こんなふざけた考えで仕事を進め、それを悪びれもせず口にするなんて…。彼にこう告げられた時の私の表情は、ショックと怒りと悲しみを、恐らく隠せていなかっただろうと思います。

 

さらに、何より腹立たしかったのはこの台詞。

「なるべく煽るようなタイトル付けてね。その方がPV稼げるから」

編集長曰く、『知らないとヤバイ!』『誰より早く手に入れろ!』『まだ持ってないの⁉︎』的な煽り文句をバンバン入れてくれと。私は大きく溜め息をついた後、「私なら、そんなふうにタイトルで煽られた時点で本文を読む気が失せますけどね」と一言。「まぁそういう人もいるだろうけどさ、実際PV稼げてるわけだから。ウチでバイトしてる以上、そういうやり方で頼むよ」

ね、反吐が出ませんか?


ただし、勉強になったことも沢山あります。

更新頻度で勝負するタイプのweb記事は、作成からアップまでの時間、そしてそれを担当するライターの人数が限られています。毎日本当に時間がないし、全てにおいて余裕がない。その会社で言えば、一日に10本近くの記事を書かなければならない上、記事に添える画像の処理(修正やトリミング、コラージュ等の加工全般)まで担う必要がありました。あらゆる作業に追われる中で、高いクオリティー&モチベーションを保つのは至難の業です。

しかも、目の前のPC画面に広がるのは、何の面白味もなく、クリエイティビティを全くと言っていいほど刺激されない決まりきったフォーマット。来る日も来る日も、同じフォーマットに記事を上げ続ける…。もちろん、そうじゃないweb媒体も存在するけれど、現状、大抵の媒体はフォーマットありきだと思います。おかげで紙媒体の自由さや、ああでもないこうでもないとレイアウトを考える楽しさ等、無限に広がる可能性をあらためて実感することができました。


速報系・量産系のネット記事が、なぜこうも低レベルなのか? その理由を、ちょっとだけ知ることができたように思います。少なくとも、私がバイトをした出版社では、矜持をもって仕事をしているライターは一人もいないように感じました。最初は違ったかもしれないけれど、ああいう考えの編集長に段々毒されてしまったり、「忙しいし、もうどうでもいいや…」と自ら思考停止する道を選ぶ人がいたりしても何ら不思議はありません。それくらい皆が時間に追われ、日々疲れ切っており、覇気や活気というものがまるでなかった。

「とにかくスピードと量」を重視しているせいで、記事一つ一つの内容は薄っぺらいし校正も甘い。誤字脱字はアップ後にしれっと直す、もしくは放置する(というか、そもそも気付いていないことが大半)。こんな状態では、書く人も読む人も、だ〜れも幸せになれないと思います。


兎にも角にも、“全然楽しくない職場に通い続ける”というのがどれほど辛いことなのか、生まれて初めて味わった3ヶ月間でした。これまで言葉でしか知らなかった「ブルーマンデー」や「サザエさん症候群」を、我が身をもって理解したように感じています。ふと、名曲「贈る言葉」(海援隊)の歌詞、『人は悲しみが多いほど  人には優しくできるのだから』が頭に浮かんだのでありました。

また一つ、人の痛みを知った41歳の春夏。