映画「正欲」(11月10日公開)を鑑賞しました。
原作は、第34回柴田錬三郎賞を受賞した同名小説「正欲」(朝井リョウ著/2021年刊、新潮社)。出演は稲垣吾郎さん、新垣結衣さん、磯村勇斗さん、佐藤寛太さん、東野絢香さん、ほか。監督は岸善幸さん、脚本は港岳彦さん。
ちなみに原作は未読で、今後も読む予定はありません。直木賞作家に向かって失礼かもしれないけれど、朝井さんの作品だと、個人的には「桐島、部活やめるってよ」「何者」などの有名小説より、「風とともにゆとりぬ」他、エッセイのほうが好きなんですよね。それゆえ、エッセイは購入しても小説は図書館で済ませてしまうのでございます。相済みません…(汗)。
↓↓↓以下、ネタバレあり↓↓↓
で。簡単に言うと、作品全体のテーマとしては、「多様性とは何か?」「マイノリティ、そしてマジョリティの正体とは?」みたいなことじゃないかなと思います。マジョリティ側の代表が、堅物検事・寺井啓喜(稲垣さん)、マイノリティ側の代表が、“特殊な性癖”を持つ桐生夏月(新垣さん)と佐々木佳道(磯村さん)。3人の他にも色々な人物が関わってくるのですが、それはここでは置いておくと致しまして。
原作を読んでいないため、“特殊な性癖”が何なのか知らないまま映画館へ行ったのですが、その設定に対しては「面白い!」という思いと、「そこまでひた隠しにするほど特殊かなぁ?」という思いが入り混じりました。
桐生も佐々木も、性的興奮を覚える対象は異性…というか人間ですらなく、“蛇口から勢いよく噴き出している水”だったり、“滝や噴水の激しい水飛沫”だったりします。その性癖を誰にも明かすことが出来ず、生身の人間にも欲情しないので、伴侶を持つことなど考えてもいなかったのだけれど、同じ嗜好を持つ2人が出会い(正しくは再会し)、「上手く擬態する」ために愛のない結婚をし、そしてやがて──的なあらすじです。
そもそも、水というのはエロティックな表現に欠かせないアイテムと言いますか、水に濡れた顔や体は男女ともにセクシーだし、何より水音って、受け取り方によってはすんごくエロいじゃないですか♡ だから、“水に性的興奮を覚える”というのが変だとか異常だとか、そういうふうには私はあんまり思えないんですよね。もし仮に、我が夫が「今まで秘密にしてたけど、実は僕、水にしか興奮しない質なんだ。君と交われない理由はそれ」と告白してきたとしても、「へぇ、そうなんだ」くらいの薄い反応で終わるだろうなと予想します。それより、どんな状態の水が好みなのかとか、そのことを自覚したのはいつで、気付いたきっかけは何だったのかとか、次々質問が出てきてしまいそうな予感…(笑)。
ところで。映画を観る前は、単に「性欲」の当て字なのかな?と思っていたタイトル。でも今は、「それ以外にもありそう」と感じています。
例えば。自分も出来るだけ「正」しくありたい、と望む「欲」。どうかあなたも「正」しくあってほしい、と願う「欲」。誰もかれも「正」しくあれ、と強要したい「欲」。“「正」しく生きている人”として見られたい「欲」、等々。
映画のフライヤーには、表題「正欲」の下にサブタイトルっぽい感じで「(ab)normal desire」と記されています。
ノーマルな欲望と、アブノーマルな欲望。犯罪が絡むようなアブノーマル(例/児童買春とかレイプドラッグとか)はもちろん駄目だけれど、そうじゃないなら、欲望や欲求に正常も異常もないような気がしています。私で言えば、筋肉フェチ・声フェチ・手フェチ。これらと水フェチは、対象が違うだけで、根本は同じだと思います。
余談ですが、映画「正欲」のフライヤーは(私の知る限り)2種類ある模様。私は文字のみのシンプルなパターンが好きです。写真ありのパターンより「(ab)normal desire」のQ数が大きくて「何て書いてあるんだろう?」と注視しやすいし、文字色と背景との相性が良いからより際立っている。画面上だと、原作小説の装丁と同じ背景に見えるけれど実際はどうなんだろう…? そういう点でも、原作を大事にしているというか、尊重しているように感じて、文字のみのパターンが好きなのかもしれません。あとは、単純に「情報量が少ないほうがそそられる」というのもあります。これは、想像力や妄想力を働かせるのがだ〜い好きな、私の昔からの“癖(へき)”ですね(笑)。