女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

投げ銭ライブ

先日、前職でお世話になった方々とzoom会議を行いました。参加者は、ある制作会社の社長、ライブハウス経営者、某歌手のマネージャーさん、私。「少し前から始めた投げ銭ライブ(配信)を、この先もっと充実させていきたい」ということで話し合いの場が設けられ、私にもお呼びが掛かったのです。


ライブハウス経営者は場所提供(お客を入れてのライブ及びイベント開催は当分難しいため、「レンタル業にて生き残りをはかっている最中」だと言っていました)、制作会社社長はノウハウの提供や機材の貸し出し。そして私は元雑誌記者としての“腕”の提供…といえば聞こえはいいけれど(笑)、つまり“何でも屋”要員ですね。写真を撮ったり、メンバーのコメントを取って短い記事を書いたり、女性目線でちょこっとアドバイスをしたり(スタッフは皆男性なので)。


さてさて、某歌手は4人組(ちなみに若手のメンズ)です。既に数回投げ銭ライブを実施していて、ファンにも好評&ギリギリ黒字なんだとか。ただ、「回を重ねるごとにファンから増してきた要望が2つある」と。一つは「推しのアップ映像が見たい」、一つは「写真のクオリティを上げてほしい」。


高価な撮影機材を使っていても、それを扱うのはプロではなく事務所のスタッフさんです。まして4人組なので、基本は(全員が映るように)引きのカット。一人一人の細かい表情までは追えないだろうから、個々についているファンが「推しのアップ」を求める気持ちはよく分かります。されど、1人のメンバーにフォーカスし過ぎると、彼のファンは満足しても、他の3人のファンはその間退屈してしまう可能性がある。なるべく4人均等にしないと…なども考慮した場合、「それぞれのアップ映像は(現時点では)あまり現実的ではない」と結論付けたんだそう。


そして「写真のクオリティ」というのは、配信後にアップする“ライブで熱唱しているショット”や“トーク中の笑顔ショット”等に関して。過去のアーカイブをチェックしたところ、どれもスマホで撮ったものなのですが、正直申し上げて「今のスマホの性能で、逆によくこういう写真撮れますねぇ」というような低~いレベル(汗)。加えて女性ファンを意識した写真が撮れていないため、せっかく“若手メンズグループ”なのに、その特性を活かしきれていません。彼ら自身がSNS等で発信している自撮りショットは、カッコよかったりあざとカワイかったりするのだけれど、そことの差がだいぶ広い(笑)。本来は“ライブで一番輝きを放つ”のが歌手なのに、そのライブショットが自撮りショット(もちろんゴリッゴリに加工済みですけどね♡)に負けているようでは、この先厳しいやもしれない…。


「僕たちもそういう危機感はあるんだけど、いかんせんライブハウスでの撮影(←通常の人物撮影と比べて難易度高め。理由は光量が足りない、照明が次々変わる、マイクと顔がカブる等)に対応できる人間が身内にいないんだ。恥ずかしながら、今の収益ではプロカメラマンを雇う金銭的余裕もない…。だから君の力を貸してほしい。よろしく頼みます」


上記は、入社当時から16年間お世話になり続けた、制作会社社長の言葉です。彼の頼みを断る理由など一つもないし、大好きな音楽業界の役に立てるなら喜んで協力します。幸いにも、今私、すっごくヒマですし(笑)。いやはやしかし、“路上じゃない投げ銭ライブ”が手軽に出来るなんて、デジタルの進化というのは素晴らしい&ありがたいですね。


それはそうと、投げ銭ライブは良いことが多いけれど、お三方の話を伺い「課題もあるな」と感じました。リアルタイム配信するので、メンバーがファン(視聴者)のコメントを拾ったり、即座に反応できたりするのが魅力の一つですが、ファン同士の無用な争いというか、無駄な対抗心を生んだりもしてしまうんだそうです。お金が絡んでくると、何事も厄介…。


投げ銭の額が多い人のコメントは大きく表示されたりして目立つので、たとえそれをメンバーが拾わなくとも「あの人、また多額の投げ銭をした」というのは全視聴者に伝わります。すると「負けたくない」とか「私も」という感情が芽生える人も少なからずいるようで、本来の「彼らを応援したい」という気持ちとは違う方向へむかってしまったりもする。制作会社社長が言うには、「他は知らないから彼らに限っての話だけど、特に若い世代で顕著かもしれない。こちらとしてはたくさん投げ銭してくれるのはありがたいが、同時に心配にもなる。もしかして、バイト代を全部つぎ込んでるんじゃないか?とか、画面上で投げ銭することに慣れちゃって、お金に対する感覚が麻痺してしまわないか?とか」。


社長には19歳の娘さんがいるので、同年代の女性たちのことを案ずるのも当然でしょう。仮に月のバイト代が3万円だとして、その中から計1万円を投げ銭した場合──。20代の平均月収を25万円とすると、25万円(手取りはもっと少ないですが)稼いでいる社会人がする“1万円の投げ銭”と、バイト代3万円の学生がするそれとでは、意味合いが大きく異なります。投げ銭自体は何の問題もないけれど、やはり“身の丈に合った額”というのがあると思う。


今まで私が観てきた配信ライブは、決まった金額(例えば一律4,000円とか)のチケット料金を払って視聴するものがほとんどでした。なのでライブ中は本人の歌やトークに集中しており、他の視聴者のことなんて全く意識しなかった。けれど社長が「そういうライブとはまた性質が違うと思う」と言っていた通り、名称は同じ“配信ライブ”でも、根本的に別物と思ったほうがいいのかもしれません。嗚呼、実に興味深い。


撮影を依頼されたライブ当日までは、まだ少し時間があります。その日までに、“投げ銭ライブ”についてもっともっと勉強しておこうと思います。いや~、新しいことを知れる、経験させてもらえるって、やっぱり心がワクワクするなぁ♪

 

家族間お歳暮

皆さんは、家族間でお歳暮を送り合ったりされますか? 私は、お中元もお歳暮も“仕事でお世話になった方や、御礼を伝えたい方々に贈るもの”、あるいは“「諸々よろしくしてほしい相手」への貢ぎ物”と認識していたため、家族に送るなんてことは想像もしていませんでした。 


さて。先日、突如自宅に届いた宅配便は夫宛て。「Amazonの箱じゃないとは珍しい」と思いつつ受け取ると、差出人は私の母です。箱の端には「お歳暮」の熨斗が付いていました。夫も「仕事以外でお歳暮もらうの初めてなんだけど、お返しってどうすればいいのかな?」と困惑していたので、「必要ないよ。もう送らないように連絡するから気にしないでね」と伝え、すぐさま母にメール。「こういうことはご遠慮願えますか(夫も気を遣わざるを得ません)。お金は自分のため、もしくは妹家族のために使ってください。前にも言った通り、結婚したからといって、私はこれまでのスタンスを変えるつもりはありませんので」と送信。母からは「そうですか・・・分かりました・・・」とのレス。何か言いたげな、含みを持たせた書き方が余計気にさわるというか(笑)、「やっぱりこの人と関わりたくない」と思わせる要因の一つになりました。親子であっても、“心が通わない関係性”というのはいくらでもあります。


私は両親と折り合いが悪いといいますか、はっきり言ってしまえば彼らのことが嫌いです(詳細はカテゴリー「生い立ち」に掲載)。結婚の挨拶も、私自身は要らないと思っていたけれど、夫が「僕はバツイチだし、そこは筋を通さなくちゃマズイ」と言うので仕方なく実家に出向きました。それが2019年5月のこと。同年10月に入籍、新婚生活を開始。「式は挙げない。もし挙げるとしても、あなた方を招待する気はない」と伝えたところ、「引っ越し先だけは教えてほしい」としつこいため新居の住所は知らせました。すると年末、「結婚祝い」と書かれた荷物が到着。「うわ、面倒くさい…。でも結婚祝いって基本1回だし、今忙しいから放っとけばいいか」とスルー。今思えば、それがいけなかったのでしょう。この時点で受け取りを拒否するか、いつものようにきっぱり「NO」と言っておけばよかった。


今年7月には、再び私宛てに荷物が。ちょうど前職を辞めるか否かを考えていた時期だったこともあり、正直母からの荷物になど関心がないというか、気に掛ける余裕はありませんでした。「お中元」の熨斗もなかったし、「あれってお中元だったのか!」と気付いたのは、この度のお歳暮を目にした時。今回は私宛てではなく夫宛て、しかも熨斗付きです。“家族ぐるみの付き合いをしたい”という狙いが透けて見える。そんなの、冗談じゃない。


私は昔から、結婚願望も出産願望もゼロ。良縁に恵まれてたまたま結婚したけれど、相手が夫でなければ今も独身だったろうと予想できます。それは「彼のことをめちゃくちゃ愛してる♡」とかの意味ではなく(汗)、家計も家事も折半・自分のことは自分でやる・生涯子供をもうけない等、“送りたい生活のビジョン”がほぼ一致していたからに他なりません。されど、母の目には多分、そんなふうには映っていないでしょう。10代の頃から何度「結婚に興味はない」と伝えても、「一人じゃ将来が不安よ」とか「いつか結婚したいと思う日が来るはず」とか自分の考えを押し付けてきた人です。私の一番苦手な、「相手の意見を“自分側”に変えようとしてくる人」の典型ですね。


毎年のように「今年は帰ってきますか? 会いたいです」と連絡してくるので、「『帰る気はない』と毎度言っています。常に忙しいし、私は会いたいと思っていません」と返し続けていたのですが、一昨年「とても悲しいです。いつかあなたが変わってくれることを期待しています」と書かれた文が届きました。それを見た瞬間、頭の中で何かがプチッと切れる音が。そして下記のメールを送りました。


「私もかつては期待していたかもしれません、あなたが変わってくれるのを。でも今は違います。私はあなたに何の期待もしていないので、あなたも私に期待するのを止めてください。自分好みに変えようとしないでください。いい加減、子離れしたらどうですか? こちらとしては、親子の縁を切る準備はいつでも出来ています。二度と会わなくても、私のほうは一向に構いません」


ここまで強く言った翌年、「結婚する」と報告したのだから、母としては「ほらね」「やっと変わってくれた」というような気持ちだったのかもしれません。結婚するとなれば、相手のご家族とも交流して…とか、妙な期待を抱いてしまったのかなぁ。本当に学ばないよなぁ。繰り返し繰り返し伝えても、結果「何も届いていなかった」ってこと、あるんですよね。他人だろうと、血が繋がっていようと。


ちなみに、夫のご両親は既に他界されていますが、お母さんが40代の若さで亡くなられて以降、あまり幸せに育ってこなかった様子です。その影響か、彼はいい意味で“結婚”や“家族”に夢を見ていないというか、かなり現実的且つ冷静に捉えている。私としては、共に暮らしていく上でその点非常に助かっています。結婚後に話し合って驚いたのだけれど、夫とは「自分の墓は不要」という考えも一致していました。「散骨でも何でもいいが、とにかくお墓は要らない。土地とお金の無駄遣いだ」と言い切っていて、同意しかなかった(笑)。◯◯(←夫の苗字)家のお墓はお義兄さんが守ってくれると言うし、私たち夫婦は子供をもうけないし問題ゼロ。もちろん、この考えを私の親には伝えません。というか、前職を辞めたことだって言っていない。どうしても子離れできないなら、できるように仕向けてあげるのも一種の優しさだと思っています。連絡しない、報告しない、場合によっては縁を切る。法律上は無理でも、事実上の縁を切ることは、“双方の明るい未来”に備えてだいぶ真剣に考えています。


しっかし、齢70近くにもなって、子離れできていない暮らし、配偶者に従うだけの生活って、失礼ながら楽しいんだろうか。まぁ、本人がよければそれでいいし、母の人生ですからどうでもいいんですけどね〜。

 

女体の神秘

週末のイライラ(「洗面所の攻防」参照)を、見事に持ち越してしまった師走第2週。コロナ前までならこういう時、友達や先輩と賑やかにゴハン → 朝までカラオケ(歌って踊りまくる)というコースで“全員のストレスを等しく発散させる会”を実施していました。が、今は大人数で食事しながらのトーク&カラオケなんて一番避けるべき行いです。飛沫、飛沫、また飛沫ですからねぇ…。


「買い物って気分でもないけど、家にいたくないなぁ。どうしよっかなぁ」


しばし悩んだ後、「あ!」と閃きました。「この時期だからプレイは避けたいけど、女風って“デートコース”設定してるお店も結構あったじゃ〜ん♪   いい機会だから、デートだけしてみよう」と思い立ち、早速候補を選出。


デートとなれば、一緒にいて心地良いとかトークスキルが高いとか存在そのものが癒やしだとか、そういうセラピストさんじゃないと会う意味(そして代金を支払う意味)がありません。もし「初めまして」で選択をミスった場合、余計にイライラが募ってしまいそうなので(笑)、候補は今まで指名したことのあるセラピストさんに絞ります。2名で迷い、ホームページ上でスケジュールをチェック。あらら、双方「予約可」となっている。2人ともそこそこ人気はあるはずなのに、偶然のラッキーか、はたまたユーザー全体が利用を控えているのか。うち1人とはたま〜に連絡を取っていたため、本人に訊いてみると「元気? 明日空いてるよー」との返事。


その後やり取りを続け、「今回はデートコースにしたい」「ストレス溜まり気味だから癒やされたい」的なことを伝えました。「おっけー! どこ行きたいか考えといてね♪」


迎えた当日。待ち合わせ時間ジャストに電話が鳴り、「もう着いてる? 人多いけど見つけられそう?」と彼。発見して歩み寄ると、前回とは髪色が変わっていました。「その色似合うね」と伝えると、「本当? 嬉しい!」とにっこり(目元がくしゃっとなったのでマスク越しでも分かる)。「ドコ行く?」「前から行きたかった老舗の喫茶店があるんだ」「いいね、渋い喫茶店好き〜」。


彼はさも当然のように私の手を取り、つなぎながら「道分かる?」とか「寒くない?」とか声を掛けてくれます。喫茶店に到着してからも、ソーシャルディスタンスを保ちつつ、小さめの声でゆっくり喋ってくれる。会う前は「夫の愚痴を聞いてもらおう」と思っていたけれど、お互いの近況報告や趣味についての話が面白くてそんなことどうでもよくなり(笑)、夫のことは最後まで話しませんでした。あと、名物・ホットケーキの美味しさ&優しい甘さに顔がめちゃくちゃほころんでしまい、「この幸せを中断してまでグチる必要ってない気がする」と感じたのです。


そんなこんなであっという間に1時間ちょっとが経過。予約したのは2時間コースだから、残り半分以下です。もう少しここでお茶して、街ブラでもしようかな〜と考えていると、彼が小さく手招き。顔を近づけたら「ねぇねぇ、ホテル行かない?」。


「何それ、リップサービス(笑)? ありがと、妙な気遣わなくていいよ」

「違う。リップサービスとかじゃなくて、僕が行きたいの。癒やされたいって言ってたでしょ? だからいっぱいマッサージしてあげたいな」

「十分癒やされてるし、今日はそういうの大丈夫」

「も〜う! 今エッチなこと想像したでしょ? マッサージって普通のやつだよ」

「あ、そうなの(笑)?」

「うん。実は普通のマッサージも結構自信あるんだ。リピーターさんからの評判もいいし。それと、僕お風呂入りたいんだよね。うちのお風呂狭いから、広いバスタブに浸かりたい。今日寒いじゃん?」

「まぁね。ホテル行くのは別にいいんだけど、あんまり手持ちないかも。お風呂入ってマッサージして…じゃ延長料金かかるよね?」

「ううん、要らない。だって僕の希望だから。ホテル代は奢ってほしいけどね♡」(←払ってほしい、ではなく奢ってほしいと言えるところがプロ)

「分かった、それならいいよ」

「わーい、じゃあ早速行こう‼︎」


ホテルに着くと、たまたまジャグジー風呂付きの部屋だったため彼のテンションは急上昇(笑)。「入浴剤入れる派? 3種類置いてあるよ、どれにする?」と楽しそうです。誰かが楽しそうだったり嬉しそうだったりすると、見ているコチラもワクワク出来て得した気分。私が先に入り、下着+キャミソール+バスローブでゴロゴロしているうちに彼のバスタイムも終わりました。「やっぱ広いお風呂っていいね! 気持ちよかったぁ、ありがとう。お返しに極上のマッサージしまーす♪」


ベッドに横たわり、うつ伏せ&足先からスタート。「自信がある」というだけあって、なるほど、確かに上手いです。その後ふくらはぎ、太腿、臀部、腰、背中、肩、腕、頭と徐々に上がっていくのですが、思わず熟睡してしまいそうなほど気持ちがいい。「次、仰向けになれる?」の声で起き、同じ手順でマッサージ。こりゃあ本当に癒やされますなぁとニヤけていたら、「前も言ったけど肌きれいだよね」と“褒めタイム”に突入。「ふふ、ありがとう。アナタもね」「僕はここまですべすべじゃないよ。触っててすごく気持ちいいもん。もっといろんなとこ触りたくなっちゃうな〜♡」


そう言うが早いか、彼の手は真っ直ぐ&躊躇いもせず私のバストへ。「だから、今日はそういうサービス大丈夫だってば(笑)」「触られるのイヤ? 僕は触りたいなぁ。ムラムラしてきちゃったよぅ」「じゃあムラムラしたままマッサージして。我慢するのもオツなものでしょ(笑)?」「え〜、いじわるじゃない? 焦らされるのキライじゃないけど、リアルに触っちゃダメなの?」「ダメっていうか、一応コロナ気にしてるんだよね」「それはうん、分かる。じゃあさ、粘膜接触しなければオッケー? ちょこっと触るだけ」「うーん、でも…」「とりあえず、バスローブ脱いじゃおう。ぽーい!」


結論から言うと、卑猥なことはほとんどしておりません。ラブホテルの室内でキスさえしないというのは、何やら不思議な感じでした。でも、ものすご〜く気持ちよかったです。身にまとっているのは、私も彼も下着だけ。その姿でただ抱きしめ合うのも、腕や背中や脚を延々フェザータッチされるのも、めちゃくちゃ快感だった。「これ以上先に進んじゃいけない」とブレーキをかけているせいか神経が研ぎ澄まされ、普段より感度が高いように思いました(実際、下着がエライことになっていた・笑)。


いろんな意味で気持ちよくしてもらった後、「体洗ってあげる〜」と言うのでバスルームへ。ちなみに私は、これまで最多指名しているセラピストさん(E店・KIさん)以外と一緒にお風呂に入るのは初体験。恥ずかしいから浴室の電気を消して(洗面所の明かりはオン)バスタブに浸かり、またまたお喋り。先程とは打って変わって、これでもかと真面目な話題(社会情勢や自らの仕事、将来について等)が続きます。“女友達と行く温泉”を除き、裸であんなに真面目に語り合ったのは、人生で初めてかもしれません。


よもやホテルへ行くことになるとは思わなかったけれど、また“新たな扉”が開かれたような気がしています。なかなかに良い経験でした。直接的な行為じゃなくても、あそこまで気持ちよくなれるなんて…♡   女体というのは神秘的といいますか、どこまでも奥深いものなんですねぇ。

 

洗面所の攻防

12/5(土)、お昼頃のこと。我が家のテレビが全く動かなくなりました。少し前から予約録画が出来なかったり、番組表が更新されなかったりと「調子悪いのかな?」という兆しはあったのですが、私も夫も特にアクション起こさず。結果いよいよ寿命が尽きたのか、点いては消え、消えては点きを数回繰り返した後、「ブゥゥン」という鈍い音と共にブラックアウト。電源を何度入れ直しても、二度と映らないようになってしまったのです。


製造メーカーに問い合わせたところ、「型が古いのと、保証期間も過ぎているため有償での修理となります。現物を拝見しない限り正確な料金は分かりませんが、そのケースでしたら4〜6万円かと思われます」という返事。このテレビは夫の持ち物で、「いつ買ったか覚えてないけど結構長く使ってる」んだとか。私は結婚するまでテレビなしで生活してきたので、正直、今後自宅にテレビがあろうとなかろうとどっちでもいい感じです。ドラマ「共演NG」と「恋する母たち」は時間が合えば視聴しているけれど、それだって何が何でも観たいわけじゃない。一方、夫は仮面ライダーやら好きなアニメ(ものすごい数を予約録画している)やらバラエティーやら、“毎週欠かさず観る番組”が多いです。一日テレビがないだけで大騒ぎしていて、「可愛らしいなぁ」などと思っておりました。…最初のうちは(笑)。


ブラックアウト後、私が洗面所で歯を磨いていると、わざわざ扉を開けて「アニメは1回見逃すと展開が分かんなくなっちゃうから、すぐにでも買い替えたい」と訴えに来た夫。「じゃあ来週買いに行こっか」と泡だらけのまま答えたら、「来週⁉︎   ネットで買えば即日配送してくれるお店もあるよ。ネットで今すぐ注文しよう」と返ってきました。嗚呼、これは致し方ない。歯ブラシを置いて口をゆすぎ、いざ戦闘開始。


「私今から出掛けるとこだし、明日も予定あるんだよね。来週一緒に探しに行こうよ」

「それじゃ遅いんだ…。選んで買っとくから、あとで折半するんじゃダメ?」

「私はテレビなくてもいいし、そもそも一緒に選べないならお金出す気ないかな〜。現状、あなたが全額出して好きなの買うか、折半して2人で決めるかの二択だと思う」

「じゃあiPad(画面上)で一緒に選ぼう」

「いや、『私出掛ける』ってさっき言ったよね?」

「あ、そっか。何時に帰ってくるの?」

「夜遅め」

「明日は?」

「明日も出掛けるし、悪いけど帰り遅いよ」

「1週間観れないのか…」

「そんなに観たいなら自分で買えばいいじゃん。リビングじゃなくて自室に置いたら? 私はテレビなくても平気だからさ。それに、折半するなら予算の検討が必要でしょ? いずれにしても、今すぐっていうのは無理だよ。っていうか、予約時間に遅れちゃう」

「あぁ、ごめん。分かった、来週まで待つよ」


夫と出会って2年。ケンカらしいケンカなんて一度もしたことなかったけれど、この時はMAXイラッとしましたねぇ。「出掛ける」と言っているのに、“自分の都合”や“自分の希望”をグイグイ押し付けているように見えたからです。大好きな番組を1話たりとも見逃したくない気持ちは理解できますが、「だいぶ勝手だなぁ…」と、彼に対して初の“ガッカリ”モード。いっそのこと、「『私はテレビ欲しいと思ってません』と伝えてしまおうか?」と悩み続けて、月曜の夜に至っております、ハイ(笑)。

 

職業選択の自由

12/1放送のNHKクローズアップ現代」を観ました。タイトルは「“パパ活”の闇 コロナ禍で追い詰められる女性たち」。テーマとしては、“コロナで浮き彫りになった、女性たちの貧困問題”というような感じ。パパ活一本に絞った内容ではなく、やむを得ず性産業に身を投じる女性や、行き場のない10代学生に迫る危険(SNSで「寂しい」とか「人に会いたい」とかをつぶやいてしまい、それを見た大人の男性が諸々の狙いを定める)なども取り上げていました。


さて。視聴中、私が驚いたことは2点。


何人かの女性がVTRで登場し、インタビュー取材に応じていました。例えば、「コロナの影響で夫の収入が激減。ストレスによって家庭内での暴言が増え、生活費もまともに貰えません。外で働こうにも未就学児が2人いるため長時間勤務は難しいし、パパ活で稼いでいます。性暴力の被害に遭った経験もあるけれど、今はそれしか(稼ぐ)方法が分からない」という30代女性。彼女の場合、事情が事情です。共感は出来ないまでも、まだ「理解しよう」と努められる。されど、20代女性の話は全然分からなかった。「コロナで派遣切りされました。資格やスキルもないので再就職先が見つからず、コンビニでバイトしています。でも収入が少ない。それで風俗でも働いているけれど、一日8時間待機してもお客さんが来ない日もあります」。


素朴な疑問として、「彼女はどうして短期バイトをしないんだろう?」と思いました。8時間あれば、無駄な待機をせずとも他で十分働けます。資格やスキルを必要としない仕事は、世の中にたくさんある。仮に時給1,000円としたって、「お茶を挽くよりずっといいのでは?」と想像するのですが、当事者にとっては違うんだろうか…。う〜ん、分からない。


今はしかるべきサイトで、いくらでも単発バイトを募集している時代です。業種はさまざまですが、そこまできつい仕事じゃなくても一日のみ働いて8,000円なり10,000円なり稼げる(即日払いも多い)。ましてきちんとした女性(←映像にはモザイクがかかっていたけれど、身なりや話し方等の印象から)で、年齢だって20代。そういう女性が単発バイトに応募して「不採用です」なんてこと、あるのかなぁ。風俗以外の選択肢、本当にないのかな…。


もう一つの驚きは、「ママ活」については何も触れられなかったこと。パパ活にもママ活にもそんなに詳しくないので、“そういう活動”をしている男女が実際どれくらいいるのかは知りません。でも、パパ活を「個人売春の温床」というなら、ママ活だって少なからず体の関係を持つケースはあると予想できるのに、触れられることは一切ありませんでした。番組内で「ママ活」という単語さえ出てこないのは、個人的にはものすご〜く違和感がありましたね。それとも、ママ活特集的なものは既に放送されたことがあるとか?


私は約1年前から女風ユーザーだし、もともと風俗に対して否定的ではないので、もし初対面の人に「風俗で働いてます」と告げられても「あぁそうですか」くらいの薄い反応しかしないと思います。ただ、その職に就いていることが本意ではないとか、辛くて仕方ないとかだったら「とりあえず辞めて、別の仕事を探したほうが建設的じゃないでしょうか?」と助言するかもしれません。風俗であろうとなかろうと、仕事は楽しいほうがいい。何事も“嫌々やる“のは精神衛生上よくないと思う。


いろいろなことを考えさせられる内容でしたが、NHKでは12/5(土)の夜にも女性の雇用(コロナ関連)についての番組を放送すると告知していました。現状、そちらも観てみようかなと思っています。

 

“辞める”才能

過日、前職で担当していた歌手から久々にLINEをもらいました。何かと思えば、「歌で食べていくのを諦めて、違う職に就く」という連絡です。残念だけれど仕方がないし、そう決断すること自体、大変な勇気が要っただろうと推測できます。私見ですが、自らその道を選べる人は才能があると思う。“好きなことを辞められる”という才能です。


彼は幼い頃より歌が大好き。親からも周囲からも、その高い歌唱力を認められ、褒められ続けてきた人です。実際、歌は誰が聴いても「わぁ、めっちゃ上手い!」と感じるレベル。ただし、正直に言ってしまえばそれ以上でもそれ以下でもない…つまり上手い“だけ”。私は彼の人柄や、努力を惜しまない姿勢、ファンへの優しい態度等を尊敬しているけれど、歌そのものにはそこまで魅力を感じていなかった。お手本歌唱的というか、深い味わいや“彼ならでは”の特徴だったり、多くの人に「理由は分からないが、何としても彼のライブを観に行きたい」と思わせるような歌声を持っているわけではないからです。今まではそんなこと、当然ながら本人に伝えようなんて思いませんでした。でも今回連絡をもらって、文字でやり取りした後「電話してもいいか?」と問われ、長時間話をしました。その際「もう辞めるんだし、本音で答えてほしい。嘘とか気遣いとかはナシで」と懇願されてしまった。質問事項としては──


・自分の歌の率直な感想

・「この人は売れる」と思ったか? 

・生歌を聴いて“心に響いたこと”はあるか?


…等々、かなり突っ込んだ内容でした。どうするべきか、少し迷いました。自分が現役の記者だったら、相手に「僕はもうこの世界を去る人間なんだから」と促されたとしても、本心は伝えなかったと思います。でも、私も彼も離職した(する)身。そして彼は“本音の評価”が聞きたくて、わざわざ私に連絡してきている。であれば、希望に沿ったほうがいいだろうと判断。よって、オブラートに包みつつ「あなたの歌は確かに上手いが、それ以上でもそれ以下でもないと思う」「誰が売れるかなんて私には分からない。もしそれが分かる目を持っていたら、記者ではなく有望な人材を発掘する仕事に就いている」「あなたの人柄や仕事への取り組み方には感銘を受けたけれど、“あなたの歌そのもの”が私の心を震わせたことはなかった。でもそれはあくまで私の感想であって、他の人がどう捉えているかは分からない」というような話をさせてもらいました。


わずかに沈黙があり、「そっかそっか。正直に言ってくれてありがとう。やっぱ◯◯さん(←私の名前)に連絡してよかったな〜。ちゃんと答えてくれると思ったよ」との返事。この時、「ひょっとして彼は、『辞めると決めてはいるけど、誰かに背中を“もうひと押し”してもらえたら…』と望んでいたのかもしれない」と感じました。だから、頼めばはっきり言ってくれそうな私を選んで電話したんじゃないだろうか。


それから小一時間、思い出話に花を咲かせた後、「あとね」と付け加えられました。「◯◯さんが書く僕の記事、母親が毎回楽しみにしてたんだ。小さくても大きくても、全部買ってスクラップとかしちゃってさ(笑)。母が、『息子の人生を記録してくれてありがとうございます』って。それ伝えてくれって。僕からも、今までありがとうございました。いつもいっぱい写真撮って、記事書いて、インタビューもしてくれて。ステージ上での写真、大事にします。新しい仕事決まったらまた連絡するね」


電話を切った途端、我慢していた涙が一気に溢れ出しました。「え、どうしたの⁉︎   大丈夫?」と夫がオロオロしてしまうほどの大号泣。彼のご両親は離婚しており、随分前から家族はお母さん一人(お父さんは既に再婚)。お母さんに会ったことはないけれど、「女手一つで育ててくれた母」の話は度々聞いていました。でも、記事をスクラップしてくれているなんて初耳だし、まして御礼を言われるとは予想外。嬉しかったのか切なかったのか、一体どういう涙なのか自分でもよく分かりませんでしたが、彼の人生や“歌への想い”に深く触れてしまった気がして、感情の昂りを抑えるのにしばらく時間が掛かりました。


彼は本当に歌が好きだし、歌唱力もあります。容姿だって平均以上。されど、プロとして“お金を稼ぐ歌”が歌えているかというと、それはまた別の話です。上手ければ売れるか、美しければ売れるか、コネがあれば売れるか…経験上、私はそうじゃないと思う。そして、売れることが全てだとも思わない。もちろん売れないより売れたほうがいいですが、売れている人が全員幸福だとは限らないし、たとえそこまで売れていなくとも、デビューできたりライブにファンが来てくれたりCDが出せたり、それだけでも相当すごいことです。誇りを持っていい、胸を張っていいと思います。


彼が今後、どんな仕事に就くのかは聞いていません。でも彼に限らず、職を変える人、新たな分野にチャレンジする人は増えていくことでしょう。かく言う私もその一人です。プラス、コロナがあってもなくても、“転職することが普通”な世の中になっていただろうとも感じています。日本人の平均寿命は年々長くなっているし、終身雇用も減りつつあるのだから、当たり前といえば当たり前ですよね。「コレだ!」と狙いを定めた職種を極めたり貫いたりすることは間違いなく素敵だけれど、そうじゃない選択肢や可能性だってたくさんあります。どれか一つに固執したり絞ったりする必要は全然なくて、その仕事が自分に合っていたら続ければいいし、逆なら辞めて次を探せばいい。二足の草鞋、もしくはそれ以上の草鞋を履いたっていい。それくらい気楽に構えていたほうが、みんな生きやすいんじゃないかなぁという気がしています。


最後に。無職の身で人の心配をしている場合でもないと思いますが(汗)、彼の就職が無事決まりますように。良い仕事に恵まれますように。もう担当ではなくなったけど、あなた(とお母さん)の幸せをいつでも願っています。

 

配偶者の呼び方

数日前、ネットで目にした記事の中に、こんなものがありました。「女性に訊いた、夫から『嫁』と呼ばれるのはイヤか否か」みたいな内容です。ちゃんと読んでいない為どういう結論だったのかは分かりませんが、私は完全に“イヤ派”ですね。


そもそも「嫁」という漢字自体が好きではありません。女+家=嫁って…一体どんなセンスなんだと疑ってしまう。同じ理由で「家内」も嫌い。どちらも女性を家に縛りつけるようなイメージがあります。プラス、「嫁に出す」とか「嫁にもらう」とかの言い方にも違和感アリアリ。昔から「物扱い? っていうか人身売買⁉︎」と感じ、強い抵抗感を持っていました。


ドラマなどで、結婚したい恋人同士が彼女の実家へ出向くシーン、よく見かけますよね。彼氏が「娘さんを僕にください!」とご両親にお願いする、例のやつです(笑)。あれもずっと「おかしい」と思っていて、感動も共感もゼロ。「くださいって何? そして父親‼︎   『娘を幸せにしてやってくれ』って何? 幸せとは“自分でなるもの”であって、誰かに与えられるものではないぞ」と幼少期より(笑)非常に冷めた目で観ておりました。


さて、配偶者の呼び方としては、妻、女房、家内、嫁、嫁さん、奥さん、カミさん、ワイフ、ハニー、夫、旦那、主人、ダーリン、相方、連れ合い、パートナー等さまざまありましょうが、我が家は妻&夫。これは結婚前に話し合い、ルールとして決めました(←ちなみに私発案)。「お前」とか「あんた」とかも禁止です。


夫は基本的に乱暴な言葉や汚い言葉を使わない人なので、必要ないといえば必要ないルールなのだけれど、「こういうことをイヤだと感じるんだ」とお互いに知っておくのは大切だと思っています。私は第三者に「お前」などと言われた場合、相手が目上の人であっても「貴様」と呼び返して「今のは失礼ですよ」と伝えることにしています。大抵「えっ⁉︎」とびっくりされますが(笑)、そうでもしないと私の他にも嫌な思いをする人が続くだけだし、意思表示しなければ気付かない人も多いからです。


偏見かもしれないけれど、私は食事のマナーや言葉遣いがなっていない大人を見ると、「あんまり育ちがよくないのかな」「教養がないのかな」と思ってしまいます。そして一定の距離を保ち、それ以上は近付かないようにする。くだけた席ならいざ知らず、公の場できちんと振る舞えない人とは「親しくなりたい」という気が起きません。先方が“今後もお付き合いしなくてはいけない人”の場合は仕方ありませんが、そうじゃなければ自分から距離を取る。相手が変わってくれるのを期待するより、自分が変わる…というか“関わらない道”を選ぶほうが早いし確実です。


我が夫は「自分のことは自分でやる」という家庭内ルール(←こちらは夫発案)を遵守しており、掃除も洗濯も自分でやります。私が「珈琲淹れるけど飲む?」と、自分の“ついで”に夫の分を淹れたとしても、必ず「ありがとう」と言ってくれる。これは小さいようで大変大きい。私は「ありがとう」と「ごめんなさい」が言える人が好きだし、自分もそうありたいと思って暮らしています。誰だって、目を見て「ありがとう」と言われたら嬉しい。その一言があるだけで、気持ちよく過ごすことが出来ます。


言葉というのは本当に不思議です。使い方や感じ方、捉え方一つで快適にも不快にもなり得る。他の家庭で「嫁が」とか「主人が」とか言っていても全く気にならないけれど、もし我が家で「嫁」と発せられたら「ちょっと待って、今何て言った?」と一瞬で目が据わることでしょう(笑)。私にとっては、それくらいイヤな呼び方です。夫が、その“気持ち”を汲んでくれる人で良かった。だからこそ、性行為はなくとも毎日穏やかに暮らせているのだと思います。


カラダの相性は、このまま一生分からない可能性もあります。でも、“共に暮らしていく相性”はすごくいいと感じています。やはり夫は、結婚相手として最適な人だと思う。改めて、出会えたことに感謝します。