女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

コンディション調整

今年も残すところ、残り10日程となりました。皆さま、素敵な女風ライフを、或いは性生活を送っていらっしゃいますでしょうか? 私はと言いますと、かれこれ4ヶ月強、女風の利用を控えております。理由は、体のコンディション、及びそれに伴う“己の気持ち”…とでも申しましょうか。


先日「爪の乱」シリーズでお伝えしました通り、夏から秋にかけ、陥入爪(かんにゅうそう)を患っていた私。治療中は運動を制限されていましたし、近所のスーパーへ出掛けるだけでも足先に痛みがあったため、今夏はほとんどの時間を自室でおとなしく過ごしていました。その結果、体重増加と筋肉量低下にプラスして、ボディー全体(中でも下半身が顕著…泣)がゆるんだ感じがするというか、増えた体重分以上に「ガッツリお肉がついちゃった印象」が拭えないんですよね。

加えて、陥入爪完治後、肥厚爪(ひこうそう)気味だった左足人差し指が、残念なことに“気味”ではなく肥厚爪ですっかり定着してしまった。といっても、日常生活に影響があるとかでは全然ありません。それに、濃いめのペディキュアでカバーすれば大して目立たないというか、仮に他人が気付いたとしても、「多少爪が厚いからって何?」くらいの感じだろうと思います。だけど、自分としては何だか気分が上がらない…。


特に、女風を利用する際は、一緒に浴室へ入り、セラピストさんが丁寧に体を洗ってくれるのをはじめ、プレイ中は全身くまなく(←足の指含む)リップしてくれたりすることもあったりなかったりするわけですね。ゆえに、ボディーのゆるみや“爪のお手入れ具合”がどうしたって気に掛かってしまう。もちろん、「あくまで“お客とセラピスト”の関係なんだし、そんなの客側が気にする必要なくない?」という意見もあろうかと思います。でも、お金で買った時間にせよ、やっぱり基本は“人と人”。個人的には、できる限り「お互いに快適な状態」でサービスを受けたいと考えています。よって若干だらしない…いえ、“自分自身が納得できていないカラダ”のまま、セラピストさんの前で裸になるのは極力避けたいんですよねぇ。

 

そんなわけで、目下歩く距離、そして筋トレのメニューを徐々に増やし続けているのでございます。幸い、「ん゛あ゛ぁぁぁぁぁ! もう我慢できない、どうしてもセックスがしたいぃぃぃ‼︎」という心境にはまだ陥っていないため(笑)、女風利用の再開は年明け以降になるかな?と予想しております。今は愛しの我が右手&約1年前に購入した“オトナのおもちゃ”で発散すれば十分な感じですね。ただ、それも「ベストコンディションになったら存分に予約を入れよう。そんでもって、セラピストさん達とめちゃくちゃエロいことしちゃうんだもんね〜♡」という楽しみがあるからこそ♪


セラピストの皆さま方、いつも本当に本当にありがとうございます。利用を控えている日々にあっても、心の底から感謝していることに何ら変わりはありません。私サイドが諸々整い次第、ガンガン指名するつもりでおりますので、来年もどうぞよろしくお願い致しまっす!

 

 

 

(ab)normal desire

映画「正欲」(11月10日公開)を鑑賞しました。

原作は、第34回柴田錬三郎賞を受賞した同名小説「正欲」(朝井リョウ著/2021年刊、新潮社)。出演は稲垣吾郎さん、新垣結衣さん、磯村勇斗さん、佐藤寛太さん、東野絢香さん、ほか。監督は岸善幸さん、脚本は港岳彦さん。

 

ちなみに原作は未読で、今後も読む予定はありません。直木賞作家に向かって失礼かもしれないけれど、朝井さんの作品だと、個人的には「桐島、部活やめるってよ」「何者」などの有名小説より、「風とともにゆとりぬ」他、エッセイのほうが好きなんですよね。それゆえ、エッセイは購入しても小説は図書館で済ませてしまうのでございます。相済みません…(汗)。


     ↓↓↓以下、ネタバレあり↓↓↓

 

 

 

 

 


で。簡単に言うと、作品全体のテーマとしては、「多様性とは何か?」「マイノリティ、そしてマジョリティの正体とは?」みたいなことじゃないかなと思います。マジョリティ側の代表が、堅物検事・寺井啓喜(稲垣さん)、マイノリティ側の代表が、“特殊な性癖”を持つ桐生夏月(新垣さん)と佐々木佳道(磯村さん)。3人の他にも色々な人物が関わってくるのですが、それはここでは置いておくと致しまして。


原作を読んでいないため、“特殊な性癖”が何なのか知らないまま映画館へ行ったのですが、その設定に対しては「面白い!」という思いと、「そこまでひた隠しにするほど特殊かなぁ?」という思いが入り混じりました。

桐生も佐々木も、性的興奮を覚える対象は異性…というか人間ですらなく、“蛇口から勢いよく噴き出している水”だったり、“滝や噴水の激しい水飛沫”だったりします。その性癖を誰にも明かすことが出来ず、生身の人間にも欲情しないので、伴侶を持つことなど考えてもいなかったのだけれど、同じ嗜好を持つ2人が出会い(正しくは再会し)、「上手く擬態する」ために愛のない結婚をし、そしてやがて──的なあらすじです。


そもそも、水というのはエロティックな表現に欠かせないアイテムと言いますか、水に濡れた顔や体は男女ともにセクシーだし、何より水音って、受け取り方によってはすんごくエロいじゃないですか♡ だから、“水に性的興奮を覚える”というのが変だとか異常だとか、そういうふうには私はあんまり思えないんですよね。もし仮に、我が夫が「今まで秘密にしてたけど、実は僕、水にしか興奮しない質なんだ。君と交われない理由はそれ」と告白してきたとしても、「へぇ、そうなんだ」くらいの薄い反応で終わるだろうなと予想します。それより、どんな状態の水が好みなのかとか、そのことを自覚したのはいつで、気付いたきっかけは何だったのかとか、次々質問が出てきてしまいそうな予感…(笑)。


ところで。映画を観る前は、単に「性欲」の当て字なのかな?と思っていたタイトル。でも今は、「それ以外にもありそう」と感じています。

例えば。自分も出来るだけ「正」しくありたい、と望む「欲」。どうかあなたも「正」しくあってほしい、と願う「欲」。誰もかれも「正」しくあれ、と強要したい「欲」。“「正」しく生きている人”として見られたい「欲」、等々。


映画のフライヤーには、表題「正欲」の下にサブタイトルっぽい感じで「(ab)normal desire」と記されています。

ノーマルな欲望と、アブノーマルな欲望。犯罪が絡むようなアブノーマル(例/児童買春とかレイプドラッグとか)はもちろん駄目だけれど、そうじゃないなら、欲望や欲求に正常も異常もないような気がしています。私で言えば、筋肉フェチ・声フェチ・手フェチ。これらと水フェチは、対象が違うだけで、根本は同じだと思います。


余談ですが、映画「正欲」のフライヤーは(私の知る限り)2種類ある模様。私は文字のみのシンプルなパターンが好きです。写真ありのパターンより「(ab)normal desire」のQ数が大きくて「何て書いてあるんだろう?」と注視しやすいし、文字色と背景との相性が良いからより際立っている。画面上だと、原作小説の装丁と同じ背景に見えるけれど実際はどうなんだろう…? そういう点でも、原作を大事にしているというか、尊重しているように感じて、文字のみのパターンが好きなのかもしれません。あとは、単純に「情報量が少ないほうがそそられる」というのもあります。これは、想像力や妄想力を働かせるのがだ〜い好きな、私の昔からの“癖(へき)”ですね(笑)。

 

文字のみのフライヤーは、簡潔且つ妖しい雰囲気。「一体どんな映画なんだろう?」というワクワクとともに、「原作は朝井リョウさんなんだ~」「東野絢香さんって初めて見るお名前かも。どんな人かな?」等、いろんな想像が膨らんで楽しいです

 

こちらが写真ありのパターン。個人的には、①(ab)normal desireのQ数が小さい&背景に溶けすぎて判読しにくい、②キャッチコピーがしっくりこない、③タイトル内「正欲」の谷偏上部。検事バッジが文字色と似た白ゆえ、漢字の一部に見えてしまってどうも気になる…等の理由もあって、文字のみのフライヤーのほうが好きです。もちろん、広く宣伝するためには写真があったほうが効果的でしょうけどね笑

 

最後に、原作「正欲」の表紙です。こちらは今年5月に刊行された文庫判で、定価935円。引き続き、四六判(定価1,870円)も店頭に並んでいます

 

 

 

 

 

 

矜持と妥協 part2

 

私は昨年まで、“生涯正規雇用”という働き方について深く悩んだり、迷ったりしたことがほぼありませんでした。いえ、正確に言えば「単にそれ以外の選択肢を持っていなかっただけ」という感じかもしれません。

今一度私の経歴を記しますと、①新卒で出版社に就職、雑誌記者として16年間勤務。2020年秋、38歳で退社。②校正者に転身。2022年秋、退社。

いずれも正社員且つ〆切絶対厳守の仕事だったため、ずっと「ノー残業デー? そんなもの我々には全く関係ございません」という状態だったけれど(笑)、各種手当はきちんと付いていたし、何より働いていて楽しかったので、たとえ体力的にキツくても「月曜日が来なければいいのに」的なことを思った経験は無いに等しかった。私はそれをごく当たり前のこととして受け止めていたのですが、数ヵ月前、人生で初めて「会社に行くのが辛い…」という感情を味わいました。“職場が楽しい”というのは大変幸せなことで、「自分は長い間、すごく恵まれた環境にいたんだなぁ」と気付かされました。

 

時は昨年のある日。「『定年まで正社員』って決めつける必要、別にないのかもしれないな〜」とぼんやり思った私。確かに正社員でいれば何かと安心だし、社会的信用も得やすいのだけれど、その分責任は重く、労働時間も長い。

私は昨秋以降定職に就いていないのですが、全ての生活費は結婚当初と変わらず夫と折半。若い頃より地道に資産形成をしていたこともあって、「いつの間にか財布が空」とか「今月カツカツ…」とか、突然そういう状況に陥ることはこの先も考えにくいです。それに、病気や事故、天災等で明日死ぬかもしれないのだから、老後などという何十先の未来よりも、私は“今の暮らし”を大切に生きていきたい。であれば、時間的・精神的・体力的にある程度余裕をもって働ける…アルバイトだったり派遣だったりを選ぶ道もあるのでは?と感じました。一度正社員になってしまうとなかなか出来ない、“様々な会社や組織を内側から知る”ことも可能だし、好奇心旺盛&人見知りしない性格の私には合っていそうだな、とも思いました。

 

かくして、2023年春夏。取り急ぎやってみたい…というか、「内情を知りたい」と思っていた仕事に就いてみたのでございます(アルバイトで)。

勤務先は、紙媒体とweb媒体の両方を持つ出版社。私は断然紙媒体のほうが好きですが、web媒体も結構読みますし、電子書籍をはじめとしたデジタルも日頃から利用しています。ただ、電子書籍はきちんと校閲ないし校正が入っているので安心して読めるけれど、それ以外…いわゆる速報系のネット記事だったり、モノ・ヒト・コト等の紹介記事だったりは、呆れるほど低レベルなものが多くて悲しくなります。

誤字脱字なんて最早普通。そもそも文章力や構成力が及第点に達していないことも多いから、最後まで読んでも内容がよく分からなかったり、思いきり誤解を招くような書き方を平気でしたりしていて、「何故こんな記事を堂々と掲載できるのか?」「一体誰がオッケーを出しているのか?」と以前より不思議に思っていました。ならば中に入ってしまえと考え、先の出版社に、ライターとして潜入(?)してみたのです。

 

その結果──。

 

いや~、驚きましたね。まぁまぁ歴史のある雑誌を作っている会社なのに、社員達の仕事ぶりは実にいい加減だった。記事を書いた本人しか校正しない(*校正というのは複数人でダブルチェックするのが基本です)、雑誌内の“表記の決まり”を誰一人守らない、取材対象者が「これはオフレコで」と言って話してくれた内容を掲載しようとする…等々、そりゃもう最悪でした。教育係の先輩に向かって、「皆さんは、本当にこれでいいと思って仕事してるんですか?」とド直球で訊いてしまったほどです。

 

そして、輪をかけて酷かったのがweb版。一つ前の投稿「矜持と妥協 part1」で綴った「クオリティーは捨てていい。スピード重視で、とにかく量を書いてほしい」と言われたのはweb版についてです。

詳細は伏せますが、その雑誌・webは“モノ”を紹介する媒体でした。各メーカーの新商品(←ちなみに単価自体が高いため、どれも割と高額)を、写真と文章で紹介するのをメインとしているのだけれど、特にweb版はクオリティーの優先順位が著しく低い。句読点の位置がおかしくても、すぐ隣の記事と表現がカブっていても、写真のキャプションが抜けていても、そんなことはお構いなしです。

「頻繁に訪問してもらうためには、量をアップし続けることが一番大事。読者だって最新の情報が欲しいだけだから、web版に“ちゃんとした文章”は求めてないと思うんだよね。それと、アップ前に、毎回俺のチェック受けに来なくていいよ。書けたらすぐ上げちゃって。紙と違って、間違ってるとこあっても後で直しちゃえば問題ないし」

編集長ともあろう人が、こんなふざけた考えで仕事を進め、それを悪びれもせず口にするなんて…。彼にこう告げられた時の私の表情は、ショックと怒りと悲しみを、恐らく隠せていなかっただろうと思います。

 

さらに、何より腹立たしかったのはこの台詞。

「なるべく煽るようなタイトル付けてね。その方がPV稼げるから」

編集長曰く、『知らないとヤバイ!』『誰より早く手に入れろ!』『まだ持ってないの⁉︎』的な煽り文句をバンバン入れてくれと。私は大きく溜め息をついた後、「私なら、そんなふうにタイトルで煽られた時点で本文を読む気が失せますけどね」と一言。「まぁそういう人もいるだろうけどさ、実際PV稼げてるわけだから。ウチでバイトしてる以上、そういうやり方で頼むよ」

ね、反吐が出ませんか?


ただし、勉強になったことも沢山あります。

更新頻度で勝負するタイプのweb記事は、作成からアップまでの時間、そしてそれを担当するライターの人数が限られています。毎日本当に時間がないし、全てにおいて余裕がない。その会社で言えば、一日に10本近くの記事を書かなければならない上、記事に添える画像の処理(修正やトリミング、コラージュ等の加工全般)まで担う必要がありました。あらゆる作業に追われる中で、高いクオリティー&モチベーションを保つのは至難の業です。

しかも、目の前のPC画面に広がるのは、何の面白味もなく、クリエイティビティを全くと言っていいほど刺激されない決まりきったフォーマット。来る日も来る日も、同じフォーマットに記事を上げ続ける…。もちろん、そうじゃないweb媒体も存在するけれど、現状、大抵の媒体はフォーマットありきだと思います。おかげで紙媒体の自由さや、ああでもないこうでもないとレイアウトを考える楽しさ等、無限に広がる可能性をあらためて実感することができました。


速報系・量産系のネット記事が、なぜこうも低レベルなのか? その理由を、ちょっとだけ知ることができたように思います。少なくとも、私がバイトをした出版社では、矜持をもって仕事をしているライターは一人もいないように感じました。最初は違ったかもしれないけれど、ああいう考えの編集長に段々毒されてしまったり、「忙しいし、もうどうでもいいや…」と自ら思考停止する道を選ぶ人がいたりしても何ら不思議はありません。それくらい皆が時間に追われ、日々疲れ切っており、覇気や活気というものがまるでなかった。

「とにかくスピードと量」を重視しているせいで、記事一つ一つの内容は薄っぺらいし校正も甘い。誤字脱字はアップ後にしれっと直す、もしくは放置する(というか、そもそも気付いていないことが大半)。こんな状態では、書く人も読む人も、だ〜れも幸せになれないと思います。


兎にも角にも、“全然楽しくない職場に通い続ける”というのがどれほど辛いことなのか、生まれて初めて味わった3ヶ月間でした。これまで言葉でしか知らなかった「ブルーマンデー」や「サザエさん症候群」を、我が身をもって理解したように感じています。ふと、名曲「贈る言葉」(海援隊)の歌詞、『人は悲しみが多いほど  人には優しくできるのだから』が頭に浮かんだのでありました。

また一つ、人の痛みを知った41歳の春夏。

 

 

 

矜持と妥協 part1

ドラマ「パリピ孔明」(フジ/水曜22時〜)を毎週楽しく観ています。原作漫画(原案:四葉タト、漫画:小川亮)はもちろん、昨年放送されたアニメ版「パリピ孔明」(TOKYO MX)が大好きなだけに、実写化されると知った時は、「どうかあの世界観を壊さないでくれ〜!」という切なる願いを抱いたのでありました。

ところが。いざ蓋を開けてみれば、諸葛孔明(“現代の日本に転生した”という設定。主人公の軍師として活躍。演=向井理さん)をはじめ、月見英子(主人公でアマチュアシンガー。孔明に導かれ、歌手としての成功を目指す。演=上白石萌歌さん)、小林(孔明&英子の面倒を見る、ライブハウスの強面オーナー。演=森山未來さん)、ミア西表(歌手。最初は英子につらく当たるも、やがて良き友に。演=菅原小春さん)などなど皆ハマリ役で、アニメと同じくらい楽しませてもらっています。特に8日放送の第7話「英子TV出演決定?  企みを阻止せよ!」は、感動と驚きに満ちた回でした。

ざっくり言うと、7話の概要はこんな感じです。


     ↓↓↓以下、ネタバレあり↓↓↓

 

 

 

急病で倒れ、予定していた音楽番組への出演が不可能となってしまった英子。孔明の作戦により、ミアが彼女の代わりに出演を果たす。ミアは英子のオリジナル曲「DREAMER」を全身全霊で歌い上げ、まだ知名度の低い“EIKO”の名、及び「DREAMER」という曲名を世に知らしめる。同時に、ミア自身の評価を上げさせることにも成功したのだった──。


ミアは、実力と人気に加え、歌手としての矜持も持ち合わせている人物です。けれど、所属レコード会社の戦略・方針と合わず、“やりたい仕事”をなかなかさせてもらえません。本当は「バラードを歌いたい」のだけれど、レコード会社のトップは“キレッキレのダンス+歌”を売りにしたいため、ミアに派手なダンスチューンばかり歌わせる。だからこその我儘放題と言いましょうか、ダンスレッスンはサボりまくるし、担当マネージャーさんにも酷い態度を取ります。でも、実は陰でボイトレに通い、人知れず歌を磨き続けている…。そのミアが必死に歌った「DREAMER」(←ちなみに念願のバラード)は、彼女自身とリンクする歌詞の内容も相まって、人々の心を大きく揺さぶります。


私見ですが、英子が歌う「DREAMER」は、透き通るような歌声でしっとり聴かせ、確かに耳に心地いい。ただ、「一聴して心を掴まれるか?」「『何としても彼女を売り出したい、世間に広めたい!』と感じさせるほどの歌か?」と問われたら、個人的な答えはNOです(第1〜7話までの歌声を聴く限りでは)。けれど、ミアの「DREAMER」を聴いた瞬間、一音目から感情がバキバキに動かされた。ミアが歌う「DREAMER」は、英子のそれとはまるで違う歌のように聴こえたし、ハスキーボイスでパワフルに、それこそ“魂の叫び”が如く歌い上げる姿から、一瞬たりとも目と耳が離せませんでした。そして、「菅原さんってダンサーさんだよね? 歌もこんなに上手いなんて‼︎‼︎‼︎」と心底びっくり。

菅原さん、今後現実世界でも歌手活動してくれないかなぁ♡ もし彼女がライブを開催する日が来たならば、絶対観に行きたいです。生歌、ぜひとも聴いてみたい。歌の上手さや表現力の素晴らしさもさることながら、声そのものがすっごく魅力的だと感じました。

 

 

さて。毎度お馴染みではございますが、私は音楽が大好きです。ゆえに、いち音楽ファンとしても、雑誌記者(*2020年秋まで)としても、“本当にやりたいこと”が出来ずに苦悩する歌手やバンド、グループ等をたくさん見てきました。例えば。本意ではないテイストの衣装を着せられたり、望まないのにアイドル的な売り出し方をされたり、1曲ヒットした途端タイアップのオファーが押し寄せて創作意欲が削がれたり、等々。

これは非常に難しい問題というか、この先も決して無くなることのないテーマでしょうね…。


“本人が望むこと”を自由にやって万事上手くいく…というのが一番いいし理想だけれど、プロ歌手というのはあくまでお客さんあっての商売です。趣味ではなく、完全なるビジネス。圧倒的な才能や独創性、または強力なコネクションがある場合は別ですが、常に需要と供給のバランスを考えながら活動しなければいけないし、売り出しに掛かった費用の回収だってする必要があります。自分一人で動いているわけではない以上、「あれがやりたい、これがやりたい」だけで通用するほど甘い世界ではありません。それに、名前が売れてくれば意見も通りやすくなるので、“割り切って、ある程度の期間は我慢する”、或いは“言うことを聞いているフリをする”のも賢いやり方だと思います。そのあたりを理解しようとしなかったために、「大手を飛び出したはいいが、その後全く食えず苦労している・後悔している」人を大勢知っています。もちろん、「今好きに活動できてるから辞めてよかった」人達も存在しますけどね。


個人的な意見としては、望むにしろ望まないにしろ、「どんな歌でもきっちり歌えるのがプロ歌手」だと思っています。その作品をリリースするかどうかは置いておいて、歌でお金を稼いでいるのだから、“歌えない歌”はないほうがいいだろうなと。自分に置き換えてみますれば、(記者時代の私なら)「思いきり堅い感じで書いて」と指示されたらそうするし、「このコーナーは親しみやすい文体でお願い」と頼まれたらそうする。オーダー通りに書きつつも、その中に“自分らしさ”を紛れ込ませることは、ある程度経験を積めば割とすんなり出来ますからね〜♪


ですが。「クオリティーは捨てていい。スピード重視で、とにかく量を書いてほしい」的なオーダーをされたら話は別です。これは実際、数ヶ月前に言われた言葉なのですが、正直、今思い出しても反吐が出ますねぇ…。

既に長くなってしまいましたゆえ、このお話はまた次回、綴ることに致しましょう。

 

爪の乱 THE FINAL

ご報告申し上げます。陥入爪(かんにゅうそう)の治療が、この度無事に終了致しました〜! 通院期間は2ヶ月強でしたが、体感としてはもっとずーっと長かったなぁ…(泣)。

治療自体もさることながら、「お風呂はシャワーのみ」という生活、そしてサンダルしか履けない生活はやはり不便だったし、想像以上にしんどかったです。正直、患ったのが夏場で助かりました。「これがもし寒い季節だったら…」と思うと震えが来ます。外出時は足先の出るサンダル、プラス(湯船禁止ゆえ)体の芯まで温まれないバスタイムじゃあ、陥入爪と風邪のダブルパンチを食らってしまいそうな予感しか致しません。かなりの猛暑だったけれど、夏よ、どうもありがとう♪


さて。結論をお伝えしますと、「爪の乱 III」でご紹介した「爪の2箇所に穴を開け、そこにワイヤーを通して矯正する」及び「爪の表面にプレートを装着して矯正する」方法は取らなくて済みました。理由は、「爪自身の“真っ直ぐ伸びようとする力”が回復してきたから」(担当医談)。

「ネギさんの場合、食い込んでいたのがもともと片側だけだったのに加え、挟み込んだガーゼのサポートがだいぶ上手く機能しているようです。『サンダルしか履かない』というのも徹底してくださっていますし、もう少し経てば、ガーゼなしでも食い込まなくなると思いますよ」(*初診から約1ヶ月半後の診断)


で、本日。「よく頑張りましたね、治療終了です」との言葉を頂き、長く伸びた爪も、ニッパー的な爪切りで慎重に&綺麗に切ってもらいました。「もう湯船に浸かっても、サンダル以外の靴を履いても大丈夫」だそうです。う、嬉しい~♡ 

ただし。陥入爪は治ったものの、今度は「やや肥厚爪(ひこうそう)気味」となってしまった我が左足人差し指の爪。え…。「日常生活に支障をきたすほどの厚さではありません(=治療や改善が必要なレベルではない)が、心配だったり不安があるようでしたら、もうしばらく通院してもらって様子を見ましょうか。それと、引き続き靴の選び方には気を付けてくださいね。治療が終わったからといって、あの真っ赤なスリッポンを履いたりしちゃダメですよ(笑)」。


先生ってば、私が初診時に“良かれと思って履いていったスリッポン”の色まで覚えていて、且つまだ処分していないことをあっさり見抜いちゃうなんて…もしや超能力者なのですかい(汗)? もちろん、我が爪を、そして我が足を守るため、今後「あの真っ赤なスリッポン」を履くつもりはないけれど、色も形も気に入っていて愛着があるせいか、なかなか捨てられずにいたんですよねぇ。でも、この機を逃すとますます手放せない気がするから、今度先生と会うまでに…つまり次の予約日までに潔く処分すると致しましょう。


最後に。皆さまも、どうぞ足指や爪を大切にし、出来る限り“サイズの合った靴”を選んでくださいませ。程度にもよるでしょうが、陥入爪というのは本当に、患ってしまったらめーっちゃくちゃ痛いですから〜(泣)‼︎

それに通常、結構な治療期間を要することが多いと聞きました(*重症の場合は手術をすることもあるそう)。私は幸い2ヶ月強で済んだけれど、これは比較的短いほうで、「半年とか1年とか掛かることもザラ」なんだとか。日々の仕事をこなしながら、或いは家事・育児に追われながら定期的な病院通いをし、靴やお風呂にも気を配りつつ根気よく治す…というのは相当骨が折れるだろうと予想できます。患わないに越したことはありませんので、時間があるときにでも、玄関に並んでいる靴たちを総チェックしてみてもよいかもしれません。

 

 

廃人終了

先日、人生で初めての経験をば致しました。何と、夫の誕生日(今月某日)が脳内からすっぽり抜け落ち、ケーキ&プレゼントを用意するのはおろか、「誕生日おめでとう」の一言を伝えることさえ完全に忘れてしまったのです。お、恐ろしい…!

歴代の彼氏や友達、近しい仕事仲間等の誕生日を祝い忘れたことなど、過去に一度たりともございませんゆえ、「えぇっ‼︎‼︎⁉︎ ちょっと待って、誕生日思いっきり過ぎてるじゃん!」と気付いた時には自分で自分に驚愕し、寒気すら感じて若干震えましたよ…。プラス、そのことに一切言及してこない夫にもびっくり。「本当に、本っ当にごめんね。お詫びに、例年より高めのプレゼント買うから何でも言って。っていうか、催促してくれて全然よかったのに」と告げたところ、「いや〜、こういうのって、自分から『祝って』って言うのも何かね。特にめでたいような年齢でもないし」と冷めたトーンで呟いていたっけ。まぁ、そういう考え方もある…のかもしれません(汗)。


さてさて。「結婚4年目にして、なにゆえ配偶者の誕生日を突如スルーしてしまったのか?」を私なりに考えてみました。挙がった候補は3つ。

①自分の誕生日(7月某日)を当日祝ってもらえなかったことを、「気にしないでね」と口では言いつつ実は根に持っていた(笑)

②夫のことは大切に思っているけれど、好きとか愛してるとかではないから、そもそも「お祝いしたい」という気持ちが薄かった

③今夢中になっているゲーム内のキャラの誕生日が今月12日に控えていたため、今か今かと指折り数えていたらば、伴って夫の誕生日はきれいさっぱり忘れてしまった


自己分析したところ、①は本当に気にしていないので却下、②は誰の誕生日であれ(たとえ知らない人でも)心から「おめでとうございます」と思えるタイプなので却下。ということは、つまり③一択なわけですね。わーお、だいぶ末期♡

 

 

私には、応援している歌手や俳優さん、声優さん達がかなりの数います。でも、その中の誰か一人を徹底的に推したり貢いだり、手紙及びメッセージで直接声を届けたりしたことはありません(*「円盤やライブチケット、舞台チケットをコンスタントに購入する」等の方法で、細々とでも長く支えたい派です)。よって、十数年にわたり応援している方々の生年月日とかも大抵知らない(笑)。生誕祭的なイベントの告知を見て「あ、もうすぐ誕生日なのね」と思う程度です。だから身近でない人の、しかも二次元キャラの誕生日(と設定されている日)を心待ちにしてそわそわ落ち着かない自分…というのがめちゃくちゃ新鮮で面白かった。夫には申し訳なかったけれど、「“何かに熱中する”ってこういうことなんだなぁ」と感じられてすごく楽しいし、ゲームの世界に没入する人の気持ちも、以前よりは理解できてるんじゃないかな?と思います。


ちなみに。そのゲームを始めたのは6月下旬。当初「“無課金”をルールとして3ヶ月間だけやってみよう」と計画していたものの、途中で変更することと相成りました。理由は、8月下旬より陥入爪(←左足の人差し指)を患い、あちこち出歩くことが困難になってしまったから。担当医からも“基本は家にいる”ことを良しとされているので、「これだけ室内で過ごす時間があるなら、せっかくだし本気でやり込んでみよっかな。ついでに、課金アリとナシで、どれくらい差が出るものなのか試してみよう」と思い立った次第です。


そんなわけで、【6月下旬〜8月下旬=課金ナシ】【8月下旬〜今月下旬=課金アリ】と条件を変え、それぞれ2ヶ月ずつひたすら地道にプレイしてみたのでございます。陥入爪が治らないことには女風も利用できないため、“女風予算”を丸々“ゲーム予算”に回してみた感じですね、ハイ(笑)。実験結果は現在集計中でして、後日あらためて綴る予定ですけれども、ゲーム自体は今後も続けていこうと思っています。幸い、陥入爪の治療もようやく終わりが見えてきましたので、「本気でやり込む」のは一旦やめて、自分のペースを保ちながらゆるゆる遊ぶつもりですけどねー♪

 

 

非情ですが、何か?

過去にも何度か書いている通り、私は16年間、エンタメ系雑誌の記者をしておりました(2020年秋まで)。手掛けていたのは、普通に書店やコンビニに並ぶ月刊誌で、メインとなる取材対象者は歌手及び俳優。インタビューやライブレポ・舞台レポ、密着取材等で継続的に彼らと接する上、写真週刊誌やゴシップ誌と違って、“至極真面目な記事を書く媒体”“新曲の宣伝やイベント開催告知等をきっちり出来る媒体”として認識されていたため、各方面と良好な関係を築けていたように思います。


私はジャンルを問わず幅広い音楽を聴いて育ちましたし、学生時代は演奏する側でもあったので、トータルの音楽的知識としては、そこそこ多く持っているほうだろうと予想できます。ただし興味があったのは歌声やメロディー、歌詞等、いわば“楽曲の本質”部分。歌手達を取り巻く業界そのものに対しては関心が薄く、内部事情についても詳しくありませんでした。


時は遡って、2004年春。初出勤日。社内を案内してくれつつ、教育係の先輩が尋ねてきます。「ところで記憶力いいほう? 悪いほう?」。

「えっと…自分ではいいほうだと思ってます」

「それはよかった! じゃあ、今後担当してもらう予定の歌手達の名前をフルネームで、もちろん表記も一字一句正確に覚えてもらわないといけないから、後で資料渡すよ。あ、所属事務所名とレコード会社名も一緒に覚えてね。経歴とか代表作とかは後回しでいいから、事務所とレーベルを先に覚えて。じゃないと仕事にならないんだよね〜」


芸能界の成り立ち・仕組み・付度・圧力・しがらみ・暗黙のルール等を何一つ知らなかった当時の私は、「え?  “取材対象者の基本情報を頭に入れておかない”なんて、そんな選択肢ないと思うんだけど…。事務所やらレーベルやらは、それこそ資料で確認すればいいのでは?」などと甘っちょろいことを考えていたわけであります、ハイ(笑)。

まぁ、圧力やらしがらみやらを抜きにしても、日程調整や原稿の確認等で、頻繁に連絡を取るのはご本人ではなくマネージャーさんやプロモーターさんですから、瞬時に“誰々さん=◯◯所属”と出てこなくちゃあ仕事にならない、というのは確かにその通り。あとは「彼、誰々さんと同じ事務所だったな。この前『普段から仲良くしてもらってます♪』って言ってたし、“先輩・後輩ぶっちゃけ対談”的な企画出してみるか〜」等、誌面作りにも役立ちます。おかげで、退職した今でも「この人は◯◯所属」というデータが頭から抜けず、純粋に“ご本人のお名前のみ”で歌手や俳優を見ることが出来ないカラダになってしまったのでありました…(泣)。


それはさておきまして。

手掛けていたのは月刊誌ゆえ、年間で表紙を飾れるのはたった12人(もしくは12グループ)。通常、編集会議で表紙候補を各々出し合って議論・検討の上決めるのですが、年に何回かは“既に決まっている”ことがありました。社長や編集長より「次号は誰々で」と指示があれば、広告絡みであれ圧力であれ、平社員は「そうですか、分かりました」と答えるのみ。私達は会社からのお給料で生活しているわけだし、そもそも「何でですか⁉︎ そんなのおかしいです!」とも思わなかった。なぜかと言うと、最初にそう習ったから。


先輩方には、芸能界の大まかな仕組みや、絶っっっ対逆らってはいけない事務所・団体の存在、「長いものには巻かれておいたほうが得策」等々、実に様々なことを教えていただきました。紅白歌合戦に“事務所枠”があること、「逆らって睨まれでもしたら、ウチなんて媒体どころか会社ごと潰されちゃう」ことには多少驚いたものの、だからといって失望したりはしなかったように記憶しています。冷静に「なるほど〜、そういうもんなんだ。じゃあ私も上手く立ち回ろう」くらいのものでした。

 

 

そして現在。連日のように、ジャニーズ事務所の諸々が報道されています。故・ジャニー喜多川氏による数多の性犯罪に対し、「許せない!」と憤る気持ちも分かりますが、それと“異様なまでのジャニーズ叩き”は別問題だと感じています。

セクハラをはじめ、パワハラや圧力、付度等はジャニーズに限らず、他事務所でも全然あります。でも、芸能界…というか、あらゆる業界を完全にクリーンにするためには、どこか一箇所ではなく根幹から変えていかなければ無理な話だと思う。加えて現実は、クリーンを目指したところで性犯罪や癒着、搾取の類が“ゼロにはならない”ことを、世界の歴史が証明してしまっています。たとえジャニーズ事務所がこの世から消滅したとしても、圧力や忖度自体は消滅しません。だって、もともとジャニーズだけの問題ではないのだから。


人間というのは、基本的に自分が一番かわいいし、自分の生活を何より大事にする生き物だと思っています。私もそうです。“今ある幸せな暮らし”を投げうってまで、組織の改革を試みたり、何かを告発したりできる人はそれほど多くありません。プラス、“正しいことをした人が報われる”ことも、私見ですがあまり多くないと思う。


よく、「いじめを見て見ぬふりしたら、それはいじめをしてるのと同じこと」的な発言を耳にするけれど、私は「いやいや、同じなわけないでしょうが」と感じています。仮にアクションを起こしたとて、いじめが無くなる保証などないわけだし、下手したら自分がターゲットにされてしまう可能性だってある。今回の件も同様です。

「(ジャニーズ所属のタレント達は)性被害を知っていたのに知らないふりをした。後輩を見殺しにした」

「ジャニーが生きている間に告発すべきだった。死んでからでは遅い」

「マスコミも知っていたはず。奴らも同罪だ」…etc.

こう息巻いている人達の中に、実際その立場になったら行動を起こせる人はどれくらいいるでしょうか。 


私はかつて打ち上げの席で、女性タレントや女性スタッフが“いろいろな権限を持つ人”(←全員40代以上の男性でした。ご参考まで…)にセクハラされている場面に遭遇し、何度か助け舟を出したことがあります。されど、あれはいずれもしがらみのない相手だったから、或いはこちらのほうが立場が上だったからこそ取れた行動です。もしも“逆らってはいけない事務所”関連だったら、迂闊に口など挟めません。たとえ「非情だ」と言われても、私は火中の栗をすすんで拾いたいとは全く思わない。彼女達のことよりも、毎月お給料をくれる会社のほうが、日々情熱を注いで作っている雑誌のほうが、そして“自分自身”が何よりも大切だからです。


己を最優先して生きていくことに、今も昔も迷いはありません。それぞれが必死に自分の人生を生きているわけだし、「保身に走って当たり前じゃないか」とすら思います。もちろん、不正を暴いたり告発したり、真っ向から権力に立ち向かったりする方々は大変立派だし、純粋に凄いと思う。ただ、権力というのは目には見えないけれど確実にそこにあって、身の毛もよだつほど恐ろしいものです。立ち向かった結果、平穏な暮らしはおろか、命まで奪われてしまうケースだってあります。

楽しいばかりの毎日では決してないけれど、私はまだまだ現世を生きていたい。だから、積極的に黄泉の国へ近づくような道は、これから先も選ばないだろうと思います。