女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

入院生活16日間

前回の記事「小休止」でお伝えした通り、私は先日まで入院生活を送っておりました。今回はその詳細を綴りたいと思います。決して明るい内容ではない上、文字数も相当多いですから(汗)、興味とお時間のない方は華麗にスルーしてくださいませ。それでは、スタート!

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お昼過ぎあたりから、すこぶる体調が悪かったその日(ちなみに金曜)。18時頃にはかなりの腹痛に襲われていたものの、21時までに納品しなければならない案件があったため気付かぬフリ。「大丈夫、大丈夫!」と自分に言い聞かせ、気力で無理矢理乗り切りました。退社後は、電車内でも駅から家へ向かう道中でも、常にお腹を守るような前傾姿勢で移動。今振り返ると「よく1人で帰れたなぁ」と思うほど、冷や汗ダラダラ&ものすごい腹痛具合でした。自宅に着いたのは23時前。玄関を開けてトイレへ直行しますれば、それはそれは酷い下痢です。明け方まで何度もトイレに行き、途中で気を失ってしまったのか、5時頃トイレの床で目が覚めました。自室のベッドへ戻っても、トイレとの往復を何十回と繰り返します。夫は土曜の朝早く出掛けたようで、夕方になっても帰ってきません。その頃になると電話をかけられる状態ではなくなっており、意識が飛ばないよう努力するのがやっと。下痢に嘔吐も加わり、「どう考えても普通じゃない」と自分で分かります。18時前、ようやく夫が帰宅しました。けれど、「おかえり」の声も「助けて」の声も全然出ない。一晩中苦しみ続けて体力が残っていないのと、尋常ではないお腹の痛みにより、声の出し方すら分からない感じです。結局、1時間後くらいに私が嘔吐する音で夫が異変に気付き、大急ぎで救急車を呼んでくれました。

 

夫にもたれ掛かりながらマンションのエントランスに出ると、既に救急車がスタンバイ。駆け寄ってきた隊員の方が開口一番、「いつからこんな状態ですか?」と夫に尋ねています。そうか、私は今“こんな状態”と表現される感じの様子なんだなぁ…。救急車に乗って横になると、名前やら何やらを訊かれ、途切れ途切れで答えます。なお、隊員は計3名。うち1人がいろんな病院に連絡してくれていますが、土曜の夜ということもあってか、早くも3箇所に断られている。酷い腹痛と吐き気に苦しみつつも「もしかして私、救急車の中で死ぬのかな…。でもまぁ、夫と隊員さんが看取ってくれるんだから恵まれてるか〜」などと冷静に考えたりしておりました。その直後、運よく4箇所目の病院が受け入れOKを出してくれ、「約10分」で到着。病院のストレッチャーに移された途端吐いてしまい、その後のことはよく覚えていません。ただ、医師から「血液検査の結果があまり良くないです。一時的だとは思いますが腎臓も悪い。即入院です」と告げられたことははっきり覚えています。夜間救急センター→一般病棟へと移動してそのまま入院。右腕から点滴と痛み止めを入れてもらうも、下痢と嘔吐は一向に収まらず、朝まで10回以上トイレへ。意識朦朧とし、今自分の身に起きていることが夢なのか現実なのかが理解できない。少し眠れたとしても、とてもじゃないけどここには書けないような、残虐極まりない悪夢を繰り返し見ます。起きても地獄、寝ても地獄。辛すぎて、知らない間に涙が流れています。苦しい、苦しい、苦しい。

 

翌日。まずはCT検査。その後心電図を測定するための機械を付けられ、尿道カテーテルを挿入されます。ただでさえめちゃくちゃお腹が痛いのに、カテーテル尿道に入れられる時の激痛といったらもう…。これまでの人生で経験したことのない、何というか“鋭く、刺すような痛み”に、出なかったはずの声が盛大に出てしまいました。カテーテルを挿入し終えた看護師さんは、点滴台の下部に専用の袋をぶら下げ、「ここに尿が溜まっていきます。数時間ごとに尿量を計測しますから、◯◯さんはこの袋に触らないでくださいね」とにっこり。つまり、今後はどこへ行くにも点滴台+自分が出した尿と一緒に行動するわけですね…。シュール…。この日は15回ほどトイレへ行き、うち後半は衰弱が酷く「フラついて危ないし、脱水の危険もあるので、トイレの際は必ずナースコールをしてください。転倒でもしたら大変」と、車椅子に乗せてもらってトイレへ。痛み止めを入れてもらっても、相変わらず酷い腹痛が続きます。昨夜とは違う悪夢を何種類も、寝入る度ごとに見てしまう。やはり、寝ても覚めても地獄です。

 

3日目。朝早く医師がやって来て、正式な病名を告げられます。「◯◯◯(←病名)にしては、かなりの重症です。これからまだいろんな検査をしますが、すぐに治るとか数日で帰れるとか、そういうことはないとお考えください」。な、なるほど…。

お昼、割と体調が良かったこともあり、看護師さんがベッド上で洗髪と体拭きをしてくれます(医師の判断により、「シャワーはまだ無理」とのことでした)。とんでもなく気持ちがいい。「白衣の天使」とはよく言ったもので、本当に天使に見えます。ありがとうございます!

深夜、今までにないくらい大量の水をもどしてしまう。慌ててトイレへ行き、下痢と嘔吐を繰り返していたら、私のえずく声に反応してか、看護師さん2人がすっ飛んできて「大丈夫ですか⁉︎ 鍵開けますよ!」と突入、背中をさすったり何だりかんだりしてくれます。あそこまで心配されるということは、恐らく私の喉から只事ではない声が出て、廊下にまで響き渡っていたのでありましょう。その後ベッドまで連れて行ってくれ、何度も「辛いね…。今痛み止め入れるから、もうちょっとだけ頑張りましょうね。絶対良くなりますからね」と励ましてくれます。その言葉を聞いて、自分でも驚くほどたくさんの涙が出て最後は嗚咽。

「今はトイレへ行くのも大変でしょうから、お部屋にポータブルトイレを用意します。おむつもしてるんだし(※入院当日から、万一のために紙おむつを着用)、便意が来たらそのまま出していいですよ」

「そんなこと出来ません、恥ずかしい」

「何言ってるんですか! 病院にいる間だけだし、私たちは何とも思わないから心配しないでください」

看護師さんの言う通りだと思います、頭では分かっています。でも、ポータブルトイレやおむつには、多分出せない。個室ならまだしも、大部屋(4人部屋)で見知らぬ患者さんたちがいる中、同室内&音も丸聞こえの状況で用を足すなんてとても無理です。しんどい時に励まし続けてくれた看護師さんには心から感謝していますが、同時に「人間の尊厳を奪おうと思ったら簡単だなぁ」とも思いました。『意識がはっきりしている状態で、生理現象をコントロール下に置く』、たったこれだけです。これだけで、少なくとも私は十分に心が折れます。

 

4日目。夕方、心電図を測る機械を外してもらえました。これでやっと寝返りが打てます、ありたがい。夜、夫が着替えやら何やらを持ってきてくれるも、コロナ対策により面会は一切禁止。病院内に立ち入ることすら許されないため、単なる宅配便の人みたいになってしまった(荷物は病院スタッフの方が代わりに受け取ってくれるスタイル)。でも仕方ないですね。大病院で、一人ひとりの患者に面会を認めていたら、全体としては膨大な人数になってしまいますので…。

深夜。入院翌日に買った500mlペットボトルの水を、やっと飲み切ることが出来ました。水と点滴しか摂取していなくても、排泄物(延々下痢ですが…)はしっかり出るものなんですねぇ。人体って不思議です。

 

5日目。午前中。相変わらず下痢は続いているけれど、大丈夫そうな時を見計らい、初めてシャワーを浴びます。自分の尿が入った袋を持ってシャワー室に足を踏み入れたのも(笑)、尿道カテーテルが入った状態で体を洗ったのも人生初ですが、本当にさっぱり。シャワーって、こんなに気持ちがいいものだったんだ〜♪

夕方。腕の痛みと腫れを感じたため、点滴針を右腕から左腕に変えてもらいます。「最初の針は少し太めだったから、ちょっと違和感あったかもしれないですね。大量の点滴が必要だったので」。へぇ、点滴の針って何種類もあるのか、知らなかった。それと、「針の場所は大体3~5日で変える」そうです。確かに、ずっと同じところだとすんごく痛いもんなぁ。

夜。担当医回診。「今だから言えるけど、入院当日の血液検査の数値は『これ大丈夫なの?』っていうくらい高かったです。段々下がってきましたが、それでも普通と比べたらまだまだ異常。焦らず治していきましょう」。その後、ベテラン看護師さんが来て「熱と血圧を測る」と言うので、さっき担当医にされた話をしてみます。「そうなのよ~、私も年に1回見るかどうかの数値だったわよ~。正直『一般病棟でいいの⁉︎』と思ったもん。それくらい突き抜けてた。だから、治るまでに結構時間掛かると思います。じっくり治療しましょうね」。そ、そうなのか…。そりゃ悪夢も見るわな…。

 

6日目。お昼過ぎ、尿道カテーテルを外してもらえる。嬉しい。「何か食べたい」という自覚はないものの、たまにグーキュルルーとお腹が鳴る。担当医に訊いたら「それは良い兆し」だそう。「下痢とお腹の痛みはまだあるでしょうが、明後日くらいから流動食を始めてみてもいいかもしれません」。なお、お腹の痛みを10段階で表すと常に5以上。8を超えると耐えられず、痛み止めを入れてもらわないと気が狂いそうなほどに痛い。

深夜~明け方。幾度となく起きてはトイレへ。お腹にもう何も残っていないのか、トイレに行ってもほとんど何も出なくて辛い。

 

7日目。午前中。「1週間経つので」と、係の方がシーツ・枕カバー・布団カバーを交換してくれます。はぁ~、気持ちがい~い♡ というか、もう1週間経ったのか。早いなぁ。

お昼過ぎ。2回目のシャワー。はぁ~、気持ちがい~い再び♡

夕方。諸々の手続きをしに、2階の総合センターへ(病室は9階)。入院以来、初めてエレベーターに乗ったけれど、めちゃくちゃ重力を感じて若干吐き気が。往復しただけで、信じられないくらい疲れました…。体力・筋力の著しい低下を実感。

夜。お腹の痛みが9となり、ナースコールをして痛み止めを入れてもらいます。が、この時の夜勤看護師は、白衣の天使ならぬ白衣の悪魔。「お腹が痛い」と言っている私の、そのお腹の上に血圧計をボンと放り投げ、あまりの痛みに呻き声をあげる患者の声をガン無視。挙句に点滴をしている左腕、しかも針のすぐ上に血圧計を巻いて(普通は肘から上に巻く)そのまま締め付けるものだから、針が入っている箇所に激痛が走ります。大声で「痛い、痛い!」とわめき散らすと、「あらぁ、針のとこが痛いの? お腹じゃないんだぁ」と薄笑いを浮かべて立ち去るという鬼畜ぶり。他の看護師さん達はみんな良い人だっただけに、心底驚きました。「こんな人が看護師って…。怖っ‼︎」。別に親切にしなくてもいいけれど、こんな意地悪をされる覚えはないし、命を預かる仕事なんだから最低限のことはやってくれ、と思いましたね。「この悪魔が夜勤か…」と思うと、どんなにお腹が痛くてもナースコールが出来ず、一晩中痛みと寒気に苦しむこととなりました。明日、病院側に報告しよう。

 

8日目。徐々に快方へ向かっていると思っていたけれど、昨夜の件もあってか一転、大層調子が悪い。朝の採血で別の看護師さんに事情を話し、「昨日の夜勤担当の方のお名前、教えてもらえますか?」と尋ねるもなぜか濁されます。

午前中。「点滴針の位置を変えましょう」と言われましたが、「すごくお腹が痛いから今は嫌です」と答える(点滴針を入れる瞬間も相当痛いので)。けれど「ごめんなさいね、もう腫れてきちゃってるから変えさせてください」と受け入れてもらえず、半ば強引に左腕から右腕へチェンジ。お腹の痛み、腕の痛み、諸々の憤りや苛立ちが爆発して泣き叫んでしまいます。「もうイヤだ、いつお腹痛くなくなるの⁉︎ もう全部イヤだ!」と子供のように号泣。

昼以降、排泄物に血が混じるようになった。最初はドロリとした血、徐々に鮮血。昨夜の一件で何かが破裂でもしたのか?と思い怖くなる。

夕方。担当医に一通り説明したら、別の痛み止めと薬を処方してくれた。私は食事内容からトイレの回数、採血の時間まで毎日スマホにメモしているので、例の看護師のことも時間帯・言動等を細かく記録してあります。時間を伝えれば“誰が担当していたか”は簡単に分かるはずなので、悪魔の正体はすぐはっきりすることでしょう。

深夜。今日はずっと調子が悪いけれど、遂に耳鳴りがし出した。高音で、何とも聞き心地の悪い音が、嫌なリズムで延々鳴り続けている。全然眠れない…。

 

9日目。深夜〜明け方、飲み薬の痛み止めを処方してもらったけれど全く効きません。

昼。やはり腕から入れてもらう痛み止めのほうが効くので、そちらを入れてもらいます。ただし「6時間空けないと新たには使えない」らしく、痛み止めを使用できない時間が思った以上に長い。これまでは痛みに波があり、5→7→9→5を繰り返すという感じだったけれど、昨日&今日は常に8痛い、という状況。これはかなり辛いです。痛み止めが使えない時は、ベッドの上でのたうち回って耐え抜く以外に方法がありません。精神的にも肉体的にも極限まで弱っていて、「これなら死んだほうが楽かもなぁ。楽になりたいなぁ」などとロクでもないことを考え、うっかり窓を開けてしまったりする(3cmくらいしか開かない仕様になってますけどね)。この日の排泄物にも血が混じっていた。いろいろ最悪のまま夜を迎えました。あまり眠れない。

 

10日目。朝、担当医回診。「今日はレントゲンと、念のため便の検査をしましょう」。

昼、3回目のシャワー。うん、今日は調子がいい。

夕方、レントゲンを撮りに1階へ。まだエレベーターの重力に慣れず、少しだけ気持ち悪い。

夜、担当医回診。「便の検査結果は後日になりますが、レントゲンでは特に異常なかったですよ」。

 

11日目。朝、担当医回診。「体調はどうですか? もう10日間絶食しているので、調子がよさそうならお昼から流動食を始めてみましょうか」。確かに今日までの10日間、点滴と500mlペットボトルの水4本分しか摂取していません。そう考えると、点滴ってすごいなぁ。

正午、実に10日ぶりの食事。流動食といってもすごく凝っていて、すまし汁・重湯・南瓜のスープ・鱈と冬瓜のすり流し・牛乳というメニュー。まずはすまし汁をひと口いただきます。熱っ、旨っ! 10日間、常温の水しか口にしていなかったため、おだしが胃全体に染み渡っていく感覚がものすごくあります。そして驚いたのが牛乳。スーパーでも見かけるお馴染みの牛乳だったけれど、とんでもなく甘く感じます。砂糖とは全然違う甘さで、例えるならば、昔北海道で飲んだ“搾りたて牛乳”みたいな甘さ。そして後半になると、すまし汁がしょっぱく感じられて食が進みませんでした。相当薄味のはずですが、10日も水だけで生きていると味覚が鋭敏になるのか、「味付けは最低限でいい」と思いました。それと“食べられる幸せ”をしみじみ感じましたね。残念ながら完食は出来ず、全体の1/3くらいを約30分かけて食べる、という劇的に遅いテンポだったけれど(笑)、大変豊かな時間を過ごさせてもらいました。また、この日は初めて痛み止めを使わずに済みました。お腹の痛みは基本、常に4以上はあるけれど、まぁ我慢できるレベルです。

 

12日目。朝、担当医回診。「昨日は痛み止めを一度も使わなかったし、調子も良さそうなので、お昼から五分粥にしてみましょう」。

午前中。運動を兼ねて、2階にあるコンビニへ。エレベーターを降りてびっくり、受付やら会計やらが人で溢れ返っています。後で看護師さんに訊いたら、「午前中はめちゃくちゃ混んでいる」んだそう。事前リサーチをするべきでした…。さて。点滴台に半分体重を預けつつ、何とか人混みをすり抜けてコンビニへ入ったものの、レジに着く頃には猛烈にお腹が痛くなり、「大丈夫ですか? 看護師さん呼びましょうか…?」と店員さんを不安がらせる始末。「大丈夫です、ありがとうございます」とギリギリの状態でエレベーターに乗るも、先に乗っていた別棟の看護師さんに「体調悪そうですね、送ります。どちらの病棟ですか?」と助けていただくことに。結局車椅子で運んでもらい、病室に戻るやいなやダウン。無理は禁物、と猛省致しました。

午後、看護師長が神妙な面持ちで来訪。担当医から話を聞いたらしく、「先日は誠に申し訳ございませんでした。私の監督不行届で、部下が看護師にあるまじき行為を…」と誠心誠意謝ってくれます。悪魔本人には会いたくないし、私としてはこれで十分です。同じような被害者が出ませんように。

 

13日目。今日は体調が悪く、妙にだるい&ずっと眠い。3度の食事も、全て半分以上残してしまいます。

昼、点滴針の位置を交換。右腕から左腕と思いきや、右腕から右腕でした(笑)。そして、今日から「一日中点滴」をやめて、「点滴しない時間を作ってみる」そうです。それと、退院後を見据えて「全て飲み薬の痛み止めに切り替え、体を慣れさせていきましょう」と。確かに、退院したら腕から痛み止めを入れてもらうことは不可能だもんなぁ…。

夕方。「明日のお昼まで点滴なしです」と、入院以来初めて点滴が外れる。食事と飲み物からのみ、栄養を摂取するわけですね。嬉しいような怖いような、少し複雑な気持ちです。歩く時、フラフラしてしまわないか心配。

 

14日目。朝、担当医回診。「数値は良くなっているし、CT・レントゲン・便の検査でも異常は見当たりませんでした。下痢もほぼないということで、あとは痛みだけです。痛み止めの飲み薬をお出ししますから、明後日くらいには退院しても大丈夫でしょう。退院後のことは、また改めて」。

昼、シーツ・枕カバー・布団カバーの交換をしてもらう。また1週間経ったのか~。

夜。入院以来、初めてガス(お◯ら)が出る。担当医に「まだガスが出ていない点が唯一気掛かり」と言われていたため、これでひと安心です。

 

15日目。午前中。初めて点滴なしでシャワーを浴びます。フラつかないか不安だったけれど大丈夫でした。良かった!

昼過ぎ。会社に電話(入院以来、初めて外部の人と話す。喋るスピードがかなり遅いことに気付く…)。現在の病状と、今後のことについて少し話します。

夕方、薬剤師さん来訪。何種類か処方される薬の説明を、ものすごく丁寧にしてくれます。いろいろな質問に、納得いくまで答えてくれてありがたい限り。

夜、会計課の方が請求書を手に来訪。何となく予想していた金額とそれほど差異がなかったので、特に驚きはせず。ただ、やはり“小さくない出費”であることは間違いございません、ハイ。

 

16日目。朝、病院でのラストの食事。全粥だったので、「私はまだ普通の白米を食せる状態じゃないんだな」と再認識。朝食後、担当医回診。初めて眼鏡をかけて先生のお顔を拝見したら(今までは裸眼。視力0.1以下なので基本ぼやけている)、かなりのイケメンでびっくりしました。「私好みの低音イケボ♡」とは思っていたけれど、お顔もイケメンだったとは。もっと早い段階で眼鏡をかけるべきだったかなぁ(笑)。

午前中。夫が迎えに来てくれて、無事退院。帰宅すると、約半月ぶりのせいか“他人の家に来た感”が非常に強く、何やら不思議な気持ち。それと「普通の家って、病院と比べて随分色彩豊かだな~」と思いました。

夜、入浴。半月ぶりに湯船に浸かり、その幸せを目を閉じて嚙み締めます。ただ就寝時、入院前と変化が…。私は長らく真っ暗派だったのですが、いつの間にか“豆球がついていないと寝られない派”に変わっていました。病室は、消灯後も“常に少し明るい状態”だったため、その環境にすっかり慣れてしまったようです(汗)。

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大変長くなりましたけれど、以上が私の闘病記です。いえ、正確には“闘病”はまだ終わっていませんが、退院したのでひとまず区切りということで。

自宅に戻って数日が経ち、やっと“柔らかめ炊き”の白米を食べられるようになりました。あとはお味噌汁やスープ、蒸し野菜、鶏肉や魚、豆腐、果物等をよく噛んでゆっくり食べ、香辛料や珈琲等の刺激物、(もともと飲みませんが)お酒は控える。無理しない程度に家事をこなして、徐々に体力を回復させる。疲れたらすぐ休む。そんな感じの毎日を送っています。ちなみに、お腹の痛みは現在、10段階のうち2くらいでしょうか。たまに4とか5になることがあるため、そういう時は痛み止めを服用し、大人しく寝ています。天からの「あなた、少し働きすぎだから休みなさいな」というお告げ(笑)だと勝手に解釈して、のんびり静養させてもらうつもりです。

皆さまも、どうぞご自分の、そして身近な方のお体を大切になさってくださいね。病気になると、フィジカルもメンタルも底の底まで落ちます。こういう経験は、出来ることなら生涯しないほうがいいと思う。私も二度としたくないです。次の検査で何も引っ掛からないことを、本当に本当に願っています。健康第一!

 

=余談=

約半月の入院生活中、驚いたことがいくつかあります。「大人数での教授回診って本当にあるんだ! 小説・ドラマ内のフィクションだと思ってた」とか、「看護師といえど、(先述した)悪魔みたいな人間も存在する」とか、「ずっと吐いていたり、叫んだり呻ったりして苦しみ続けている患者さんもいる」とか。中でも一番驚いた…というよりガッカリしたのは、高齢患者による“ルール破り”の横行です。

ルールといっても、飲食時以外はマスク着用、病室内では電話禁止(通話可能なスペースは、病室の外にきちんと用意されている)、大部屋でテレビを見る際は必ずイヤホンを使う等、ごく当たり前のものばかり。が、それらを守らない高齢患者の、まぁ多いこと多いこと。しかも耳が遠いのか、大抵の場合、声や音が馬鹿デカイから余計に迷惑。看護師さんが何度注意しても、「うるさいなぁ」だの「ちょっとぐらいいいでしょ!」だの我儘放題&開き直るような態度。プラス、「食事が不味い」とか「(ナースコールをしてから)来るのが遅い」とかの難癖をつける患者までいて、まさに傍若無人です。もちろん、高齢者全員がそうだとは思わないけれど、私が見聞きした割合としては圧倒的に70〜80代の高齢者が多かった。若い患者さんで、ルールを破ったり我を通そうとしたりする人には一度も会いませんでした。人生の終盤を迎えて、どうしてあそこまで残念な仕上がりになっちゃうんだろうなぁ…。私は、ああいう年の重ね方をしないように生きていきたいです。