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既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

生成AIとクリエイター

今月17日に発表された、第170回芥川賞直木賞。料理をしつつ、テレビから流れてくる「芥川賞は九段理江さんの『東京都同情塔』、直木賞は河﨑秋子さんの『ともぐい』、および万城目学さんの『八月の御所グラウンド』がそれぞれ受賞」とのニュースを何気なく聞いていた次の瞬間、「え…?」と思考&体がフリーズしました。キャスターが、「芥川賞受賞作『東京都同情塔』は、文章生成AIを使用した小説」だと伝えていたからです。


まずは「いつかはこういう日が来るだろうと思っていたけども、まさかこんなに早いとは」という驚き。次に「芥川賞でそれやっちゃうんだ…!」という衝撃。ただ、詳しく調べてみると、私が危惧していた類の使用方法とは全く異なりました。


当初、「今回の小説は、ChatGPTのような文章生成AIを駆使して書きました。全体の5%ぐらいは生成AIの文章をそのまま使っているところがあります」という九段さんのコメントを読んで、「5%ならいいってこと? もしそれが50%だったら? 95%だったらどうなるの? っていうか、“オリジナル作品”の定義って一体…⁉︎」と様々な疑問や憤る気持ちがわき上がってしまい、とても冷静ではいられなかった。

〈もしかして、プロットの段階でAIと共同作業してたとか?〉

〈AIが書いた文章をそのまま使って、それを自分名義の作品として発表する人を“作家”と呼べるのだろうか。そもそも著作権はどうなるんだ?〉──etc.


でも、情報を集めたらそういうことでは全然なかったです(*ちなみに小説はまだ読んでいません)。

「東京都同情塔」の舞台は、既に生成AIが浸透している近未来の日本社会。作中に生成AIが登場するシーンがあるそうで、「そのまま使った」というのはその部分に関してなんだとか。それなら描写として必要だろうし、リアルさを追求する意味でもそのまま使用するのは理にかなっています。詳細を知らないうちから、えらく取り乱しちゃってすいませんね…(汗)。


なれど、強い危機感を覚えているのもまた事実です。九段さんは上記のような使い方をし、且つ「文章生成AIを使った」ときっちり公表していますが、今後そうでないパターンが出てくる…というか、実際問題、もういろんなところに紛れ込んでいるであろうことが予想できます。文章に限らず、写真、イラスト、楽曲等、あらゆるものの著作権だったりアイデアだったりが、これから世界中で加速度的に侵害されていくことになるでしょう。


私も、単なるお遊びとか、個人的に楽しむだけとかなら「まぁ許せる範疇かな〜」とは思うんですよ。誰々っぽい絵を描いてみたい・誰々っぽい写真を撮ってみたい・誰々っぽい文章を書いてみたい…的な願望を抱くこと自体は理解できますし。でも、それを商業ベースに乗せて、人の褌で相撲を取るのは「どう考えても違うでしょ」と感じています。


絵を描くのも、写真を撮るのも、文章を書くのも、基本的には楽しいけれども本当に本当に大変です。労力だって時間だって相当要る。時間と手間をかけて、やっとこさ確立したオリジナリティーを横から掻っ攫われ、勝手に分析されて勝手に使われ、その上一銭にもならないんじゃあ、クリエイターはいずれこの世から消えてしまいます。そんな未来、私は嫌だ。生みの苦しみを味わいながらも、素晴らしい作品を世に送り出してくれるクリエイターの方々に、ずっとずっと活躍し続けてもらいたいし、正当な報酬を得てほしいし、何より創作意欲を失ってほしくない。人々の心を震わせてくれる音楽・絵画・写真・文章等は、無料或いは安価で好き放題ばら撒いていいわけがないのです。そんなことがまかり通ってしまうような世界にしたくありません。


生成AIは確かに便利だし、そこから新たに生まれるもの、そして受ける恩恵も沢山あることと思います。ただし開発するのであれば、同じくらいの精度とスピードでAIチェッカーも開発してくれることを望みます(現に、フェイク動画やフェイク画像等で被害に遭っている方が大勢いますから…)。各国、法整備やガイドライン作りも出来るだけ急いでほしい。“やったもん勝ち”状態になってしまうことは、何としても回避してもらいたいです。


最後に。私見ですが、今回の芥川賞は「生成AIと共存していく未来を、一人ひとりがもっと具体的に想像せよ」という意味合いも含んだ選考だったのかな?と感じました。事実私も、注目度の高い芥川賞だからこそ強い衝撃を受け、生成AIについて深く掘り下げて考えたんだと思います。

調べれば調べるほどいろんなことが気になってきたので、次回以降、小説以外の事柄についても綴る予定でおります。貴重な“気付き”をありがとう、芥川賞