女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

続ける自由、休む自由、辞める自由

私がこのブログを立ち上げたのは、今からちょうど8ヶ月前(2020.2.29)。


前職で、会社の公式ブログやTwitter等の更新は(仕事の一環として)担当していたけれど、私用のブログは人生初です。よって、開設前に“ブログに関する本”や、それこそ“ブログを始めるためのブログ”的なものを片っ端からチェック。その多くに共通して、「まずは100記事投稿を目指しましょう。話はそれからです」みたいなことが書いてありました。プラス、「多くの人は“記事を書き続けること”自体が出来ません。新規開設後、半年後も同じブログを継続している割合は全体の25%程度。一年後は約10%」とも。正直、「ウソだ〜!」と思いました。


誰かに強制されているわけでもなく、自分の意思で、要は“好きで勝手に”始めたであろうブログ。それゆえ「100記事書けない割合がそこまで高いのか?」と疑いの目を向けつつ情報収集していたけれど、確かに「いざスタートしてみたら予想より大変だった」とか「100記事投稿する前に、言いたいことを書き尽くしてしまった」とかいうことはあるかもしれません(*私自身も、“純粋なる女風関連”だけを数えれば、恐らく現状40記事ほどしかアップしていないと思います)。まぁ、いつ始めていつ終えようと、或いは途中で休もうと個人の自由だし、100記事なんてどうでもいいといえばどうでもいいんですが、ふと見たら既に100を超えていたので一応…(なお、当記事は102本目です。数が中途半端でスミマセン・汗)。


さてさて、私は書くことも読むことも昔から大好き。特に記者として働いていた16年間は、毎月世にも恐ろしい分量の原稿を書いてきました。でも、「無理!  書けない」「もう書きたくない」と感じた経験はゼロ。〆切に追われ過ぎて「今すぐ遠くへ行きたいぃぃ〜」と思うことは度々あったけれど、それだってリアルに逃げ出したいわけじゃない。実際は、マッサージ屋さんやカフェで一息つけば、またすぐに書けます。


ただ、一口に“書く”といっても、心持ちやモチベーションは本当に様々です。


仕事として原稿を書く際は、商業誌(エンタメ系雑誌)を作っていたので、一番に考えるべきは当然、読者の皆さまのこと。同業他誌もある中でウチを選び、わざわざ書店やネットショップへ出向き、お金を出して読んでくれているわけですから、その期待に応えたい。「この雑誌にして良かった」「買って良かった」と思ってもらいたいし、メールやTwitter等で「あの対談、誌面上なのにその場で話してるような臨場感でした」とか、「誰々のライブレポ、最高だった〜♡」とかいうお声を頂くと、疲れなんてものは一瞬で吹っ飛びます。諸々の都合上、文字数に限りがあったり、表現にも制限があったりするため(←取材相手は歌手や俳優なので、いろいろと…ね・笑)“好きなように書く”というのは絶対出来ないのだけれど、逆に「枠があるからこそ、ルールがあるからこそ生まれる記事」というのも存在する。それはそれで、すごくやりがいがありました。如何に上手く“抜け道”を見つけて、(所属事務所ではなく)歌手本人が本来伝えたいであろうことを読者のもとへ届けるか。そういう駆け引きも、楽ではないにせよ、あれこれ工夫するのが面白かった。


一方、私用のブログは(私の場合)金銭も発生しないし、文字数やテーマ、アップ日・時間帯等も明確には決めていません。心掛けていることと言えば、「誰かを傷付けたりする記事は書かない」「細かい情報を明記する場合は、調査と確認を怠らない(誤情報を発信しない)」という点くらい。あとは文字通り“私的ブログ”ですから、主観で、自分の言葉や表現で、思ったまま、感じたままに綴ればいい。これは、今まで積み重ねてきた「読者のための記事を書く」行為とは似て非なるものです。


もちろん、このブログでも、読んでくれている方がいる以上は「“読者に向けて”の記事」を書いているつもりです。少しでも役に立てばいいなとか、誰かの気持ちを楽に出来たら嬉しいなとか、そういう思いは少なからずある。されど、ベクトルは「“読者のため”の記事」には向いていません。


商業誌では、出来るだけ読者に寄り添うのも仕事のうちといいますか、「記者たるもの、読者のニーズに応えてナンボ」と思っていました。そりゃそうですよね、読者(と広告主と取材対象者)あっての雑誌なのだから。けれど私用ブログは、書きたい人が書きたいことを書きたいように綴り、読みたい人が読みたい時に読む。基本的にはそれだけだと思います。でも“心の交流”がないかと言えばそんなこともなかったり、長年の読者でもアクションは起こさずひたすら読んでくれるだけだったり、不思議な面も結構ある。繋がっているようないないような、何となく“ふわふわした感じ”が、私はかなり心地良いです。自分が書くにしても、どなたかのブログを読むにしても、“そこそこの情報量&文章量があるにもかかわらず、ある程度の距離感を保てる”のはなかなか快適。そしてやっぱり、書くことがすっごく楽しい!


以前「新型ウイルスの出現以降、自分が一番好きなもの、大切にしているものは“音楽”だと気付いた」と書いたことがあります。けれど、音楽に匹敵するくらい「書くこと」も根っから好きなのだと思う。これまでは誌面、社のブログやTwitter、そして個人的な日記(22歳の時からつけています。ちなみに手書きです・笑)と、日常的にものすごい量の文章を書いていたから、当たり前すぎて「書く行為」そのものを意識したことがなかった。


大切なものは、案外すぐ側にある──。


どこかで聞いたようなフレーズが、実感として“ストン”と胸に響いた気がします。思いを言葉(文字)にして、それを個人で好きなように発信できる世の中。そう考えると、今ってそれほど悪い時代でもないのかもしれませんね。