女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

因果応報

3年前の夏、私は交通事故に遭いました。


仕事へ向かうため、自宅マンションを出て駅まで歩いていた時のこと。青信号の横断歩道を渡っていたら、左折してきた車にボーンッ!とはねられたのです。あまりにも突然すぎて、何が起きたのか理解するのに少し時間が掛かりました。


四駆でゴツめの車種だったせいもあり、私は数メートル吹っ飛ばされた模様(目撃者談)。幸いというか何というか、昼前の時間帯で周囲は明るく、目撃者も多かった。更に運が良いことに、パトロール中の警察官が付近にいたらしく、まだ通報しないうちにパトカーが到着。瞬く間にいろんな処理が進んでいきました。もちろん加害者も逃走などしません。ドライバーは当時24歳の女性でしたが、被害者である私よりも動揺している様子で、震えながら「大丈夫ですか」とか「ごめんなさい」「本当にすみません」的なことを終始言っていたと記憶しています。ちなみに、事故の原因はドライバーの前方不注意。「同乗者とのお喋りに夢中だったのと、慣れない四駆(レンタカー)で視界を把握しきれていなかったんだと思います。完全にあちらが悪いです」(警察官談)。


一方の私は、数メートル吹っ飛ばされて足腰を強打、プラス腕を負傷。肘から手首にかけ、広範囲に渡って血を滲ませながらも、状況を理解して以降は割と冷静でした。


まずはバッグ内のノートPCが正常に起動するかをチェック。続いて各方面へ電話連絡。この日はテレビ局の会議室で某歌手のインタビュー取材があり、局に直行する予定だったのです。その歌手は多忙な方で、スケジュールを押さえるのははっきり言って楽じゃない。プロモーション取材ならノーギャラですが、それ以外だと結構な額が発生します。つまり、この機会を逃したら次はいつインタビューできるか分からないし、彼女のために用意していた数ページにも穴があいてしまう。あいにく当日は他の記者も予定が詰まっており、誰も代われない状況でした。その某歌手は「事情が事情だから、お金のことは気にしないで。それより早く治してね」と、翌月ノーギャラで取材に応じてくれましたが、電話での切羽詰まったやり取り諸々を聞いていた加害者も、気が気ではなかったと予想します。私への慰謝料に加え、歌手へのギャランティやカメラマン代金等、丸々支払うとなればそれなりに高額です。私は各所へ電話しつつも、「24歳か…。一括で払うのは難しいだろうなぁ」等とうっすら思っていました。


ただ、一通り連絡し終えたら、急激に腕や腰、頭が痛み始めました。気を張っている間は、痛点が麻痺していたのかほとんど何も感じなかったけれど、安心した途端、体のあちこちがズキズキと痛む。「え、どうしよう。だいぶ痛い…」。それを見計らったかのように、警察官が大きな声(私だけじゃなく、加害者、目撃者、野次馬等、その場にいた全員に聞こえるくらいのボリューム)で言います。


「今は『そんなに重傷じゃない』と思っているかもしれませんが、頭や脳にダメージを受けている可能性もありますし、ムチウチ症や後遺症が残ることも十分考えられます。すぐに病院へ行って精密検査を受けてください。我々は多くの交通事故を見てきていますので、後が怖いことをよく知っています。いいですか、あなたがぶつかられたのは四駆車です。あなたは生身の人間で、向こうは四駆車。普通に考えて、大丈夫なわけがないんですよ」


そこにいる誰もが、「彼の言うことはもっともだ」と感じたと思います。そして、とてもそこまで気が回っていなかった「後遺症が残る」かもしれない可能性と、「大丈夫なわけがない」という言葉。痛みとともに、得体の知れない恐怖心が湧き上がってきました。口にはしないまでも、その警察官は「双方、軽く考えてもらっちゃ困りますよ」「交通事故というのは、それくらい深刻なことなんですよ」と主張しているかのようでした。「後遺症が残る場合もある」とか「車と人間がぶつかって大丈夫なわけがない」とかは、その場できっぱり言ってもらわないと意識できないことなので、あの警官にはすごく感謝しています。事故の後、ああやって大勢に聞こえる声で「事の重大さ」をアピールするのは、大変重要だと感じました。


後日、加害者の女性は誠心誠意謝ってくれたし、お金の面でも折り合いがつきました。けれど、3年経った今でも恐怖心は消えません。腕の傷や足腰の打撲などは全治3週間程度でしたが、“心の傷”というのは簡単には消えないものなんですよね…。脳のCT検査結果が出るまでの恐怖、ムチウチ症になっていないかの恐怖、そして横断歩道を渡る時の恐怖──。その街からはもう引っ越したけれど、事故以来、私は駅までのルートを変えました(最短ルートは捨てた)。遠回りしてでも、事故現場の横断歩道を渡りたくなかった。さらには、横断歩道自体が怖くなってしまい、過剰なまでに後方確認するようになりました(右手後方からひかれたので)。いくら歩行者が交通ルールを守っていても、ドライバーがそれを破って事故が起きたらひとたまりもありません。怪我を負うのは、或いは命を落とすのは「生身の人間」のほうです。


私は現在も、“横断歩道そのもの”に恐怖を感じます。加害者の顔や名前や声、自分がひかれた車の形や色を忘れることは、多分一生ないと思う。それは加害者をずっと恨んでいるとかじゃなく、消したくても脳裏にしっかり焼き付いてしまい、全然離れてくれないのです。重傷だろうと軽傷だろうと、怖いものは怖いです。ましてひき逃げなんて、その何倍も、もしかしたら何十倍も何百倍も怖いのかもしれない。交通事故を起こさないことが一番だけれど、既に起きてしまった事故は取り返しがつきません。どうあがいても、「なかったこと」には出来ないのだから…。大事なのは、その後どういう行動を取るかです。


先頃の俳優に限らず、ひき逃げなんて絶対にやってはいけないことです。一生ついてまわるし、そういう行いは、巡り巡って自分のところへ返ってきます。因果応報ですね。結果、あなたや、あなたの大切な人がもし同じようにひき逃げされたらどうしますか。許せますか。「一生かけて償う」と言うけれど、被害者は、怪我や傷が治ったとしても、精神的に長く苦しむことになるのです。加害者は、そのことを肝に銘じるべきだと思います。たとえ、法律上は罪に問われなくとも。