女風は、用法・用量を守って正しく利用いたしましょう。

既婚ユーザー・ネギブロコの女性用風俗利用日記+日常譚

命の重さ

昨夜、映画「コンフィデンスマンJP ロマンス編」(フジテレビ/21時~)を視聴しました。2019年の公開当時、夫とデートで観に行った思い出の映画でもあります。内容としては、長澤まさみさん主演によるコメディー。彼女の振り切った演技と、“悪徳富豪たちを騙しては大金を巻き上げていく天才詐欺師集団”という設定が面白く、見ていて実に愉快痛快。私はテレビドラマ(2018年放送)の時から見ていたのですが、映画化される際、大好きな俳優・三浦春馬さん、竹内結子さんが出演すると知って「わぁ、絶対観に行こう♪」と思いました。夫も三浦さんの作品を数多く見ており、誘ったところ「行きたい」との返事。長澤さん、竹内さんのお芝居はもちろん素晴らしかったけれど、三浦さん演じるジェシーがあまりに素敵すぎて、私も夫も、彼に思いきり魅了されて映画館を出たことをよく覚えています。

 

その三浦さんは2020年7月、竹内さんは同9月に、天国へと旅立ってしまわれました。「お二人が揃って出ているこの作品を、冷静に見られるだろうか…?」という懸念はあったものの、それより何より「ジェシーにもう一度会いたい」という気持ちのほうが強く、意を決してテレビの前へ。冒頭から三浦さんが登場することは分かっていたので、身構えてというか覚悟してというか、放送数分前から緊張しつつスタンバイ。でも、始まったら映画の世界にどんどん引き込まれて、純粋にエンタメとして楽しむことが出来ました。あるシーンまでは。

 

それは、長澤さん演じる主人公・ダー子と、三浦さん演じる恋愛詐欺師・ジェシーが、香港の街並を歩くシーン。大仕事を終えた2人は、雑踏の中を恋人同士のように寄り添って歩きます。やがて引きの画となり、仲睦まじく歩く2人の前を、香港トラム(路面電車)が通り過ぎる。画面いっぱいに映っていたトラムが右から左へ消え去ると、2人の姿も消えていて、そこには雑踏だけが残る──。これ自体は、定番といえば定番の演出です。けれど私は、このシーンで涙が溢れて止まりませんでした。「三浦さんは、この画面からだけじゃなく、“この世”からもいなくなってしまったんだ。彼の新しい作品は、もう一生見られないんだ」と痛感したのだと思います。なのに、竹内さんのことはそう感じなかった。「彼女は、今もどこか異国で元気に暮らしているんじゃないかな」とさえ思いました。その違いを一晩考えた結果、「“速報で見たか否か”が関係しているのでは?」と予想します。

 

三浦さんの訃報は、たまたまつけていたテレビ画面に突如表示された「ニュース速報」で知りました。録画しておいた番組を見た後、テレビをつけっぱなしにしていたら、画面上部に「俳優・三浦春馬さんが死亡。自殺とみられる」という白い文字。最初は「見間違いかな?」と自分を疑ったほど、にわかには信じられなかった。一方、竹内さんの時は報道番組。アナウンサーが淡々と、冷静に事実を伝えていました。テロップで「女優・竹内結子さんが死亡」という文字は見たけれど、リアルタイムで突然知らされたのとは全く違います。

 

さて。私が人より優れているものの一つに、“記憶力”が挙げられると思います。前職(雑誌記者)でも現職(校正者)でも大変役に立っているのですが、私は人の名前や歌の歌詞、作品のタイトル等を、文字表記込みでかなり正確に覚えることが出来ます。記者時代、担当している歌手たちから「あなたは(ライブ)リハーサルの時、ほとんどの曲を一緒に口ずさみながら観ている。暗記するほど聴いてくれてるんだね。マネージャーでもそこまで覚えてないのに。すごく嬉しい!」と度々言われました。彼らの歌を頻繁に聴いていたのは確かだけれど、記憶力の良さも大いに手伝っていると思います。分かりやすく説明するなら、歌詞カードやエンドロール等を“脳内スクショ出来る感覚”と言いますか、興味のある事柄に関してはバチッと覚えられるんですよね。これは随分昔からなので、きっと先天的な能力なのだと思います。

 

それゆえ、三浦さんの訃報も、1年半が経った今でも非常に鮮明なままです。画面ごと、脳裏に焼き付いてしまって全然離れません。仮に記憶力がごく普通だったとしても、あの速報のインパクトはだいぶ強かったんじゃ…と思います。三浦さんに限らず、著名人が自死した際に「自殺報道ガイドライン」が遵守されていないことは多々ありますが、私はそれプラス、「速報もやめたほうがいい」という考えです。ニュース番組を見ている時なら「そういう報道もあるだろうな」と受け止められますが、速報は心の準備が出来ていないうちに、しかも文字情報だけで突如知らされる。これは、各方面にあまり良い影響を与えないような気がします。嬉しい速報ならいざ知らず、悲しい速報って、そこまで急いで報道しなくちゃいけないものなのかなぁ…?

 

それと、2020年当時とは自死への考え方、捉え方が少し変わりました。昨秋、私自身が病気を患い、16日間入院生活を送ったからです。点滴と水しか摂取できないまま時が過ぎ、お腹の痛みが限界に近かった9日目の午後。ふと「これなら死んだほうが楽かもなぁ。楽になりたいなぁ」などというロクでもない考えがよぎってしまい、病室(9階)の窓を勢いよく開けてしまった。3㎝くらいしか開かない仕様になっていたため事なきを得たけれど、「人間、“魔が差す瞬間”って確実にあるな」と実感しました。私の場合は耐えがたいお腹の痛みと、精神的にも肉体的にも極限まで弱っていたことが原因ですが、人によっては“心の痛み”だったり、何かにずーっと悩んでいたり、或いは「理由なんてないけど生きていたくない」人や、「幸せの絶頂で生涯を終えたい」人だっているかもしれない。才能に恵まれていても、容姿端麗でも、お金持ちでも、「死にたい」と思ってしまう瞬間は訪れるものなのかもしれません。当事者でない限り、本当のことは誰にも分からないと思います。

 

私はもともと、尊厳死安楽死については肯定派です。治る見込みが一切ないとか、家族に負担(金銭的・肉体的・精神的)をかけたくないとか、ただただ延命されて生かされているのが辛いとか。もしそういう立場に置かれた場合、合法か非合法かは別として、私も安楽死を望む可能性は結構高いです。

大好きな医療漫画「ブラック・ジャック」(手塚治虫)に登場する医師、ドクター・キリコは、主人公、ブラック・ジャックとは真逆の人物。どんな状況下でも患者の命を救おうとするブラック・ジャックに対し、キリコは「生きものは、死ぬときには自然に死ぬもんだ。それを人間だけが、無理に生きさせようとする」「おまえは金しだいでいのちを助ける。おれは金しだいで安楽死をとげさせてやる。同じようなもんさ」と語り、自身が掲げる3つの条件を満たす患者には安楽死を提供します。軍医時代の“戦場で手足をもがれ、胸や腹をつぶされてもなお、死ねないでいる悲惨な怪我人をごまんと見てきた経験“から、治る見込みのない患者を生存させて苦しませるより、安らかに息を引き取らせたほうがいいという考えに至ったのでしょう(よってキリコは、治る患者はきちんと治療します。むやみに安楽死させるわけではありません、念のため)。

私は、ブラック・ジャックもキリコも、両方正しいと思っています。そして、これまでは「自死安楽死は全くの別もの」と考えていたけれど、入院以降、「自死を選ぶ人にとっては、もしかしたら『同じ』なのかもしれない」と思うようになりました。私自身はこの先も、たとえ一瞬「死にたい」と感じることがあったとしても、実際には生きる道を選ぶだろうと思います。でもそれは、あくまで私の意見でしかない。「出来ればみんなに生きていてほしい。自死する人が少しでも減ってほしい」と願うこと自体、ひょっとしてエゴなのかもしれないなぁとも思ったり…。

 

あぁ、何だかよく分からなくなってきました。まとまりがなくてすみません。今夜はもう寝ます。おやすみなさい。