先日、「写真」に関する記事を2本、ネットで拾い読み致しました。共通キーワードは“学生”。
一つは、高校生発信のもの。
「私は自分や友人の顔を加工した写真ばかり残した結果、中学時代の同級生との思い出写真では、お互いの“元の顔”が見れなくなってしまいました。元の写真を残しておけばよかったと後悔しています」(抜粋)
もう一つは、大人発信のもの。
「卒業アルバム用の写真を撮りたいのに、『加工してない写真は恥ずかしい』とか、『無加工写真を見られたくない』とかの意見が一部の生徒から出て困っています。『一生記念に残るものなんだし…』と説明しても、『逆に一生残るから嫌』と反論されたら返しようがありません」(同)
まず、前者の記事で疑問に思ったのは、「加工前のオリジナル画像、全部削除してるの⁉︎ いや、ひょっとして、オリジナルそのものを加工しちゃってるってこと?」という点です。
私自身、“誰だか分からないほどの加工”はしないにせよ、人物・風景・食べ物等、写真撮影後に何かしら手を加えることが多いです。と言っても、明るさやコントラストの調整、色調補正、トリミング程度だけれど、オリジナル画像は当たり前に残してあります。というより、「オリジナルに直接加工を施す」「オリジナルを削除する」という発想自体なかった。“加工するなら複製写真で”が鉄則だと思っているため、「元の写真を残しておけば…」という後悔は生まれようがないのです。まぁ、周囲の誰にも確認したことがないから、世間的には私のほうが少数派という可能性もありますけどね(笑)。
後者の記事に関しては、「ちょっと違うけど、気持ちはめちゃくちゃ分かる!」と思いました。
何度か書いている通り、私はアラサーの頃、約5年の歳月をかけて歯列矯正をしました。ガタガタの歯並びがずーっとコンプレックスだったのですが、矯正というのは結構な額のお金が要ります。家に経済的な余裕がない&毒親を頼りたくないという理由から、アラサーになって念願の歯列矯正が実現したのでありました。
振り返れば、矯正装置が外れる(←ちなみに34歳)までの間、私の「笑顔」は不自然に見えることも少なくなかったと予想します。兎にも角にも歯並びの悪さが気になってしまい、人前で大きく口を開けて笑うことは避けていたし、親友や彼氏と写真を撮る時も“口を閉じての笑顔”のみ。「将来自分のお金で矯正したら、口元を手で隠さずに堂々と話したい。何も気にせず、思いきり笑って写真を撮りたい」と、長きにわたり夢見ていました。
だから、卒業アルバム…特に個人写真の撮影は本っ当に嫌だった。小中高と、なぜか揃って「歯を見せて笑って」とカメラマンが言うのです。理由を述べて拒否しても、「そう決まってるから。ちゃんと笑ってくれなきゃ撮影終わらないよ」的な圧をかけられ渋々従いました。その結果、“一生残る”アルバム内には、「自分が一番撮られたくない写真」が残ってしまうことに…。私自身はとっくに処分したけれど、それを「同級生達は持っている」「学校に保管してある」という事実は変えようがなく、正直言ってかなり苦痛です。
よって、「逆に一生残るから嫌」という主張には同意しかございません。今は“個人情報の流出”を極力防いだほうが安全な時代ですから、思い切って卒アルそのものの撤廃を検討してもいいんじゃないかなぁと思います。
ただ、写真自体は今も昔も、撮るのも撮られるのも大好きです♡ SNSの類は一切やっていないので、誰に見せるわけでもありませんが、単に好きだから日々スマホで、時には一眼レフでガンガン撮ります。「一瞬を切り取る快感」「狙った通りの構図で撮る楽しさ」は手放せないし、“人生の記録”や“今日まで生きてきた証”としても大変有効だと考えています。
良くも悪くも、写真というのは真実をとらえてしまいますゆえ、時には辛い場合もあるでしょう。災害や地震、事件、事故等の報道写真はもちろん、例えば大切な人と別れてボロボロの姿とか、酷い目に遭った旅先での出来事とか、そういう個人的なものも含めて、「目にしたくない写真」というのは確かに存在する。でも、少なくとも私は、「折に触れて見返したい写真」「撮っておいてよかった写真」のほうが断然多いです。それこそ、不要なら削除すればいいだけですから(デジタルよありがとう!・笑)、今後も心のままにバンバン撮っていきたいと思いまーす♪